酵素と発酵の謎を解け!発酵論争の時代

3回シリーズで酵素について書く2回目です。「酵素・発酵・酵母」の違いがわからない方、これらの意味があんまりよくわからんわという方は、まず、前回のエントリをお読みください。めんどくせー、って方は下の図だけでも見ておいてくださいませ。

まとめのまとめ

  • 酵素とは、触媒として働くタンパク質で、生物の細胞内で作られる。色々な化学反応を起こさせ、体内での物質合成や分解を行うもの。
  • 発酵とは、生物による物質の分解や合成(つまり、生物による酵素反応)を利用して、食品中の成分を別のものに変えること。
  • 酵母とは、微生物の一種で、アルコール発酵やパンの発酵などに長年利用されきた生物。


本エントリは表を含め基本的に「酵素−科学と工学」, 虎谷哲夫ら, 講談社(p.1〜5) の記述を元にまとめました。できごとの年代についてはこの本に基づいています。
 
発酵とは、微生物の働きを利用して食品をつくることを指します。それは本質的には、微生物が持つ酵素によって食品中の成分が別のものに変化することを利用していると言えます。紀元前にはすでにビールやワインは作られていました。しかし、人類は長年発酵を利用しながら、酵素の存在には気づいていませんでした。それどころか、発酵に微生物が関与しているということも、19世紀なるまで知られていませんでした*1。本エントリは、発酵を科学的に解明する中で、酵素が発見されていった歴史を中心にまとめてみました。

 

胃の中の「肉を溶かす何か」と、麦芽の中の「デンプンを糖に変える何か」

科学の発見には、現象から「こういうモノがあるはず」と予想され、そのモノを探して見つかるパターンと、モノが先に見つかっていて、どういう働きをするものか解明していくパターンがあります*2酵素の発見は、前者のパターンです。


酵素発見の第一歩は、発酵ではなく、消化酵素でした。1752年、レオミュールが鳥の胃の中に、肉を溶かす「何か」があること見つけたのです。レオミュールは、消化されなかったものを吐き出す習性のあるトビに金網に入れた肉を食べさせ、吐き出した金網の中の肉が溶けていたこと、また、トビにスポンジを食べさせて、吐き出したスポンジから胃液を集め、この胃液に肉片を浸すことで肉片が溶けることから、胃液には肉を分解する物質が含まれると考えました*3。この「何か」は、1836年にシュワンによって「ペプシン」と名付けられました。具体的に何かはわからないが、「胃液の中にあって肉片を溶かす作用を持つ因子」を、「ペプシン」と名づけたのです(当時の消化の研究については「生化夜話 第41回:「ペプチド」という言葉を考えたのは誰?」参照)。


また、1833年、ペイアンとペルソーは、麦芽の抽出液、すなわち無細胞抽出液によりデンプンが分解されて糖になることを発見しました。彼らも、(何かはわからないけれど)麦芽汁中にある、デンプン分解作用を持つ因子を、アスターと名付けていました。


一方、化学の世界では、1828年にヴェーラーが尿素を人工的に合成することに初めて成功しました。これにより、生体物質の合成や分解も、化学の法則に従うことが知られるようになっていました。
  


1. 酵素の発見 胃液の消化作用の発見, CELL
3. 生化夜話 第1回:酵素の-aseは誰のアイディア?, GEサイエンス


生命現象のバイタルフォース!「生気説」と発酵論争

1789年、ラヴォアジェが、アルコール発酵はブドウ糖からアルコールと二酸化炭素ができる反応であると延べ、以降、アルコール発酵がホットな研究分野となっていました。この頃、「生命現象には物理・化学の法則だけでは説明できない、生命に独自の「活力(vital force)」が働いている」という考え方である「生気説」がありました。発酵をめぐり、19世紀には、生気説を唱える生物学者と、これを批判するリーダー的化学者との間で論争が繰り広げられることになりました。


アルコールなどの有機物は、生物によってしか作られないものである、というのが、生気説の考え方です。これに対して、1835年、化学者であるベルツェリウスは、発酵を起こすもの=発酵素(ferment)は触媒の一種であるという説を唱えました。「触媒」とは、自分自身は変化せずに、化学反応を促進するものです(詳しくは、前回のエントリで説明しています)。この触媒の概念そのものを、ヴェルツェリウスが考えだしたそうです*4。前回のエントリで述べたとおり、酵素は非常に優秀な触媒で、化学反応の起こる速度を何千万倍も加速します。それにより、「酵素がなければ(反応速度が遅すぎるために)起こらない(ように見える)反応を(「実用的」な時間で)起こさせることができる」わけです。生物がいなければ起こらない(ように見える)反応は、バイタルフォースではなく、触媒作用を持つ発酵素というものを想定すれば物理的・化学的に説明できる、というのがヴェルツェリウスの説です。その背景には、先述した消化酵素(ジアスターゼやペプシン)の発見がありました。


