はたらく酵素たち~意外なほど色々な分野で活躍!

ここまで3回に渡り、酵素について書いてきました。今回はおまけとして、私たちの役に立っている酵素の使用例を紹介したいと思います。酵素というものについて、一般的にはかなり漠然としたイメージしかないと思われるので、実際にこう使われているという実例を挙げたほうがいいかなと思ったためなのですが、調べてみると思ったよりはるかに多くの分野で酵素が利用されていて驚きました。なお、本項を書くにあたり、以下の文献を参考にしています。非常によくまとまっていますので、酵素に興味を持たれた方にははげしくおすすめです。


酵素の本業は生物の体の中で(または外に分泌されて)、その生物が生きていくための化学反応を触媒することです。しかし、酵素を発見した人類は、色々な用途に酵素を利用することができるようになりました。酵素は現在、私たちの生活に必要な色々なものを作るのに利用されています。


酵素を使うことのメリットの一つは、省エネルギー型で環境負荷の少ないプロセスを作ることができること、つまり、「エコである」ことです。こちらのエントリで述べたように、酵素は、常温・常圧の穏やかな条件で化学反応を起こさせるからです。酵素を用いなければ、同じ反応を起こすために高温・高圧であったり、酸やアルカリをたくさん使用しなければならないなど、エネルギー消費や環境負荷が大きくなることが多いのです。また、酵素のもう一つの特徴として、基質(反応を起こさせる相手)を厳密に選択するということがあります。この性質によって、非常に厳密に反応を制御することが可能になります。

酵素利用の礎。高峰譲吉博士の「タカヂアスターゼ」

はじめに、酵素の利用についての文献には必ず出てくる「近代バイオテクノロジーの父*1」を紹介します。微生物由来の酵素を利用する道を切り開いた高峰譲吉士です*2


1854 (嘉永7)年生まれの高峰博士は、明治初めに工部大学校(現・東京大学工学部)、そして英国で応用化学を学びました。その後、日本の肥料工業の先駆けとなる人造肥料生産を手掛ける一方、アルコール発酵の研究も行っていました。博士は、ウイスキーの製造工程に、日本酒の醸造技術を応用する(米麹のデンプン分解力を利用する)ことを考え、渡米して研究を続けていました。


その過程で、高峰博士は、強いデンプン分解作用を持つ麹菌を見つけ出しました。そして、その酵素(複数の酵素が混ざったもの)をアルコール沈殿させ、「タカヂアスターゼ」という医薬品(消化薬)として販売するに至りました。これは、1926(7)年のことで、当時まだ酵素についてはほとんど詳細が知られていませんでしたので、非常に先進的な研究だったと言えます。

当時、麦芽由来のジアスターゼが消化剤としてパーク・デービス社から販売されていました。しかし穀物由来の酵素は大体において酵素力も弱く不安定なのが欠点でした。そこに麦芽由来のものに比べて約20倍も酵素力の強いタカヂアスターゼが安価に持ち込まれたのです。はじめこそ、日本の技術を見下していたパーク・デービス社も、その驚くべきパワーを目の当たりにするにつれ、譲吉に独占販売権を要求し、彼を顧問に迎えいれました。


タカヂアスターゼ日本の伝統的醸造技術と高峰譲吉の魂が生んだロングセラー, 日本薬学会 創薬と治験

さらに、麹菌に酵素を効率よく作らせるための培養方法を確立した点も重要です。

麹の輸送についても、胞子を篩で集めて乾燥剤を入れて運ぶ方法が考案され、さらに米の代わりにアメリカで豊富にある小麦粉を製造する時の副産物である麦の皮「フスマ」を使えばよいこともわかりました。これは極めて安価で1年中豊富にあり、しかもカビの生育に必要な栄養素は全て含まれていて、実際このフスマで培養してみるとカビの生育はすごくいいし、酵素生産も米麹の数倍と極めて高いことがわかっています。また、酵素の抽出も水で簡単にでき、フスマ自体が多孔質であることも幸いしてろ過が容易であるため、この麹培養法は100年以上たった現在でも世界中で採用されています。


(同上)

タカヂアスターゼは、日本では三共商店と提携して販売されました*3。そして、現在も薬として販売されています。


現在、工業用途などに大量生産されている酵素のほとんどが微生物由来です。良い酵素を持っている微生物を探しだし、培養して酵素を作らせ、精製して利用しています。微生物は、動物や植物に比べて簡単に、大量に培養することができ、酵素をたくさん作らせることや、作られた酵素を精製することも比較的容易にできるのです。麹菌の他、色々なカビの仲間、細菌、酵母など、様々な微生物が酵素生産に利用されています。


ここからは、具体的な酵素の使用法について見ていきます。  
  
 

