「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(6)対照群がない/盲検試験が行われていない
2016.4.1 追記
いろいろなご意見をいただいておりますが、この解説シリーズは以下の記事が元になっております。まずこちらの記事をご覧の上でお読み頂ければ、と思います。
他の解説記事へのリンクもこちらに掲載しています。
また「このポスターが分かる奴はそもそも騙されない」「素人向けではない」「絶対基準なのか」というご意見に対する回答もこちらで。
この記事を読んで「自分は読んで理解した。でもこれがわからない人もいるだろう」と思った方には、身近な人に説明する一助としてご利用いただければ、と思います。
2016.3.30追記
ブコメにいくつか頂いているので、「科学の基礎がない人、あまり勉強したくない人向け」に作成した記事もありますよ、ということで載せておきます。
8. 対照群がない
臨床試験においては、試験の対象となる物質を投与した「実験群」と、投与しない「対照群」の結果を比較しなければなりません。また、実験群と対照群は、無作為に割り付けなければなりません。一般的な実験では、変数をすべて統制したものを対照実験とします。
9. 盲検試験が行われていない
バイアスを排除するために、自分が実験群なのか対照群なのかを被験者に知らせてはいけません。二重盲検試験では、研究者でさえも、試験終了までは、どの被験者がどちらの群かを知りません。(注意)盲検試験が必ずしも実現可能、あるいは倫理的でないことがあります。
対処法の例:「実験」結果を見るときは、適切な対照と比較しているか、実験の参加者や実験者にバイアスがかかる情報が知らされていないかに注意する。
田口たつみさんとのコラボ記事第6弾です。田口さん、いつも素晴らしいイラストありがとうございます!!
健康食品や化粧品、ダイエット食品の広告などで「使用実験結果」が載せられていることがあります。広告ですからもちろん、「効果があった」という結果になっています。実験結果が捏造でないとしたら、この商品の効果は「科学的に証明された」といえるのでしょうか?また、医薬品の承認のために行われる治験と、このような実験では何が異なるのでしょうか。
「科学的に証明」するには客観性が必要
「科学的である」ということを厳密に定義しようと思うとけっこう難しいです。Wikipediaの「科学的方法」を見ると、「科学的方法(かがくてきほうほう、英語:scientific method)とは、物事を調査し、結果を整理し、新たな知見を導き出し、知見の正しさを立証するまでの手続きであり、かつそれがある一定の基準を満たしているもののことである」とあります。
少なくとも、実験によって「科学的に検証する」場合、「(できうる限り)客観的である」ことが求められます。それは、臨床試験(ヒトを対象とした研究)でも同じです。客観的に評価するために必要不可欠なのが、基準となるものや他のものと比較することです。「いいかわるいか」「効いたかどうか」を「試した人がどう思ったか/どう見えたか」で決めるのではなく、「基準より上か下か」を客観的に示すのです*1。では、「比較したデータ」があればOKなのか、と言えば、そうとも言い切れません。何と何をどうやって比較するかによって、客観性やバイアスのかかり方に差が出るからです。
広告などで見る「実験」の例として、ダイエット食品の効果を証明することを考えてみましょう。よくあるのが、同じ人の「使用前」と「使用後」の比較です。しかし、これでは不十分です。
ダイエット食品の試験に参加する(試験参加者を『被験者』といいます)ことを想像してみてください。「これを食べると痩せるかどうか調べます」と言われて試験に参加すると、どうしても行動に影響を受けると思います。例えば、暴飲暴食を避けたり、いつもより全体の食べる量を減らしたり、無意識にしてしまうかもしれません。ですから、「使用前・使用後」の比較では不十分なのです。そのような影響を除いて、ダイエット食品自体の効果を知るには、同じように実験に参加していながら、ダイエット食品は食べていない、という人と比較する必要があります。これが<対照群との比較>です。「ダイエット食品を食べた人」と「食べていない人」など、実験上分けられたグループのことを、『群(ぐん)』と呼びます。
このとき、
調べたい薬や食品などを投与した人たちの集団=実験群
調べたい薬や食品などを投与していない人たちの集団=対照群
といいます。
(ポスターの、「一般的な実験では、変数をすべて統制したものを対照実験とします」というのは、実験で効果を調べたい操作の影響を一切受けない(変数をすべて統制)ものを対照として、それと比較するという意味です。)
ただし、二つの群の年齢や性別、普段の食生活などが偏っていると、正しく比較できません。例えば、どちらの群に入るか、参加者の希望で選んでもらうと、「ダイエットの意思がより強い人がダイエット食品群に集まる」などの偏りが生じます。ポスターの文章の「実験群と対照群は、無作為に割り付けなければなりません」というのは、このような偏りをなくすために、どちらの群に誰を入れるかはランダムに(例えばくじ引きなどで)決める必要があるという意味です。
しかし、まだ問題はあります。この実験で自分が「ダイエット食品を食べる群」か「食べない群」のどちらか、知っていれば、やはり行動に違いが出そうです。ダイエット食品を食べた人たちだけ、全体の食事量を制限したとか、運動したとかになると、正しく比較できなくなります。また、実験をする側(例えば医師やメーカー)が、実験群の被験者にのみ、運動するよう指示する可能性もあります。そういった影響を極力除くためには、誰がどちらの群か、被験者や実験者にわからないようにする必要があります。これを<盲検試験>といいます。
以下で、「対照群との比較」及び「盲検試験」について、詳しく紹介します。
対照群との比較
ある製品の効果を客観的に評価するには、「その製品を使わなかった場合」と比較しなければなりません。比較による客観的な評価方法については、菊池誠先生のこれが参考になります。
- ニセ科学とつきあうために, 菊池誠 13 個人的体験と客観的事実 より引用(図も)