そして、「アルコール発酵を起こすのは生きた酵母細胞である」と提唱する生気説派のシュワンらと、それを批判したリービッヒらの間で大激論が起こりました。シュワンらは、酒の中に微生物と思われるもの(酵母)を見つけ、それが出芽によって増殖する単細胞生物であることを示して、アルコール発酵を起こすものは生きた酵母細胞であると提唱しました。それに対しリービッヒらは、酵母が死ぬときに出す物質によってアルコール発酵が起きる、発酵や腐敗は純粋な化学反応である、として激しく批判しました。


1857年、物理学と有機化学の教育を受けたパスツールが、発酵・腐敗にはそれぞれに特定の種の微生物が関与し、生命が不可欠であることを明確に示しました。アルコール発酵だけでなく、酢酸発酵や乳酸発酵についても調べ、それぞれ別の菌が必要であることを見つけて、発酵を微生物の生理過程の現れとして捉えたのです。パスツールは、ビールの腐敗の原因を調べる過程で、発酵が微生物の働きによること、酸素がない条件下でアルコール発酵が起こることなどを詳しく調べました(その経験から、人や動物の病気にも微生物が関与していることを発見するなど、、医学・生物学において多くの偉大な功績を残しています)。

パスツールはビール醸造の過程を詳しく顕微鏡で観察しました。ビール醸造の初期ではビールの中に丸くて大きな酵母がいっぱい見えますが、小さな細菌が見えはじめ多くなると醸造は失敗します。同じように、上手にできたビールでも、2週間で腐るビールでは、多くいた酵母が消え、細菌におき代わっていました。そこで、「ビールは酵母が造る」、「ビールを腐らせるのは細菌」という仮説で仕事をはじめました。


(略)


麦芽汁を入れたフラスコ10個を殺菌しておき、先に調整した10本の1ml希釈液を、それぞれ、10個の麦芽汁に添加すると、酵母が1個入った麦芽汁フラスコが4個、細菌1個の麦芽汁が4個、酵母も細菌も入らない麦芽汁フラスコが2個できることになります。これらの麦芽汁を培養すると、酵母だけが増殖する麦芽汁が4個、細菌だけが増殖する麦芽汁が4個、何も増殖しない麦芽汁が2個できることになります。つまり、酵母と細菌の純粋培養ができたことになるのです。酵母の純粋培養液ではビールが上手にでき、細菌の純粋培養液ではビールの香りはしないで腐った匂いだけです。このようにして腐ったビールから上等なビールを再生させたのです(下図)。かくして、ビール製造では酵母の純粋培養が必要な事を明らかにしました。純粋培養で造ったビールは2週間保存しても腐ることはありませんでした。


生物学の夜明け:人類の困難と対決したパスツール, 柴井博四郎, NPO法人 バイオ未来キッズ

発酵も腐敗も、微生物が生きる過程で物質を他のものに変える(つまり、微生物がエサを食べて分解する)という現象なのです。その結果人間が利用可能なものができる場合に「発酵」と呼んでいるわけです。


発酵に生物が必要不可欠であることを示したことで、一旦は「生気説」が勝利を収めたかに見えました。その一方、先述のペプシンやジアスターゼなど、生命がなくても消化作用が起こる、という現象もわかっていたので、「生きた細胞がないと機能しない発酵素(アルコール発酵)を「有機化された発酵素」、生きた細胞でなくても作用するもの(ジアスターゼやペプシンなど)を「有機化されていない発酵素」と呼ぶようになりました。その後(1878年)、キューネは、ベルツェリウスの触媒説を発展させ、酵母細胞の中にあってアルコール発酵を進行させるものを酵素(Enzyme)と呼ぶことを提案しました。ギリシア語で、「en」は「中に(in)」、「zyme」は「酵母(yeast)」をそれぞれ表します。


発酵論争の決着-ブフナーの偶然の発見

そして1897年、ブフナーが、すりつぶした酵母をろ過した抽出液(無細胞抽出液)の中で、糖が発酵してアルコールと二酸化炭素になることを発見しました。すりつぶした酵母の抽出液には、生きた酵母細胞はいません。つまり、生きた細胞がいなくてもアルコール発酵が行われることが証明されたことになります。実はこの現象は、酵母の抽出液の保存方法をいろいろ試していた時に偶然みつけたんだそうです。

