アスパルテームで虫は殺せない-甘味料の「噂」を調べてみた

アスパルテームは殺虫剤で化学兵器
少し前にFB上でシェアされていたらしい噂です。Twitterで教えていただきました。

上記がシェアされていた記事ですが、同様の内容の記事はネット上にたくさん存在しますのでこれがオリジナルではないでしょう。あくまで一例として参照願います。

人工甘味料、特にアスパルテームについては様々な噂があり*1、また人体に対する影響については膨大な研究がなされていてちょっと調べきれないので、この記事ではアスパルテームの殺虫効果に絞って調査してみました。

なお、アスパルテームについての基礎知識としては以下のサイトが参考になると思います。「買ってはいけない」で紹介されたフェニルアラニン有毒説についての解説もあります(フェニルアラニンは、先天性のフェニルアラニン代謝障害である「フェニルケトン尿症」の患者では、成人までは摂取量を制限すべきとされています。ただし、フェニルアラニンはタンパク質を構成するアミノ酸の一種であり、アスパルテームの他にもいろいろな(天然の)タンパク質に含まれています)。

アスパルテームは一見ややこしい構造ですが、実はアスパラギン酸フェニルアラニンという2つの天然アミノ酸が結合したものです。これらは前項のグルタミン酸同様タンパク質の構成成分であり、人体にとって絶対必要な化合物です。要するにアスパルテームはたまたま強い甘味を持っているというだけの、ありふれたタンパク質の断片であるに過ぎません。

 アスパルテームは体内に取り込まれるとほぼ瞬時に2つのアミノ酸メタノールとに分解されます。もちろんアミノ酸は無害、メタノールには毒性がないでもありませんが、アスパルテーム分子全体に占める割合いが少ないため、普通に調味料として使う分には何の問題もない量です。コーヒー1杯に入れるアスパルテーム由来のメタノールの量は数mg程度ですが、一部の発酵飲料にはコップ1杯にメタノールを300mgも含むものがあり、この程度では健康に影響を起こすことはありません。

(中略)

さて、「買ってはいけない」では、アスパルテームのもたらす巨額の利益に目がくらんだサール社や味の素が研究者を買収し、FDAアメリカ食品医薬品局、日本の厚生省にあたる)に圧力をかけて認可させ、販売にこぎつけたような記述がなされています。一企業に籍をおく研究者から言わせてもらえば、「そんなアホなことができるか!」です。どうもこの著者たちは、大企業というものは金の力にものを言わせてなんでもしたい放題と思いたがっているようですが、はっきり言って映画かドラマの見過ぎでしょう。残念ながらFDAはそんな甘っちょろい組織ではありません。国家権力がたかが一企業の圧力に屈するはずもなく、厚生省も薬害エイズ事件以降極めて慎重になっています。
アスパルテームをめぐる攻防戦はFDA史上最大と言われ、いまだに語り草になるほどのものです。FDAはやっきになって有害性を実証しようとしたにも関わらず、結局問題点は見いだせず、認可せざるを得なかったというのが本当のところです。

また、アスパルテームの「発見」についてはこちらも参考になります。

アスパルテームの甘味は,1965年にアメリカの製薬会社G.D.サール社(現在のNutra Sweet社)の研究員シュラッターが偶然発見した。彼は,胃液分泌促進ホルモン「ガストリン」の中間体としてアスパルテームを合成し,これを再結晶しているときに,パラフィン紙をとろうとして指をなめ,強い甘味を感じた。つまり,液が吹きこぼれて指に付着する偶然と,研究員の指をなめる癖とがあいまって,企業の研究方針とは無関係に,全く偶然にアスパルテームは発見された。

発見の経緯については、上記の他に「実験ノートについたのをなめたら甘かった」「実験台にこぼしたのをなめたら甘かった」などの異説がありますが、「ガストリンの合成実験中に偶然発見された」というエピソードは共通しています。「ガストリン」は上記にもあるようにホルモンの一種で、化学兵器とは特に関係ありません。