洗剤

消費者が酵素そのものを利用する商品は意外と多くないのですが、酵素入りの洗剤はその数少ない例の一つでしょう。洗剤に使用されている酵素はプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)、リパーゼ(脂質分解酵素)、セルラーゼセルロース分解酵素)です。酵素の一般的な性質として、タンパク質でできているためアルカリに弱く壊れやすい(失活しやすい)、温度が低いと働きにくいということがあります。洗剤の中には、界面活性剤、キレートビルダー(水中のカルシウムなどのミネラルを補足して洗浄効果を高めるためのもの)、蛍光増白剤のほか、漂白剤として次亜塩素酸ソーダ等が入っています。また、水で洗濯するとその温度は低いです。このような過酷な条件の中、洗剤の酵素はちゃんと働いているのでしょうか?

実際に,洗剤酵素は以下の要件を満たす必要がある.

  1. 洗浄力が向上しなければならない
  2. 最適pHがアルカリにあり,アルカリpHで安定
  3. 洗浄成分(界面活性剤やキレート剤)耐性がある
  4. 漂白剤耐性がある
  5. 耐熱性がある
  6. 保存安定性がある
  7. 安価に菌体外に大量生産できる

日本の場合,8. 水道水の温度でも活性を十分有する,が加えられる.では,これらすべての条件を満たす洗剤用酵素生産菌のスクリーニング手法はあるのだろうか? 答えは,「否」である.人間の都合で微生物が進化して多様性を獲得してきた訳ではないからである.洗剤用酵素の「出藍の誉れ」なる性質とは,おそらく1と2である.しか
し,初めから洗浄性がある酵素の生産菌をスクリーニングで確認する手段はない.だから,まず2の条件を満たすアルカリ酵素生産菌を分離し,培養し,少量生産された酵素を精製し,そして洗剤開発部門の洗浄試験に合格するという2番目のスクリーニングの壁を乗り越える必要がある.


最初はどこの洗剤会社でも共通の人工汚染布による洗浄試験を行うが,たとえば「頑固な」タンパク汚れの正体は汗,皮脂とケラチンが混合した「垢」だから,洗剤用プロテアーゼはケラチンを分断する酵素でなければならない.木綿布に顔や首などの垢を丹念に何回も擦り付けた汚染布を用いた洗浄試験で,スクリーニングされたプロテアーゼが選別されて行く.最後の関門は,実際に着て汚れた下着やワイシャツを使って洗浄し,無作為に抽出されたパネラーに目で見て明らかに綺麗になっているか判定して貰う.消費者は感性があって賢いのである.その判定結果を統計学的処理し,最終候補に残るのが「出藍の誉れ」高き酵素の候補となる.この時点で,3と4がクリアされている場合もある.5と6は,また別の次元で解決していかなければならない課題である.製造工程や商品として店頭に洗剤が並んだ際,造粒した酵素が失活しない工夫をして製品保証する技術が必須となる.筆者らは,気の遠くなるこの作業を何千回と繰り返した.洗浄評価をする研究者は,商品化と社運がかかっているから安易な妥協をしてくれないのである. 



バイオ洗剤とスクリーニング, 伊藤  進, バイオよもやま話

上記は、花王の研究所で長年研究されていた方のお話です。「スクリーニング」とは、たくさんの菌の中から欲しい性質を持った菌を選び出すことで、苦労の末にちゃんと洗濯で働く酵素を選び出しているようです。微生物の持つ酵素は、その微生物が住む環境によって様々ですので、アルカリ性の環境に住む微生物からは、アルカリ耐性のある酵素を見つけることができます。

 

「でんぷんを糖に変えます」

植物は光合成によりでんぷんを作ります。でんぷんはブドウ糖グルコース)が多数つながったもので、植物にとっては、栄養を貯蔵しておくための物質です。逆に、でんぷんを分解すれば、ブドウ糖が得られます。微生物にも、植物由来のでんぷんを糖に変えて栄養源とするものがいます。麹菌もそのひとつです。このような菌は、でんぷんを分解する様々な酵素を持っており、人間は、これらの酵素を利用して、でんぷんから糖を作っています。


でんぷんを分解する酵素は「アミラーゼ」と呼ばれますが、アミラーゼにも色々な種類があり、でんぷんの鎖の切り方がそれぞれ異なります。この切り方の違いを利用して色々な糖を作ることができます。ブドウ糖麦芽糖(マルトース)などがでんぷんから作られます。また、清涼飲料水等に用いられる「ぶどう糖果糖液糖」等もでんぷんから酵素反応により作られます。グルコースイソメラーゼという酵素により、ブドウ糖の約50%が果糖(フルクトース)に変換され、ブドウ糖と果糖の混合物となります。これが「ぶどう糖果糖液糖」です。