では、たまたまではないことをどうやって確認するのか。病気の原因を調べる疫学の考え方が役に立ちます。一番の基本は「2かける2表」を作ることです。たとえば、お祈りの効果を知りたいとしたら、お祈りをした場合やしなかった場合の結果をたくさん集めて、以下の A から D を埋めます (何回ずつあったかを書けばよい)。
体験談は A だけです。でも、もしかすると A と B は同じくらいの数かもしれない。それならお祈りに効果はありません。あるいは、A は B の二倍くらいだけど、C も D の二倍くらいかもしれない。そうだとすると「効果あり」が多いのはお祈りの効果ではないわけです。もちろん、自分でこの表を埋めるのは難しいでしょう。でも、「効果があった」という体験談を見聞きしたら、いったいこの表がちゃんと埋まっているのかどうかを考えてみてください。だいじなのは、A にどれだけたくさんの数字が書かれていても、B から D までに数字がはいっていなければ無意味だということです
上の例は「お祈り」ですが、これが健康食品や薬の評価でも同じです。
薬の臨床試験ならば、「調べたい薬(健康食品)を投与した人たち」と、「投与しない人たち」について、他の条件はできるだけ揃えた上で、「症状が改善した人」と「改善していない人」の割合を比較します。そうすれば、上の4x4の表を埋めることができます*2。
盲検試験
盲検試験とは、「実験群か対照群かがわからない状態でやる試験」を指します。「薬を飲んでいる」と知っていること自体が体調に影響することがありますし、行動にも影響する可能性があります。こういった影響を除くためには、被験者に自分が「実験群が対照群か」を知られないようにする必要があります。もし「薬を投与しない群」に本当に何も投与しなければ、自分がどちらの群かすぐ分かってしまいます。そこで、「プラセボ(偽薬、プラシーボとも)」が使われます。「対照群」に、見た目は薬だが、有効成分は含まないニセの薬、「プラセボ」を飲んでもらうのです。
実は、プラセボを飲む群と、まったく何もしない群を比較しても、結果に差が出ることが知られています。プラセボを飲んだ場合でも、「自分は薬を飲んでいる(かもしれない)」と被験者が考えることの影響自体があるのです。このような影響を「プラセボ効果」といいます。
- プラセボ効果とは何ですか?, 製薬協
ここで注意が必要なのは、「プラセボ効果」そのものは、実際の薬を飲んだときにもあることです。「プラセボ効果」は薬の効き目のうちの「下駄」のようなものであって、薬効成分の評価はこの「下駄」を脱がした状態で(=プラセボを投与した群との比較により)調べる必要があるのです。
実はこの「プラセボ効果」も、けっこう奥が深い話だったりします。もっとくわしく考えてみたい方にはこのページが面白いかもしれません。
- 『誤用される「プラセボ効果」』の誤用と「プラセボ効果」のそもそも論, Not so open-minded that our brains drop out.
実験をする側(医師)も、本物の薬かプラセボか知らない状態で行う試験を「二重盲検試験」と言います。医師といえども人間ですから、効果が期待される患者に対して処置を実施するなどの故意が生じたり,処置を実施したのだから効果があるはずといった先入観が評価に反映される可能性があるので、その影響を覗くために二重盲検試験が行われます*3。
ただし、二重盲検試験はできなかったり、倫理的に不適切な場合があります。たとえば、比較したいのが「注射と錠剤」のばあい、本来ならどちらの群にも注射と錠剤の両方を投与する(ただし片方の薬はプラセボ)ことになりますが、例えば無駄に毎日注射をすることになると被験者はかなり痛い思いをします。
また、すでに確立された治療法があったり、薬を与えないことで重篤な結果になったりする場合には、プラセボを用いた対照試験を行うことは倫理的に不適切と考えられる場合があります。薬の臨床試験では、新薬と現在の標準的な治療を比較することが多いようです。
- CIOMS倫理指針 指針11:臨床試験における対照の選択,福岡臨床研究倫理審査委員会ネットワーク
「RCT(ランダム化比較試験)」は最強の臨床試験
「ランダムにグループ分けした被験者の集団同士を比較する試験」を「RCT」といいます。日本語では「ランダム化比較試験」です。
Randomized(ランダム化):ランダムにグループ分けする
Controlled:比較対照群(プラセボまたは他の薬、治療法など)と比較する
Trial(試験)
Evidence Based Medicine(EBM, 根拠に基づく医療)という言葉を聞いたことがあるかもしれません。EBMでは、治療法のエビデンス(根拠)を研究デザインの質で格付けしています。その一位は「複数の質の高い研究の結果を合わせて解析したもの(システマティック・レビューメタアナリシス)」で、その次が「一つ以上のRCT」となります。つまり、単独の試験としてはRCTが最強(もっとも質が高い)と言えます。
基本的には,真実に最も近い結果が得られる研究デザインが上位に格付けされます.例えば,最も交絡やバイアスなどの影響が少ない研究デザインはランダム化比較試験(RCT)です。したがって,多数のRCTに基づいたシステマテックレビュー(メタアナリシス)が最も真実を示す可能性が高いものとして位置づけられています。ついで,単独のRCT,非ランダム化比較試験,観察研究と続き,最も下に位置づけられているのが患者データに基づかない専門家委員会や専門家個人の意見となります。
以下に治療の有効性においてエビデンス・グレーディングが高い順に研究デザインを並べます(引用:財団法人厚生統計協会:図解 国民衛生の動向,p12,2000)。エビデンス・グレーディング
- システマテック・レビューまたはメタ・アナリシス
- 1つ以上のランダム化比較試験による
- 非ランダム化比較試験による
- 分析疫学的研究(コホート研究や症例対照研究)
- 記述研究(症例報告や症例集積)
- 患者データに基づかない,専門委員会や専門家個人の意見
エビデンス・グレーディング:研究デザインの重要性, Study Channel
なお、「動物実験による結果」のエビデンスとしてのランクは低いです。動物とヒトでは結果が同じとは限らないからです。上記のリストには動物実験は含まれていませんが、一般的には最下位の「専門家の意見」等と同ランクに分類されることが多いようです。「動物でのデータしかない」ものは、「かなり根拠が薄い」と考えるほうがよいと思います。