アスパルテーム殺虫剤説はどこからきたのか

FBでシェアされていたブログ記事にはアリがアスパルテームを食べて死んだという写真が転載されています。写真の出典元として2010年に書かれた海外サイトの記事がリンクされていて、アリがアスパルテームを食べてアリが大量に死んだとあります。また、アスパルテームの危険性を警告するようにゴミで蓋をしていた、昆虫は体に悪いものをわかっている、というようなことも書かれています。リンク先は「キネシオロジー」という代替医療を宣伝するためのもののようです。

日本語の「××は危険」情報の出どころとして非常に影響力が大きい「買ってはいけない」(1999年発行)ですが、「アスパルテーム殺虫剤説」は、「買ってはいけない」では触れられていません。アスパルテーム自体は「買ってはいけない」では執拗にdisられているのですが。

どうも、アスパルテーム殺虫剤説はもともと、英語圏でひろまった噂のようです。Twitterで教えていただいたのですが、英文サイトで以下のようなものがありました。

Snopes comは、噂検証サイトです。2006年に「収集」された噂の例として、アリをアスパルテームで殺したという話が書いてあります。Snopes comではこの「アスパルテームは世界最強のアリ駆除剤」という噂の元ネタを検証し「False」(ウソ)と判定しています。

(うさじま訳)
上にコピペした反アスパルテーム長談義の著者は、アスパルテームが「毒薬として開発され、甘味料としてのほうがずっと大きな収益源となりうることが明らかになった後に、毒性がないとされるようになったにすぎない」という部分を、2006年8月の風刺記事「FDAアスパルテームをアリ駆除剤として認証」というタイトルの記事からそのまま取ったとしています。

(原文)The author of the anti-aspartame screed reproduced above appears to have taken her information about aspartame's being "developed as an ant poison, and only changed to being considered non-poisonous after it was realized that a lot more money could be made on it as a sweetener" directly from a satirical August 2006 article titled "FDA Certifies Aspartame as Ant Poison,"

で、こちらがその「情報源」であるThe Spoof!の記事です。

確かに"developed as an ant poison, and only changed to being considered non-poisonous after it was realized that a lot more money could be made on it as a sweetener" という表現があります。

これについて、Snopes comでは以下の用に解説しています。

(うさじま訳)
「The Spoof!」というサイトに掲載されたこの記事は、免責事項として「上記の記事は風刺もしくはパロディとして書かれています。これはフィクションです。」と記載しています。そもそも、記事の体裁からも、ほとんどの読者が、実際この記事が悪ふざけ/パロディ(Spoof)であることが十分わかるようになっています。残念ながら、このパロディとホンモノの情報の混同は、インターネットで見られる多くの反アスパルテーム情報のクオリティの怪しさを象徴するものです。

The appearance of this article on a site called The Spoof!, along with its disclaimer that "The story as represented above is written as a satire or parody. It is fictitious," should provide most readers with sufficient clues for discerning that the article is, in fact, a spoof. Unfortunately, the mistaking of parody for factual information is representative of the dubious quality of much of the anti-aspartame information to be found on the Internet.

つまり、元ネタは虚構新聞」の記事のようなもんということです。元ネタが虚構新聞(みたいなもの)、という時点で解散、て感じですが、「噂」の投稿者は自分でやってみたら効果があった、と主張しているのです…。「The Spoof(悪ふざけ、パロディ)」というタイトルのサイトの記事をマジに取る、というのは理解不能な気もしますが、日本でも虚構新聞を初め「それをソースにしますか…」「あ、それ真に受けますか」ということは少なくないので、「自分に都合のいいことは信じたい」パワーに国境はないのかもしれません。