また、「トレハロース」という糖もでんぷんから酵素反応により作られています。トレハロースは麦芽糖と同じ、ブドウ糖が二つつながった構造なのですが、つながり方が麦芽糖とは異なっています。トレハロースはもともと動物、植物および微生物界に広く存在しているのですが、でんぷんから安価に作れるようになったことで、食品などの品質劣化防止剤等として広く利用されるようになりました。テレビでCMをやっていた「トレハ星人」を憶えている方もいらっしゃるかもしれません。


この他に、虫歯にならないパラチノース、整腸作用のあるガラクオリゴ糖(乳糖から)等も酵素を使って作られます。酵素による色々な糖の生産については下の資料が参考になります。

  

バイオエタノール

バイオエタノールの生産にも、酵素は欠かせません。でんぷんからエタノールを作るのには、これまでにも登場したアミラーゼが使われます。でんぷんを糖に変えた後は、アルコール発酵によりエタノールを生成します。また、でんぷんではなく、人間の食物と競合しないセルロース(植物の細胞壁の成分。茎や葉など。)からアルコールを作る方法もあります。この場合、セルラーゼセルロース分解酵素)により、セルロースブドウ糖に分解します。自然界では、死んだ植物体は微生物によってゆっくり分解されていきます。こういった分解を行う微生物はセルラーゼを持っています。しかし、セルロースはでんぷんより分解が難しい結晶構造をしており、工業的に利用するには、今のところ、酵素処理の前に酸などによる処理が必要です。



チーズ

チーズの製造にも酵素が使われています。もともとは子牛の胃の酵素が使われていましたが、現在では微生物由来の酵素が多く使われています。

チーズの製造の概略は、原料の牛乳に乳酸菌のスターターを加えて乳酸発酵を行い、その後キモシンと呼ばれる凝乳酵素を加えて固めるというものである。酵素利用という視点から重要なプロセスは凝乳酵素の添加の工程である。凝乳酵素は子牛、子羊の第 4 胃から得られるもので、以前はレンネットと呼ばれていたものであるが、これを得るためにこれらの家畜を若いうちに屠殺しなければならないが、これは経済的にはかなり生産性の低いことをしていることになる。したがって、この酵素を微生物の世界にもとめてスクリーニングに成功した人がいた。東大の有馬 啓、名糖産業社の岩崎伸二郎で、凝乳酵素を生産するケカビMucor pusillus(現在はRhizomucor pusillus)を発見した3)。引き続いてR. mieheiCryphonectori aparasitica などの有力な凝乳プロテアーゼ生産株がほかの研究者によって見つけられた。ムコールの凝乳プロテアーゼ(ムコールレンネット)の安全性は我が国の厚生省や FDA でも確認され、2000 年の世界のチーズ生産の約 7 割が微生物の酵素で賄われていると言われている。 この酵素の発見によって世界では数百万頭の子羊(あるいは子牛)の生命を救ったとも言われている。

 
 

バイオ研究・検査には欠かせません

バイオ研究者にとって、酵素はたいへん身近な存在でしょう。酵素なしにバイオ実験は成り立ちません。例えば、DNAを増やしたり(PCR)、切断したり、つなげたりといった遺伝子操作や、DNAの塩基配列決定(シークエンス)、酵素反応を用いた発色などど、この分野では数え切れないほどの酵素が使われています。


DNAを増やす「PCR法」は、現在の生命工学には欠かすことのできない技術で、開発者のキャリー・マリスはこの発明でノーベル賞を受賞しています。PCR法は遺伝子鑑定やウイルス検査などにも利用されています。

PCR法に使われるのは、耐熱性DNAポリメラーゼと呼ばれる、温泉等に住む微生物が作るDNA複製酵素です。例えば、東洋紡から発売されているKODというDNAポリメラーゼは、鹿児島県の小宝島の硫気孔より分離された超好熱Archaea:Thermococcus kodakaraensis由来の酵素で、島の名前(Kodakara)を元に命名したそうです。


PCR法と並んでよく使われるのが、DNAを切断する酵素です。特定のDNA配列を厳密に認識して切断する酵素は「制限酵素」と呼ばれます。

制限酵素は、細菌が作る酵素です。実はこの酵素は、ウイルスのDNAを分解して破壊し、増殖を防ぐために細菌が作るようになったものなのです(細菌自身は、自分のDNAにメチル化と呼ばれる細工を行うことで、分解しないようにしています)。


酵素の遺伝子を細胞等に導入して酵素自体を発現させ、細胞内で酵素を働かせることで細胞を光らせたりする実験方法もあります。このような実験には、ホタル等が持っている生物発光のための酵素、ルシフェラーゼなどが使われています。