「なんちゃって実験」は科学的証拠にならない
薬が承認されるまでには、原則として二重盲検のRCTによる臨床試験を行い、統計的に「効果あると言えるかどうか」を調べます。
しかし、広告などに出てくる「実験」を見てみると、対照がなかったり、盲検試験でなかったり…といろいろと問題があることがほとんどです。科学的な実験にも、信頼性のレベルがいろいろと存在しているのです。まして、科学的と言えないレベルのなんちゃって「実験」では、客観的な証拠とは言えません。
「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(5)小さすぎるサンプルサイズ/代表的でないサンプル
6. 小さすぎるサンプルサイズ(難易度☆☆☆☆☆)
試験では、サンプルサイズが小さくなるほど、得られる結果の信頼性が低くなります。サンプルサイズが小さくなるのを避けられない場合もありますが、そこから導き出された結論については、上記のことを念頭に置いて検討するべきです。サンプルサイズを大きくすることが可能なのにそれを避けている場合には、疑念を抱く理由になるかもしれません。
7. 代表的でないサンプル(難易度☆☆☆☆)
ヒトを対象とした試験において、研究者は、母集団を代表するような個人を抽出するように努めています。もしサンプルが母集団全体と異なるものであれば、試験の結論もたぶん異なってしまうでしょう。
対処法の例:「アンケート結果」「調査結果」は、どういう集団に調査をするかで結果が変わることを意識し、調査対象や調査方法に気を付けてデータを見るように心がける。
このシリーズですが、ここからはいわゆる「ニセ科学」の世界にとどまらず、「科学的な研究の質を見抜く」領域に足を踏み入れることになりますので、少し難しいかもしれません。ただ、ニセ科学と呼ばれるもの、また誇大な広告等では、「極端に質の低い科学研究」を持ってきて「科学研究の結果だから事実である」というように扱うことがあります。実際には科学研究の結果と言ってもピンキリで、質の低い研究や、再現性が確認されていない研究では、信頼性は高くない、ということを知っておくことで、このような騙しのテクニックに載せられにくくなるのではないでしょうか。
さて、今回の項目にはいくつか専門用語が出てきます。統計の用語です。統計学、というとすごく難しそうで腰が引ける人も多いのではないでしょうか。うさじまも実はそうです。数学がとても苦手なのです。なので、統計の具体的手法ではなく、統計を使わなければ知ることができないのはななにか、という観点から、ここに出てくる用語(つまり、統計学で用いられる概念)を説明してみたいと思います。
母集団とサンプル(標本)
統計調査でいちばん身近なものの一つが視聴率調査だと思います。
- 視聴率調査について(視聴率ハンドブック), ビデオリサーチ
視聴率調査でいちばん有名なやつは、ビデオリサーチ社という企業がやっています。コストやいろいろな理由から、全世帯に対して調査をすることはできません。なので、一部の世帯を対象として調査を行い、そこから全体の値を推定して発表しています。このように、全体の一部を調査して、そこから全体の値を推定するときに、統計学が使われます。
- サンプリング手法, ビデオリサーチ社
視聴率調査を例に、「母集団」と「サンプル」を説明してみます。
視聴率調査では、「世帯視聴率」と「個人視聴率」を調べています。一般的に言われる視聴率は「テレビ所有世帯のうち、どのくらいの世帯がテレビをつけていたかを示す割合」だそうです。このとき、本当に調査したい対象は「テレビ所有世帯」すべて、ということになります。しかし、全世帯に対して調査することはできないので、何らかの方法で調査する世帯を選び、その世帯に対する調査結果から、全世帯での視聴率を推定します。この時、調査対象の世帯を選ぶことを「サンプリング」、選ばれた世帯を「サンプル(標本)」といいます。この「サンプル」という言葉は、「全体(母集団)」に対して、「全体から抽出された集団」という意味を持ちます。サンプル(調査対象)を選ぶ時に、偏りがあると(例えば、高齢者ばかり選んでしまうとか、女性ばかり選んでしまうなど)、正しく全体の値を推定することが難しくなります。なので、できるだけ、全世帯と同じような人口構成になるように、偏りなく、調査対象を選ぶ必要があります。つまり、「ランダムに抽出する」わけです。上記の「サンプリング手法」のページに、詳しい方法が書いてあります。
まとめると、
- 視聴率調査で知りたいこと=テレビ所有世帯のうち、どのくらいの世帯がテレビをつけていたか
- テレビを所有する全世帯=本来知りたい集団=母集団
- テレビ所有世帯全体から、実際調査を行う対象となる世帯を選ぶ操作=サンプリング(標本抽出)
- 視聴率調査の対象となった世帯の集団=サンプル(標本)
人間を対象とした研究(臨床試験や健康調査など)でも、本当に知りたいのが、例えば「日本人の喫煙率(日本の成人のうちどのくらいの人がタバコを吸うか」だったとして、全成人を対象に調査することはできませんから、ランダムに抽出して調査し、その結果から、日本全体の結果を推定するわけです。
「母集団」、「標本(サンプル)」を簡単な図にすると以下のようになります。
統計調査の質を決める「標本(サンプル)」
全体を調べることができない、調べるのが妥当でない場合(研究のほとんどがそうです)、その質を決めるのに大きな役割を果たすのが「適切なサンプリング」です。「適切なサンプリング」とはすなわち「十分ランダムに」「十分なサンプルサイズ」でサンプリングすることなのです。
- 統計調査の目的は、「母集団の一部(サンプル)を調べて、母集団の性質を推定すること」です。
- 「サンプルサイズ」とは、サンプルの個数(人数)のことです。調べる対象の数が多い(サンプルサイズが大きい)ほど、調査の精度が高くなります。
- サンプリングの際に大切なのは、母集団の性質を反映するような、つまり「代表性をもった部分」を標本として全体から抽出することです。
- 疫学第4回:標本抽出法/誤差とその制御, 中澤 港