そして、Snopes comは、アスパルテームでアリを殺せるか実験までしています。この手の検証サイトで自分で実験してるのはすごいです。

(うさじま訳*2
試しに、簡単な実験を行った。3つの「アント・ファーム」(うさじま注・アリの巣を作らせて観察する教育おもちゃのようです)を用意し、収穫アリを放った。一つには(精製された)砂糖、砂糖水、砂糖を使用した製品を餌として与え、もう一つにはアスパルテーム(ダイエットコーク及びアスパルテームを使用した製品)を餌として与えた。対照群には、通常の水及び「アント・ファーム」の製造業者が推奨する(自然な)食物を与えた。アスパルテームを与えたアリは、生存しただけでなく元気に成長して、トンネルをたくさん掘り、他の2つの群とまったく同様に活発そうだった。

As a test, we conducted a simple experiment by setting up three Ant Farm brand live ant habitats and stocking them with harvester ants. The ants of one habitat were fed (refined) sugar, sugar water, and products made with sugar; the ants of another habitat were fed aspartame, Diet Coke, and products made with aspartame; and the ants of a control group were fed ordinary water and the types of (natural) foods recommended by the Ant Farm manufacturers. The ants that were fed aspartame not only survived but thrived, digging as many tunnels and appearing just as active as their counterparts from the other two habitats

元サイトには実験結果の写真が掲載されています。

また、テキサスの改良普及員(Extension officer)の組織「Texas A&M's Agrilife Extension Service」のサイトに、昆虫学者が民間の「アリ避け」を試す、という研究が掲載されていてアスパルテームを蟻塚の周りに散布しても効果がなかったという結果も紹介されています*3

(うさじま訳)
「世の中には、多くのヒアリ(fire ant)防除法に関するガセネタがあります。環境に責任を持つことや、益虫まで殺してしまったり、ペットに有害だったり、地下水に混入する可能性がある化学物質の使用を最小限にすることは重要なのですが、それでもなお、昆虫防除用と表示された市販の殺虫剤を思慮深く注意して使用することが、おそらく昆虫に対する最善の防御法なのです」とブラウン(うさじま注・アリ避け研究をした昆虫学者)は述べた。
“There’s a lot of misinformation about home fire ant control out there,” Brown said. “And while it’s important to be environmentally responsible and minimize the use of chemicals that may also kill beneficial insects, harm pets or possibly enter the water table, the thoughtful, careful use of commercial pesticides specifically labeled for control is probably still your best defense against them.”

この記事にあるように、米国では市民にとっても「アリ防除」はけっこう重要な問題のようで、アスパルテームだけでなくいろいろな「民間療法」が存在しているようです。逆に言えば、「他の生物に無害で、アリ防除に使える物質」には実用性があると言えます。もしアスパルテームが本当に有用なら、もっと真剣に研究されていることでしょう。

もちろん、アリ以外の昆虫についても、防除に使える物質は有用です。ハエに対する甘味料の毒性を調べた論文がありました。

タイトル訳:エリスリトール(非栄養性糖アルコール甘味料であり Truvia(うさじま注:甘味料の商標)の主成分)は好んで食べられる殺虫剤である

この論文、昆虫学者を父に持つ小学生の発見ということでも話題になっていました。論文の第一著者は若手昆虫学者の女性になっており、発見者のSimonは第二著者として名前が載っています。そして、責任著者がお父さんですね。掲載されたPLoS Oneというのはオープンアクセスジャーナルで、「研究手法とそこから導かれる結論が,科学的に記録する価値のあるものならが,その重要性は問わずに掲載する」というポリシーの雑誌です。査読では、「科学的な健全性のみを審査する」そうです(PLoS Oneについて詳しく知りたい方はこちらの記事が参考になると思います)。

論文の内容ですが、ごく簡単に要約すると以下のとおりです。

  • エリスリトールはヒトには無害であるが、ショウジョウバエに餌として与えると、寿命が短くなる
  • ショウジョウバエスクロース(砂糖)にアクセス可能な状況でもエリスリトールを摂取する
  • 以上のことから、エリスリトールをヒトに無害な殺虫剤として使える可能性がある