こういったバイオ実験の手法を用いた臨床検査もあります。抗原抗体反応と酵素反応を組み合わせて測定する「ELISA法」などで、抗体検査などに使われます。また、血清中クレアチニンコレステロール値、血糖値、尿酸値等の測定にも使われています。
  
 
  

医薬品

はじめに紹介した「タカジアスターゼ」や、ブタの膵臓から取った「パンクレアチン」は消化酵素で、消化薬として現在も使われています。また、血栓溶解薬としてウロキナーゼやストレプトキナーゼが使われています。その他、消炎酵素薬や血清脂肪異常、白血病乳糖不耐症の治療に酵素が用いられています。酵素そのものを医薬品として利用する他に、医薬品の製造に使われる酵素もあります。抗生物質ペニシリンや、インスリンステロイドホルモン等の製造に酵素が利用されています。

グリーンケミストリー

従来化学合成で作られていた化学物質に製造にも、酵素が使われるようになってきている例があります。下記は、ビニル系ポリマーの原料となるアクリルアミドの製造の例です。

アクリルアミドはビニル系ポリマーの原料で世界では約 20 万トンの市場がある。京都大学の山田秀明らはアクリロニトリルをアクリルアミドに変換する新しい酵素ニトリヒドラターゼを見出し、この酵素の生産株としてPseudomonas chlororaphis, さらに活性の高いRhodococcus rhodochrous を分離した 18)。


(中略)


従来の化学合成法では銅、クロムなどの金属系触媒を用いる水和法で行われていたが、触媒の調製が煩雑であり、金属触媒による環境汚染の可能性、高温高圧の反応による高いエネルギー消費などの問題点があっ酵素の生産と利用技術の系統化 177たが、酵素法はこれらの問題点の多くを解決した。因みにアクリルアミドの銅触媒法と酵素法の製法における、生産物アクリルアミド当たりのエネルギー消費量と二酸化炭素の排出量の原単位で比較すると、電力や蒸気量などのエネルギーが約 30%、二酸化炭素の排出量で約 40%削減されるとされている。
このように、現在の化学品の大部分は石油や天然ガスを原料として高温高圧の多段階のエネルギー消費型の化学合成反応で行われ、場合によってはハロゲンなどの有害とされる溶媒が使用される。これに対して、省エネルギー、廃棄物削減、環境汚染と温暖化防止を目的とした、いわゆるグリーンケミストリーへの取り組みが世界的に行われている。その手法の一つが酵素の利用を中心とするバイオプロセスであり、これを実証したニトリヒドラターゼの活用によるアクリルアミドの生産は重要な発見であり重要な技術である。

まだまだ広がる酵素の可能性

ここにまとめた以外にも、飼料の生産や製紙、調味料やお酒の製造など、色々な分野で酵素は利用されています。また、今後も酵素の利用分野は広がっていくと考えられています。

繰り返し記してきた通り、酵素反応は常温常圧で進行する化学反応である。つまり、この活用によって省エネルギーで環境調和型のプロセスを構築できる可能性が大きいことを示している。多くの医薬品、栄養物質、などのファインケミカルスのみならずコモデテイケミカルスの製造をはじめ、資源の活用や発掘、廃棄物処理や難分解性物質の処理、などにも活用される傾向が強まると考えられる。
そのためには新しい機能を持つ酵素の探索が第一に必要であり、この開発に多くのエネルギーが注力されると考えられる。一般的には、新しい酵素は新しい微生物に求めるのが定石である。その点で、既知の微生物でも未利用のものはまだ 80-90% 残っていると言われている。これらの探索が手っ取り早いが、さらに地球上とは異なる環境、たとえば深海や地下の微生物の探索も行われている。ここから得られる材料を調べてゆけば新たな機能をもつ酵素の発見も可能である。タンパク質工学による改良も多くの実績が得られているので、この方向は当然強化され期待も大きい。

深海生物から利用できそうな酵素が見つかった例があります。

深海に住む「カイコウオオソコエビ」というエビで、バイオエタノール生産での利用が期待されるセルラーゼが発見されたのです*4


酵素は、消費者が直接目にする形ではあまり使われていません。ですから、どういうところで使われているかあまり知られていないし、その働きについてのイメージが湧きにくい面があります。しかし、実は非常に身近な存在でもあるのです。

*1:高峰博士の埋葬されているニューヨーク・ウッドローン墓地の案内に書いてあるそうです。

*2:それ以前にはチーズ作り用のキモシン(子牛の胃由来)や麦芽由来のジアスターゼ等が製剤化されていました。

*3:高峰博士は三共の初代社長でもありました。

*4:こういった珍しい生物をたくさん増やして酵素を作らせることはこんなんですが、遺伝子工学を利用して微生物に遺伝子を導入して作らせるなどの手法があります。