サンプルサイズは大きい方がいいといいますが、じゃあ実際どういう調査をするのにどれくらいの人数を調べたらいいのか。それを考えるには、統計学の知識が必要になります。具体的には、母集団内のばらつきや、どの程度の精度で結果がほしいのか等を考慮します。ですから、「この研究のサンプルサイズは小さすぎる!」というツッコミを素人が入れる、のは実際かなり難しいと言えます。例え統計の知識があっても、調査のやり方や疫学の知識が相当ないと、難しいのです。例えば「視聴率調査って言うけど、これだけの世帯数しか調べてないなら、本当のことはわかんないじゃん」というツッコミが妥当かどうかを真面目に考えようとすると、実は相当な知識が必要になります。
もう一つ、サンプルの代表性を高めるのに必要なのが、できるだけランダムに対象を選ぶことです。選ぶ人の主観が入ったり、特定の性質を持った人が選ばれることがないようにする必要があります(例えば、ランダムに固定電話に掛けて質問する方法のアンケートでは、『日中家にいる人』や『固定電話を持っている人』が選ばれやすくなる、つまり比較的高齢な人の数が多くなる傾向にあります)。
これまで、ヒトを対象とした統計調査の話として書いてきましたが、サンプリングの重要性については、一般的な科学実験や、アンケート調査についても同様のことが言えます。
あやしいサンプリングの例
科学論文のサンプリングにツッコムほど賢くないうさじまですが、世の中にはかなり警戒して見なければいけない「調査結果」があるな、と思います。
- ウェブ等のアンケート…話のタネとしては面白いですが、どういう人を対象に、どういう質問で調査するか等が適当なことが多いです。「回答者がどういう人か、何人に聞いたのか、どういう媒体で聞いたのか、等を確認してから参考にするほうがいいでしょう。
- 化粧品や健康食品の広告にありがちな「使用者の○○%が満足しています」…満足している人だけが「使用者」としてカウントされていないでしょうか?
- テレビの「世論調査」…固定電話にランダムで掛ける、という手法は現代ではかなりバイアスのかかるサンプリング方法ではないかと思います。
2016.1.30 深海ラボxJAMSTEC@葛西臨海水族園
- 深海ラボ×JAMSTEC「ディープな東京、遠くて近い深海」, 2016.1.29-31
1/30のトークショー、「小笠原の深海と高熱温泉でみつかった風変わりな生き物」滋野修一氏(国立研究開発法人 海洋研究開発機構)に参加してきました。葛西臨海水族園の深海ラボは2度めです。前回はなんと3年前…!はやっ。
- 深海ラボ@葛西臨海水族園, うさうさメモ, 2013-02-11
滋野修一先生は、進化形態学・神経生物学・分子発生学がご専門で「新規の感覚・情報処理システムの探索およびデザインの進化」「熱水および超深海域の極限環境における環境応答様式の分子機構の解明」「深海域における生理活性物質、新規受容体、ポンプ分子などの探索」を研究されているそうです。
当日は、レクチャールームのフロアにマットが敷かれていて、靴を脱いで床に座って聞くスタイルでした。これだとリラックスしたムードになりますし、子供連れの方にもいいですよね。お話の内容は、滋野先生の行かれた、小笠原海域の深海探検と、海底の熱水に生きるヘンな動物についてでした。どちらも、貴重な写真や動画をたくさん見せていただけで、すごく興味深かったです!
小笠原海域の深海探検について
はじめにGoogle Earthで横須賀のJAMSTECから小笠原海域までの海底の地図を見せていただきました。小笠原が、海底火山の連なるところにあるのがよくわかります。横須賀から南へ、船で二日間かかるそうです。この航行に使われる海洋調査船ですが、1981年に「しんかい2000」の支援母船として建造、運用されてきた「なつしま」が、最近引退したそうです。
それから、無人潜水ロボット「ハイパードルフィン」と、ハイパードルフィンで潜水した時に撮影した動画等が紹介されました。コウモリダコの貴重な映像が見られて嬉しかったです。また、海底にカイメンやナマコ、クモヒトデなどの生物がぽつぽつと落ちているのは、神秘的な光景でした。
海底の熱水に生きるヘンな動物
海底の熱水環境について
こういった環境にはヘンな生き物がいろいろといる。
この日、特に詳しく紹介されたのが、「マリアナイトエラゴカイ」でした。
こちらで写真をみることができます。この生物は、ゴカイの仲間ですが、熱水の湧き出すすぐそばに巣を作って住んでいるそうです。身体全体が黄色く、その体内にはヒ素が蓄積しています。
マリアナイトエラゴカイを使った興味深い研究も教えていただきました。マリアナイトエラゴカイに、いろいろな化学物質を与えて反応を見るという実験です。
マリアナイトエラゴカイが
そして、先生が最も注目されていたのは、マリアナイトエラゴカイがリナロール(スズランの香りの化合物で、ビタミンDの合成中間体)を好むということでした。なぜ深海の生物が花の香りを好むのか?その仮説が、「熱水に住む生物が、ビタミン類を必要とするのではないか」というもの。そこから、深海中から、あらたな有用物質が見つかるのではないか、と期待されているそうでした。
この研究はめちゃめちゃ最新(JAMSTEC内部の人も知らない)とのことで、発表資料などはなさそうですが、去年のJAMSTECのシンポジウムで、関連のポスター発表があったようです。
マリアナイトエラゴカイにつては初めて知りました。またこういった生物が、湧水に含まれる鉱物などから、有用な化合物を合成しているかもしれないというのはとても興味深いお話でした。
世界初!? メンダコの卵と幼生の標本を展示
トークショーの後、いったんレクチャールームを閉めて、水族園のスタッフによる展示コーナーにチェンジ。目玉はメンダコの卵と幼生の標本です。
この展示コーナーには、メンダコに詳しそうなスタッフの方がいて、すこしお話を伺うことができました。また、その場に水族園発行のフリーペ―パー「SEA LIFE NEWS No.64 (2015 Nov)」が置かれていて、そこにもメンダコ飼育のレポートが掲載されていました。実は、前日にメンダコ飼育のトークショーもあったのですが、都合がつかず聞くことができず、残念だったのでよかったです。現在、葛西では約一ヶ月間の飼育実績があること、餌にはエビのミンチを与えていることなどを教えて頂きました。
氷漬けの深海ザメ。ラブカ、ミツクリザメ
スタッフの方が、ミツクリザメの口を開けてくれました!