まず、エリスリトールについてですが、非栄養性、つまりヒトにはほとんど消化できないが甘みを感じるもので、天然ではキノコや地衣類などに含まれています。酵母も産生するようで、いろいろなお酒にも入っています。工業的には、ブドウ糖酵母によって発酵させて作るようです。化学的には「糖アルコール」と呼ばれる物質で、アスパルテームアミノ酸ですから、それとはまったく別物と言えます。

さて、論文では、このエリスリトールを主成分とするTruviaという甘味料、スクロース(砂糖)、コーンシロップ、その他の甘味料(アスパルテームスクラロースなど)をショウジョウバエに与えて寿命を調べる、という実験がメインとなっています。その結果がコレ。

エリスリトールを含む「Truvia」では寿命が大幅に低下している(生存率が、他の群よりかなり早く低下する。その他の群は生存率低下のパターンがだいたい同じ)のがわかります。比較対象は*4Sucrose(スクロース=砂糖)、Corn syrup(コーンシロップ)、Purevia(ステビアを含む甘味料)、Splenda(スクラロースを含む甘味料)、Sweet'N Low(サッカリンを含む甘味料)、そしてEqual(アスパルテームを含む甘味料)です。このデータから、アスパルテームには少なくともハエに対する毒性はなさそうです。さらに、ハエがエリスリトールを好んで食べたというデータもあり、昆虫にも「毒を見分ける能力」があるなんてことはないのがわかります*5

この論文では、エリスリトールのハエに対する毒性がどのように生じるのかについては検討していません。また、天然のエサとなる植物などにエリスリトールが含まれることもあり、消化できる昆虫もいます。「結論」にはこう書かれています。

(うさじま訳)
もちろん、昆虫に対して毒性があることが知られている甘味料はエリスリトールだけではない。例えば、マンノースはミツバチに対し有害であることが示されている。しかし、マンノースはショウジョウバエやチチュウカイミバエに対しては無害である。エリスリトールが他の昆虫に対して有毒かどうかについては、さらなる研究が必要である。

多くの文献により、エリスリトールがヒトに対する忍容性が高い(うさじま注:たくさん食べても、害になりにくい)ことが示されており、実際エリスリトールもTruviaも、全世界でヒトにより大量に消費されている。これらをまとめると、本論文のデータは、エリスリトールを新規で効果的、かつヒトに対して安全な昆虫防除法として研究するための土台を提供するものであると言える。

Of note, erythritol is not the only sweetener known to be toxic to insects. For example, mannose has been shown to be toxic in honey bees [15], [16]. However, mannose was not toxic to Drosophila melanogaster or to Ceratitis capitata [15]. Further study will be required to determine if erythritol is toxic to other insect species.

A large body of literature has shown that erythritol consumption by humans is very well tolerated [5], [17]–[19], and indeed, large amounts of both erythritol and Truvia are being consumed by humans every day throughout the world. Taken together, our data set the stage for investigating this compound as a novel, effective, and human safe approach for insect pest control.

この部分を見ると、甘味料(として利用されている糖など)が昆虫に毒性を持つことは珍しくないようです(マンノースは果実などに含まれる天然の糖の一種)。しかし、昆虫とヒトでは吸収、消化、代謝、排泄などのしくみがかなり異なりますから、昆虫に毒=ヒトに毒、とは言えません。論文でも、「エリスリトールはヒトに対して無害である」けど、「ハエに対しては有害である」から、昆虫防除に使える(かもしれない)ということを強調しています。

この研究は発見者が子どもであったというニュースバリューもあり、日本でも紹介されたりして、「やっぱり甘味料は危険だった!アスパルテームでなくエリスリトールも!!」と紹介されたりしていますが、そもそも論文の前提を理解せずに騒いでいるようなものです。

人工甘味料」「合成甘味料」はもちろん、時に砂糖(白砂糖)ですら、「危険だ」と言われることがあります。確かに糖の摂り過ぎはよくないでしょうが、「甘いものを食べること」への罪悪感のような潔癖さを感じる気もします。ローカロリーの甘味料については、昔「チクロ」や「サッカリン」などの毒性がかなり取り沙汰されたこともあり、「甘味料=なんか怖い」というイメージが強いという面もありますが、「甘いモノを食べて報いを受けないはずがない。なにか恐ろしいことが起こる」という呪いもあるのかもしれません。