エドアルド・ブフナーの兄、ハンス・ブフナーは細菌学者でした。病原菌で免疫した動物から得られた血清を注射することで、まだ感染したことのない動物を病原菌から保護できることが発見されていました。ハンスは、その現象は、病原菌自体に含まれる「抗毒素」によるものだと考えており、エドアルドと一緒に病原菌の内容物を抽出する方法の改良を行っていました。努力の甲斐があって抽出法は確かに改善されましたが、その抽出液の保存が問題になりました。抽出して放置しておくと、急速に劣化してしまうのでした。そこで、ハンスとエドアルドは、抽出液に防腐剤としてさまざまな物質を加えては、その効果を調べていました。そして、たまたま酵母の抽出液に果物の防腐処置に使う高濃度のショ糖を加えたところ、それまで生きた酵母なしでは起こらないとされていたアルコール発酵が観察されたのでした。


生化夜話 第1回:酵素の-aseは誰のアイディア?, GEヘルスケアジャパン

抽出液の中では、酵母の細胞は潰され、ろ過されて取り除かれていますが、酵母により作られた酵素は、酵母細胞の中から外に取り出され、活性を保ったまま存在しています。そこにグルコースを入れると、酵母が生きている時と同じように酵素反応が進行し、アルコール発酵が起きました。酵母が生きていなくても、酵母の作った酵素があれば、アルコール発酵は起こったのです(下図参照)。これにより、生気説は完全に否定されました。酵母の無細胞抽出液によるアルコール発酵の研究により、酵素が生体触媒であることが決定的となり、代謝反応は生命のない生体触媒によって進められる一連の化学反応であることが疑う余地なく示されました。ブフナーは、無細胞的発酵の発見でノーベル賞を受賞しています(1907年)。ブフナーは、酵母の中のアルコール発酵を起こす酵素を「チマーゼ」と名付けました*5。しかし、このとき、アルコール発酵を起こす酵素の実体はまだ何か分かっていません。実際には、アルコール発酵は何段階かの反応であり、関係する酵素も複数存在します(アルコールデヒドロゲナーゼなど)。

 


このブフナーの実験を再現しようとした高校生物の先生主催のサークル記録を見つけました。残念ながら失敗してしまったようですが、興味深いです。


シュワン、リービッヒ、パスツール、ブフナー…現代の目から見れば常識である、微生物が発酵を起こすこと、そしてその本質が酵素反応であることを、一歩一歩解き明かしていった先人たちです。この人たちの功績を知ると、非常に鋭い観察眼・深い洞察力を持った方々だと感じるのですが、それでも一足飛びに真実にたどり着くことは難しかったのです。科学の発展が、「ここまではどうやら確からしい」という知見を一個一個積み上げていく城壁づくりのようなものだということがよくわかります。


無細胞的発酵の発見により、「有機化された発酵素」と「有機化されていない発酵素」の区別が無意味になり、キューネの「酵素」という言葉に統一されていきます。こうして、現代生化学および酵素学の基盤が確立されました。しかしこの時点ではまだ、酵素というものが具体的になんなのかは不明でした。触媒(自分自身は変化せずに化学反応を起こさせるもの)であり、酵母などの生物によって作られるなにか、ということしかわかっていません*6


2. 科学の歩みところどころ第10回 酵素とはなにか, 大阪教育大学名誉教授 鈴木善次
3. 生化夜話 第1回:酵素の-aseは誰のアイディア?, GEサイエンス
4. wikipedia「テオドール・シュワン」
5. 酵素の発見 アルコール発酵をめぐる論争, CELL]
6. 生物学の夜明け:人類の困難と対決したパスツール, 柴井博四郎, NPO法人 バイオ未来キッズ
7. wikipedia「遺伝子」
8. wikipedia「ウレアーゼ」

 
 

酵素って、何?