メンダコの解凍標本。触ってもいいですよ、ただし生臭いですよと言われました。ちゃんとウエットティッシュも用意されていました。
タカアシガニ標本。かっこいい!!
一般展示から
見た目がアレな生物として有名な「カワテブクロ」。実物初めて見ました。写真で見るよりちゃんとカワテブクロ感ありました。まあ、でもやっぱりアレっぽい。
葛西といえば、マグロ水槽のマグロが死んでしまった悲しいニュースが去年ありました。スタッフのみなさんの努力の甲斐あって、マグロ復活してます!
- Night of Wonder 夜の不思議の水族園@葛西臨海水族園, うさうさメモ, 2014.8.17
この記事に載せた写真に比べると全体に小ぶりに思えたマグロたち。このまま、元気で育っていって欲しいです。
畝山智香子著 「健康食品」のことがよくわかる本
- 作者: 畝山智香子
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2016/01/12
- メディア: 単行本
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本書を、感想をブログで書くということで寄贈いただきました。正直「健康食品」についてはあまり詳しくないのですが、「一般向けの本なので、むしろ非専門家の方に読んでもらいたい」とのことでしたので書かせていただくことにしました(こういう風に紹介してくれとか、どういう内容を書いて欲しいみたいなことは一切言われておらず、自由に書いています)。
本書は5章から成り、第一章「医薬品はどう安全なの?」第二章「食品が安全とは?」第三章「食品と医薬品の間に何があるの?」第四章「食品の機能表示とはどういうもの?」終章「食品の機能とはそもそも何?」という構成になっています。
うさじまにとって「健康食品」はほとんど縁がない存在です。広告も胡散臭く感じるし、特に必要性も感じないので買ったことはほとんどありません。また、食事については「カロリー、脂肪、塩分を過剰摂取しない。野菜をなるべく食べる。甘いものを食べ過ぎないようにする*1。食中毒に注意する」ということに気をつけているくらいで、特に「健康にいいものを食べたい」とかは思っていないタイプです。でも、読んでみると非常に興味深い内容でした
以下、「食の安全」や「食と健康」にそこまで深い興味を持っていなかったうさじまが本書を読んで「健康食品」について考えたこと、学んだことを簡単にまとめてみます。
「健康食品」を考える上で大切なこと(1)「食べて健康になるとはどういうことなのか」
食事が私たちに大きな影響を及ぼすのは間違いないです。しかし、実は「食の影響」と言った時に二つの意味合いがあるのです。
- 普通の食品をどう食べるかの影響。食べる量や調理法、野菜の摂取量、塩分の摂取量など。明確で大きな影響を持ち、栄養学などの既存の学問でよく研究されている。
- 特定の食品や成分について、医薬品のような影響を期待するもの。
2番目の「食品の機能」について、本書の第三章、第四章で法的規制や例を挙げながら、丁寧に説明されています。いわゆる健康食品を扱う企業などは、この2番目の、いわば医薬品ライクな機能をウリにしていることが多いのです。そのため、食品の機能性表示については国によっていろいろな規制が設けられていて、基本的には、表示には科学的根拠が求められます。しかし、その科学的根拠は医薬品とは比較にならないほど弱く、特に国内のトクホなどでは海外の機能表示の審査で根拠不十分として却下されたものが通っていたり(p.133)、査読のない詐欺的なオープンジャーナルに掲載された論文が根拠とされていたりするそうです(p.177)。
食品の健康への影響を考えるとき、実際には1番目の「普通の食品をどう食べるか」の方が明らかに大きな影響があり、そのためよく研究もされています。本書では例として、血圧が気になるなら「血圧が高めの方へ」という健康食品よりも、ナトリウムとカリウム(塩)の血圧への影響の方が、比べ物にならないほどの質と量のデータがあり、そっちをまず気にするべきだ、ということが書かれていて(p.202)、なるほどと思いました。
また、マルチビタミンなどのサプリメントについても、効果はあくまで「足りないものを補うこと」であり、米国での研究で、「マルチビタミンサプリメントを使用している人はそもそもビタミンが不足していない(十分な栄養を採っている)/食生活が問題で栄養不良となっている集団ではマルチビタミンサプリメントを使用していない」という結果になり、実際公衆衛生対策としてビタミンやミネラルの添加を行う場合には、パンに添加するなど特に意識しなくても必要な人たちに届くようにするとあり(p.81)、考えさせられました。
食品で健康を維持するには、普通の食品を「健康的に食べる」こと。つまり「健康な食」とは、身体が必要とする栄養素を過不足なく摂取することであり、何か特別な付加価値を求めるというのはちょっと違うんだな、ということを改めて思いました。
「健康食品」を考える上で大切なこと(2)「食の安全とはなんなのか」
「食の安全」と言うと、普通「食品添加物」「残留農薬」「中国産」「偽装」などと言ったトピックが浮かびがちなのですが、実はこういった問題は食品の安全性全体の中では大きい問題ではないそうです。こういったものにたいしては、リスクの研究が詳細に行われていて、監視もされています。(p.31)。
実は食品そのものが、未知の、膨大なリスクの塊であることが、食品のリスク分析の出発点となります。私たちが日常食べているコメなどの食品の成分もすべてわかっているわけではないのです。さらに、調理によってどういう化学変化が起き、どういう物質ができるのかについても、知られていない部分はたくさんあります。けど、今まで食べてきた実績があるし、私たちは自分たちが食べる普通の食物について知り尽くすことはまだ当分できませんから、「完全にわかるまで食べない」というわけにはいかない。なので、私たちは「普通に」食べているのです。でも、未知のリスクは常に残っている。