それはともかく、(過程を全部追ったわけではないし、さらに元ネタがあるのかもしれないのですが)海外の「風刺」が日本に「真実」として伝わってくる、という例として今回は興味深かったです。

*1:日本語で「アスパルテーム」とgoogle検索すると、上位にThinkerを始めとした怪しげなサイトがズラズラ…。

*2:アリ飼育関連の用語が不正確な恐れが多々ありますがご容赦くださいませ…

*3:この研究結果のPDFファイルがあったようなのですがすでになくなっていました

*4:甘味料の成分については本論文のSupporting Information1を参照しています。

*5:え、アリとハエじゃ違うって?そうですね、ではアリとヒトではもっと違いますよね。

「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(3)「相関関係と因果関係の混同」

4. 相関関係と因果関係の混同(難易度☆☆☆)

相関関係と因果関係を混同しないように注意しましょう。「二つの変数に相関関係がある」ことは、必ずしも「一方が他方の原因である」ことを示しません。地球温暖化1800年代から進行しており、同時に海賊の数も減少していますが、海賊不足は地球温暖化の原因ではありません。

対処法の例:「○○が増えると××が増えた→○○は××の原因だ」の間に、なにか共通の背景があったり、統計を取る集団に偏りがあるなどの「ウラ」がないか、ということに注意する

  • 「××が増えたせいで、○○(がん・アトピー不妊症・自閉症etc)が増えている」
  • 「△△をよく食べる地域は寿命が長い。よって、△△は寿命を伸ばす(健康にいい)」

こういった情報を見たことがあると思います。今回のテーマは、相関関係があるように見える「ある原因」と「その結果」に、本当に原因/結果の関係がある(因果関係がある)のか?という話です。



「相関と因果」

「相関がある」というのは、ごく簡単に言うと「数Aが増える(減る)と、それに伴って数Bも増える(減る)」という関係にあることです。一方、「因果関係がある」というのは、「一方の増加(減少)が他方の増加(減少)の原因となっている」ことを指します。

この2つは、目に見える現象としては同じで、「一方が増える(減る)のと、他方が増える(減る)のが連動している」になります。しかし、「相関関係にある」からと言って、「因果関係がある」とは限りません。他に共通する要因があるとか、偶然そうなっていることがあるからです。

国立環境研究所環境リスク研究センターで化学物質のリスク評価の研究をされている林氏のブログで、「因果関係がないのに相関関係があらわれるケース」を紹介しています。本記事では、(1)偶然(2)因果の流れが逆(3)因果の上流側に共通の要因が存在する(4)因果の合流点において選抜/層別/調整されてしまっている、の4つのケースについて、わかりやすく解説されています。

また、以下の記事でも身近な例を挙げて相関と因果の違いについて解説されています。

 


「相関」と「因果」を知るための研究

さて、ここまででこの項目はだいたい終わりなのですが、もう少し詳しく知りたい方のために、一冊の本を紹介しておきます。

基礎から学ぶ楽しい疫学

基礎から学ぶ楽しい疫学

複数のできごとの相関関係や因果関係を知ることは、医学を含む科学研究の重要ないとなみの一つです。ヒトの健康については、実験で分かることは限られている(人体実験できない)ため、「集団の健康状態の分布を観察」することによって、健康に影響するいろいろな要因を調べています。このような学問を「疫学」といいます。例えば、喫煙者と非喫煙者の肺がん発生率を比べる、がん検診による死亡率の減少を調べる、薬の効果を調べる、などが疫学の研究対象になります。