20世紀に入ると、酵素そのものの性質や実体の研究の時代になってきます。酵素と基質(酵素によって触媒される物質)の結合や、酵素反応速度論など、酵素の基本的な性質が明らかになっていきました。1926年、サムナーは、ウレアーゼと言う酵素尿素Ureaを分解する酵素)を精製し、結晶化に成功しました(彼はこの研究でノーベル賞を受賞)。当時、タンパク質が結晶化するということがすでに知られており、サムナーは酵素がタンパク質であると提唱しましたが、すぐには受け入れられませんでした。しかし、1930〜36年にかけてペプシンやトリプシン、キモトリプシン(いずれもタンパク質分解酵素)が相次いで結晶化され、酵素の実体がタンパク質であることが広く認められるようになりました。1960年代になると、リゾチームという酵素の立体構造、そして一次構造(アミノ酸が連なっていること=タンパク質であること)が明らかになり、酵素がタンパク質である、ということが確立されました


リゾチウムの構造。細菌の細胞壁を分解して攻撃します。
lysozyme, Protein Data Bank



ペプシンの構造。下の図の緑の部分が胃の中で外れて活性化されます。この緑の部分が酵素活性を抑えるキャップのような役割をしているのです。
Pepsin, Protein Data Bank


また、19世紀後半から20世紀前半は、遺伝子とDNAについての研究も進んだ時代でした。1944年には、遺伝子が酵素をコードしている酵素を作るための設計図が遺伝子に書かれている)ことがビードル、テータムにより明らかになります。彼らは、一つの遺伝子がひとつの酵素をコードするという一遺伝子一酵素を提唱しました。現在では、この説に当てはまらない多くの例が知られています(遺伝子がコードしているタンパク質のすべてが酵素ではなく、体を形作るためのタンパク質や、体内の情報を伝達するためのタンパク質、物質輸送に関係するタンパク質などもあります)が、遺伝子の役割を具体的な物質とのつながりで明示し、その研究の方向性を示唆した学説として重要です。その後、遺伝子の本体がDNAであることがハーシーとチェイスによって確証付けられ、ワトソンとクリックはDNAの二重らせんモデルを提唱しました。そして、1958年、ワトソンは遺伝情報がDNA→RNA→タンパク質という順番で伝達されるというセントラル・ドグマの概念を提唱しました。その後はこのセントラル・ドグマの分子生物学的機構(どのようにDNAからRNAに転写されるか、RNAからタンパク質に翻訳されるかなどの詳しいしくみ)が次々と明らかになり、同時に遺伝子組換えの手法が編み出されて、ほしいタンパク質(酵素)を作ったり、遺伝子に変異を起こさせてタンパク質の性質を変えることができるようになり、酵素に関する研究は飛躍的に進みました。また、酵素の立体構造や、基質との相互作用についても、多くの知見が得られつつあります。長い間発酵を利用してきた人類は、つい200年まえ、「酵素ってものがあるんじゃない?」と気付き、そこから怒涛の如く謎を解き明かしていったわけです。  


8. wikipedia「ウレアーゼ」
10. wikipedia「グリフィスの実験」
11. wikipedia「一遺伝子一酵素説」
13. wikipedia「ハーシーとチェイスの実験」
14. wikipedia「ミオグロビン」
15. 今月の分子, PDBj (色々な酵素の構造が見られます)

  

ここまでのまとめ

  • 人類は長い間、しくみをしらないまま発酵を利用してきた。
  • 19世紀、「生命現象には物理・化学の法則だけでは説明できない、生命に独自の「活力(vital force)」が働いている」とする生気説と、それに反対する化学者の間で大論争となっていた。
  • 生気説的には、アルコールなどの有機物は生命がなければ作られないとされ、アルコール発酵にも生物が必要不可欠と考えた。
  • 1857年、パスツールが発酵にはそれぞれ特定の微生物が必要であることを発見。生気説が勝利したかに見えたが…
  • 1897年、ブフナーはたまたま酵母をすりつぶした無細胞抽出液でアルコール発酵が起こることを発見。必要なのは酵母そのものではなくて、酵母の中の酵素だった(ノーベル賞)。
  • その後、酵素の実体はタンパク質であること、その情報が遺伝子にコードされていることなどが次々と明らかになり、酵素に関する研究はこの50年間でめざましい発展を遂げた。


さて、ここまでお読み頂いた皆様には、酵母酵素・発酵の関係、そしてその謎がどのように紐解かれていったかが、バッチリお分かりになったことと思います(そうじゃなかったらゴメンナサイ!)。次回は、いよいよ本題(?)である、現代に跳梁跋扈する、あやしい酵素の話をしてみたいと思います。
  
  

*1:ビールの中の酵母の存在は、17世紀、レーウェンフックによって示されていました。

*2:それぞれが別々に解明されていって「これがアレでした」となる場合もありますが。

*3:酵素の発見

*4:科学の歩みところどころ 第10回 酵素とは何か

*5:チマーゼの面白い逸話についてはこちら生化夜話 第48回 仮説から外れた結果でノーベル賞 - 解糖におけるリン酸の研究, GEヘルスケア

*6:ブフナー自身は、酵素の本体はタンパク質であると考えていたそうです。