だから、「わかっているリスクには十分考慮し、わからない部分によるリスクを最小限にするために、リスクを分散する=いろいろなものを食べる」ことが、食の安全にとってベストな方法となります(p.38)。
そして、「健康食品」として一つの食物を大量に食べたり、今までやってなかったような食べ方(加熱して食べられてきたものを生で食べたり、今まで食べていなかった部位を食べる等)で食べたりするのは相当リスキーな行為と言えるのです。しかし、多くの消費者はこのリスクを把握していないのが現状です。
第二章では、こういう「健康食品」として偏った食べ方をしたことによって起こった健康被害の実例がいろいろ挙げられていました。その中にはうさじまも雑誌などで「話題の食品」として見かけたことがあるものもありました。
「健康食品」を考える上で大切なこと(3)「健康食品」と「医薬品」の違い
本書は、まず医薬品の有効性・安全性の試験についての詳しい解説から始まるので、「健康食品の話は?」という感じになるかもしれません。が、健康食品というものを理解する上で、医薬品がいかに「安全性、有効性を科学的に証明すること」を本気でやっているのか、時間とお金をかけているのか、を知ることがキモになると、この本を最後まで読むとよくわかります。
健康食品と医薬品の最大の違いが、この「安全性、有効性に関するデータ」の有無にあるからです。 医薬品の価格は、高価ですが、原材料費の問題ではなく、主にこの安全性、有効性を担保するための膨大な情報や制度の対価なのです。だから、薬はどれくらいの量を飲めば効果があって、どれくらいの量を飲んだら危険があるのかわかっているし、薬を飲んで身体に異変があれば医師や薬剤師に相談することで適切な対応が取られる可能性が高いのです*2。
また、もう一つ重要なことは、医薬品開発ではそれぞれのステップで「効果がない」とか「許容できない副作用がある」ことがわかり、この薬はダメだとなったら容赦なく開発中止になるということです。それまでにどんなに開発費用もお金もかけていても、です*3。
これに対して「健康食品」は、その機能をうたいながらも、医薬品並の有効性の根拠はありません。また、健康被害があっても、データがないので医師も対応しきれないことが多いのです。ですから、健康食品はハイリスクなのに、メリットが得られる見込みが少ないと言えます。
「終章」では、「健康食品」についてかなりバッサリ斬られています*4。多くの場合、「医薬品はちょっと怖いから、健康食品でなんとかならないか」と考えがちです。しかし、食品であっても医薬品であっても、身体に何らかの効果があるならば、必ず副作用もあります。「健康食品」は効果についても副作用についても、よく分かっていないから、都合よく「効果はある、副作用はない」ということになってしまっているだけなのです。
また、特になんの(プラス面もマイナス面も)効果もない健康食品であっても、「これを食べてるから大丈夫」と思って本来必要な投薬や食事制限などを怠ってしまうことも、健康食品のデメリットの一つとして挙げられていました。
科学と情報、そして産業
上記(1)(2)で紹介したように、食品のリスクについても機能についても、現実に大きな意味を持つことと、多くの一般市民が気にしていることがズレている、という問題があります。
<食品の機能について>
- 本当に気にするべきこと:普通の食品をどう食べるか。
- 過剰に気にされていること:特定の食品や成分の持つ特別な効果に期待する。
<食品の安全性について>
- 本当に気にするべきこと:どんな食品にもリスクがある。既知のリスクは減らすように努力し、未知のリスクは分散することでできるだけ回避する。
- 過剰に気にされていること:食品添加物、残留農薬などの特定の化学物質(実際には十分低減され、監視されている)。
このような状況の背景には、食品に付加価値を付けて売ろうとする企業と、人々が読みたがる話題を提供するために不正確だったり先走った報道をしているメディアがあることを、本書では指摘しています。そのため、私たち消費者が受け取ることができる情報が非常に偏ったものになっています。
また、科学研究はすぐに白黒答えが出るものではなく、一旦有力に見えた仮説でも研究の結果覆されるということがよくあります。しかし、「○○が身体にいい」などの情報がいったん広まり、それを元に「健康食品」が作られてしまうと、後の研究でその効果が否定されても、製品やその宣伝は残り続けてしまうという問題もあります。医薬品の場合は、効果がなければ開発を続けることができないというしくみ(効果が証明できなければ開発の次のステップに進めないため、承認を得て販売することができない)があるのですが、食品にはそれがないためです。
科学研究と情報を扱うメディア、そして健康食品産業の関係については本書の第四章、終章で取り上げられています。当ブログで扱っている話題にも通じるところがあり、勉強になりました。
- 関連記事:うさうさメモの『ダメな科学』を見分ける話
まとめ
本書を読んで理解した、「健康で安全な食」とは、結局、「いろいろなものをバランスよく食べる」ことのようです。これは、栄養面でも、リスク分散の面でも有効です。逆に、「健康に良いから」と、一つのものを大量に食べるのは、これの真逆であり、食品安全の考え方に反するものです。
雑誌やテレビなどのメディアでは、次から次へと、「話題の食品」が取り上げられ、それがスーパーに並びます。「○○にいいから買ってみよう」と手に取るとき、もしかすると、人々は「おまじない程度」の期待で、半分は娯楽として、新しい何かを買ってしまうのかもしれません。それはそれで、「いけないことだ」とまでは言えないと思います。しかし、もし重大な病気になるなどシリアスな状況になった時に、「おまじない程度」の藁にすがってなんとかしようとするのは危険です。人は、苦しい状況や、恐怖に追い詰められれば、合理的な判断がなかなか難しくなってしまうものです。そういう状況になる前に、「健康食品」の背景について知っておくのは悪くないと思いました。
本書は豊富な事例を交えて、「健康食品」とはどういうものなのか、「健康食品」に関する情報がどう作られるのか、そして、食品のリスクと機能についてを示してくれます。法律やシステムの仕組みの解説が多いので少し読みにくいところもありますが、「健康食品」をよく利用する人や、雑誌やテレビなどに次々と出てくる「話題の食品」が気になる人、身の回りに「健康食品」好きがいる人が一読するととても役に立つと思います。また、うさじまのように特に「健康食品」に興味がなくても、食品の安全と機能についての基本的な情報を得るのにいい本だと思いました。
みなさまよいお年を
本記事が今年最後の更新となります。今年は更新回数が減ってしまいましたが、えるかふぇで酵素のお話をさせていただいたり、田口さんとのコラボレーションさせていただいたりと、自分なりに有意義な一年であったと感じています。当ブログの記事作成にご協力下さった皆様(形にできなかったものもあり申し訳ありません)、読んで下さった皆様、はてブして下さった皆様、サイトやSNS等で紹介して下さった皆様、誠にありがとうございました。来年もペースは今のような感じになってしまうと思いますが、よろしくお願いします。特に田口さんとのコラボは時間はかかっても完走しますので何卒お付き合いくださいませ。
年末ですので、今年作成した中で反響が大きかった記事ベスト3を載せておきます(ブクマ数のランキングです)。
1位:WHOはインフルエンザワクチン接種を推奨している, 2015-01-23
今年もインフルエンザワクチンは話題でしたね。Togetterのまとめも作成しました。こちらもかなりの反響がありました。やはり関心を持つ人が多いようです。予防接種するかどうかの決断が毎年あるからかもしれません。
- 医療関係者はインフルエンザワクチンをどう考えているのか?, Togetter
2位:アスパルテームで虫は殺せない-甘味料の「噂」を調べてみた, 2015-11-04
こちらはデマの内容も、調べた結果も面白かったと我ながら思った記事です。ネタ提供から調査まで、ほぼTwitterでの情報提供によって書けてしまった記事でもあります。みなさまどうもありがとうございました。引き続きタレコミもよろしくお願いします。
3位:シャンプー・羊水・経皮毒, 2015-06-28
あれ、今年だっけ?ってくらい、定番の脅し話。一度ひろまった与太話はゾンビ化してさまよい続ける、ということですね。この記事は、科学関連のデマに興味がありそうな層を超えて、広く読んでいただけたのも嬉しかったです。
それではみなさま、良いお年を。来年もよろしくお願いします。
2015年12月17日WHO ワクチンの安全性に関する諮問委員会 HPVワクチンの安全性に関する声明
- 「エビデンス弱い」と厚労省を一蹴したWHOの子宮頸がんワクチン安全声明, 村中璃子, 2015.12.21, WEDGE infinity
上記記事で取り上げられたWHOの声明の当該部分を訳してみました。毎度ですが、うさじまは医学・翻訳の専門家ではありませんので、用語の間違い等があるかもしれません。あくまでご参考、ということでおねがいします。
この声明はWHOのGACVS(ワクチンの安全性に関する諮問委員会)という専門家の委員会が出したもので、去年の3月にも同じようなものが出ていますが、これは厚労省の資料として翻訳したものを見ることができます。
- WHO ワクチンの安全性に関する諮問委員会 HPVワクチンの安全性に関する声明, 2014年3月12日
コピペできないpdfなので、直接ごらんください。
今回の声明です。具体的な調査報告の部分はとばして、最初の段落と日本に言及しているところを訳してみました。ちょっと読みやすくレイアウトも変更しています。
2006年に初めて承認されて以来、世界で2億回分以上のHPVワクチンが出荷されている。世界保健機関(WHO)は、以下の条件において、HPVワクチンを国の予防接種プログラムに導入することを推奨する。
- 子宮頸がん及び/またはHPV関連疾患の予防が継続的に公共の健康上の優先事項となっていること。
- ワクチンの導入が計画的に実現可能であること。
- 継続可能な資金が確保されること。
- 当該国または地域における予防接種戦略の費用対効果が考慮されること。
GACVSはHPVワクチンについて生じた安全上の懸念について体系的に調査し、いくつかの報告を発表してきた。本日まで、本ワクチンに関する推奨を変更をきたすような安全性への問題は確認されていない。
Since first being licensed at the beginning of 2006, more than 200 million doses of HPV vaccines have been distributed globally. The World Health Organization (WHO) recommends that HPV vaccines be introduced into national immunization programmes provided that: prevention of cervical cancer and/or other HPV-related diseases constitutes a public health priority; vaccine introduction is programmatically feasible; sustainable financing can be secured; and the costeffectiveness of vaccination strategies in the country or region is considered1 . The GACVS has systematically investigated safety concerns raised about HPV vaccines and has issued several reports in this regard2 . To date, it has not found any safety issue that would alter its recommendations for the use of the vaccine.
日本が、被接種者における持続する疼痛その他の症状によって、国による定期接種の積極的な勧奨が差し控えられている状況にあることについては、追加コメントが必要である。国の専門部会による臨床データの評価の結果、これらの症状はワクチンと無関係であるという結論が得られたが、HPV予防接種(訳注、日本国内ではHPVワクチンは『子宮頸がん予防ワクチン』と呼ばれている)を再開するという合意には達しなかった。その結果、若い女性が、本来なら避けられたはずの、HPVによるがんになりやすい状況にさらされている。GACVSがすでに指摘しているように、安全かつ有効なワクチンを使用しなければ、実質的な被害がもたらされる可能性がある。
The circumstances in Japan, where the occurrence of chronic pain and other symptoms in some vaccine recipients has led to suspension of the proactive recommendation for routine use of vaccine in the national immunization program, warrants additional comment. Review of clinical data by the national expert committee led to a conclusion that symptoms were not related to the vaccine, but it has not been possible to reach consensus to resume HPV vaccination. As a result, young women are being left vulnerable to HPV-related cancers that otherwise could be prevented. As GACVS has noted previously, policy decisions based on weak evidence, leading to lack of use of safe and effective vaccines, can result in real harm.
村中先生の仰るとおり、かなり強い調子で批判していると感じます。
文書の次の段落では、継続的な医薬品安全性監視や有害事象報告システムの改善が重要である、とされています。これは日本では非常に遅れている部分であり、実際このような問題が起こった際に「ワクチンの副反応なのかどうなのか」を科学的に検証することが難しくなって、混乱と問題の長期化を招いていると思います。今後、他のワクチンや医薬品でも同様な状況が起こるおそれがあります。
- The world must accept that the HPV vaccine is safe, Anne Koerber, Nature, 2015.12.1
(タイトル訳:世界はHPVワクチンが安全であると認めなければならない)
この声明の少し前にNatureに載った記事です。と言っても、これは論文ではなく専門家へのインタビュー記事(コラム)です。内容は、医学的な問題とは別のレベルでワクチンや薬などに対する社会的な不安が起こった場合に、どのような影響があるか、どうコントロールするのか、というような話。ここでも日本の話題が出ています*1。
いくつかの国では、政治家が科学の側につく。そうでない国では、彼らは少数派の意見に屈する。日本はHPVワクチンの副反応の報告に曖昧な反応を示した。すなわち、調査中はワクチンの「積極的な」勧奨を取り下げながら、希望者には供給し続けた。調査によって、ワクチンとの明確な因果関係はないとされたが、勧奨は中止されたままである。
In some nations, politicians side with the science. In others, they bend to minority opinions. Japan reacted ambiguously to reports of HPV vaccine side effects: it withdrew ‘proactive’ recommendation of the vaccine while it investigated, but continued to provide the vaccine for those who demanded it. The investigations found no clear causal link to the vaccine, but the recommendation remains suspended.
- The world must accept that the HPV vaccine is safe, Anne Koerber, Nature, 2015.12.1
この記事は、ワクチンをめぐる社会的な混乱の影響を軽視すべきではない、としています。たしかに、せっかく感染症を予防できる手段があるのに、社会的に受容されず、悪者扱いされて終わってしまってはとてももったいないです。
HPVワクチンの場合、性に関わるデリケートな問題に触れるものであったり、接種対象者が思春期であることなどから、導入に相当な慎重さが必要であったところを、現実には真逆であった…ということが大きいようです。
日本における現状については、毎回勉強になる「感染症診療の原則」がやはり参考になります。
上2つは情報の見方について、最後のエントリは自治体の調査のまとめとして、非常にわかりやすいです。
*1:サイトのコメント欄にも日本人からのコメントがたくさんついています。
「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(4)推測表現 (おまけ:「科学的風だけど実は科学的証拠ではないもの」の例)
5.推測表現(難易度☆☆)
研究結果からの推測は、まさに、単なる推測でしかありません。「〜だろう」「〜かもしれない」「〜の可能性がある」等の言葉には警戒しましょう。このような表現が用いられている場合、研究によって、その結論の確かな証拠が得られているとは考えにくいからです。
対処法の例:「今わかっていること」と推測は分けて考える。科学では一つ一つのステップを踏んで証明していくが、報道や広告ではしばしば数段飛ばしの推測がなされていることを念頭に置いておく。
科学記事の例
昨今論文として発表されるような科学研究の成果というのは、専門外の者からはその意義がわかりにくいことが少なくありません。科学研究というのは、はるか遠いゴールに向けて、一歩ずつ、地道に進んでいくものです。一歩=一つの研究の結果と考えると、その歩幅-つまり、研究の進み方-はとても小さかったりします。一般のメディアで報道されるような研究成果はその中でも比較的大きなもの(または重要なもの)でしょう。それでも、多くの人が考えるより、一つの研究で明らかになることは少ないものです。かなり適当ですが、モデルとして、「疾患Aの治療薬ができるまでの研究」をイメージして、例を考えてみました。
[研究1(Aという疾患がある)]
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[研究2(Aになる人には共通の遺伝子Bに変異がある)]
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[研究3(遺伝子Bはある物質Cの代謝に関わっている)]
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[研究4(Cは体内の特定の細胞Dに蓄積する)]
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[研究5(培養細胞では、DにCが蓄積すると本来作られるはず物質Eが作りにくくなる)]
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[研究6(Aを発症した人では細胞D内の物質Eが少ない)]
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[研究7(Aを発症するモデルマウスを作り、物質Eを与えてもAは改善しなかった。物質Eは細胞Dに取り込まれる前に分解されていた)]
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[研究8(物質Eを少し変化させた物質E'をモデルマウスに与えたところAに効果があった)]
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[研究9(E'がヒトでも効果があるか、安全に使えるかの臨床試験)]
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[研究の目的(疾患Aの治療薬の完成)]