疫学の歴史は、1850年代のイギリス(ロンドン)におけるこれらの流行をもって始まるといわれている。本来は麻酔科医であったジョン・スノウはコレラ患者の居住地を地図上にプロットしていき、患者が特定の井戸の周囲に集中していることを発見した(図1-1)。このことよりコレラはこの井戸水によって発生しているとして、この井戸を封鎖したところ、患者が減少した。また、表1-1に示すようにロンドンの2つの水道会社の供給人口と患者発生頻度を比較し、特定の会社の水が危険であることも指摘した。たお、この当時は水道会社といってもテムズ川から取水してそのまま(消毒もせずに)配水していただけであり、Lambeth社の取水口は市街地よりも上流に、Southwark社の取水口は下流にあったにすぎない。そして、し尿も当然のことながら、なんら処理もされずにテムズ川へ流されていた。

  • 「基礎から学ぶ 楽しい疫学」 第二版 p2-4, 中村好一, 医学書

この例では、「コレラ菌」という、病気の真の原因(病原菌)はまだ発見されてなかったにもかかわらず、「井戸」や「水道」と病気の発生率や死亡率の関係を調べることで、感染予防に役立てることができました。原因がわからなくても病気の予防が可能になるのは疫学の大きな強みですが、実は疫学研究で病気の原因を確定することはけっこう難しいのです。それは、「関連があること」と「因果関係にあること」が必ずしもイコールではないからです。

相関関係を調べるときは、調査をするときに生じる偏り(バイアス)にも注意が必要です。例えば、「副作用が心配されているある薬を飲んだ人と飲まない人の来院率」という調査を行ったとします。薬を飲んだ人は副作用が心配なので、ちょっとした体調の変化でも病院に行く人が増えるでしょう。そうすると、服薬した人で来院率が高くなります。この調査結果から「その薬を飲んだ人は体調を崩しやすくなる」と結論するのは適切ではないでしょう。

「病気の原因になりそうなことと病気の発生」の関係を観察する際に影響を与える第三の因子を「交絡因子」といいます。これも、調査結果に影響を及ぼします。例えば、観察する集団の性別や年齢は必ず交絡因子として扱います(毒物や薬の影響は大人と子どもで違いますし、がんのように年齢とともに発症率が変わる病気もあります)。「交絡因子」の影響を除かないと、病気の原因になりそうなことと病気の発生に本当に関連があるのかどうかは評価できません。「高齢化によるがんの増加」は、高齢化という交絡因子のわかりやすい例です。「高齢化」を無視して、「○○のせいでがんが増えている!」という論は非常に多いです。

他の例では、「ライターの所持」が「肺がんの原因(危険因子)に見える」というものもあります。実際の肺がんの原因はタバコなのですが、統計を取れば、「ライターの所持」と「肺がんの発生率」には関連があるように見えるでしょう。この場合、「喫煙」が見えない交絡因子として存在しています。

疫学研究では、このようなバイアスや交絡因子の影響を抑えるために、研究計画やデータ解析にさまざまな工夫をします。しかし、知識がない人が行った「調査」や、ある結論を導き出すための恣意的な研究では、偏りや交絡因子についてよく考えないまま行われたり、わざとその影響を利用していることなどがあり得ます。

また、「基礎から学ぶ 楽しい疫学」では、病気の原因になりそうなことと、病気の発生に統計上の関連が認められる場合に、そこに因果関係があるかどうかを判断するための「視点」も提示されています。

[:W360]

  • 「基礎から学ぶ 楽しい疫学」 第二版 p131, 中村好一, 医学書

(『曝露』は、『病気の原因になりそうなこと』と考えてください)

…と、このように深く考えるとけっこう難しいのですが、私たちとしては「○○が増えると××が増えた、だから○○は××の原因だ」の間に、なにか共通の背景があったり、統計を取る集団に偏りがあるなどの「ウラ」がないか、ということに注意するだけでも、けっこう怪しい情報を見極める役に立つのではないかと思います。


ちなみに、このポスターの「地球温暖化1800年代から進行しており、同時に海賊の数も減少していますが、海賊不足は地球温暖化の原因ではありません」というのは、ニセ科学を公教育に持ち込むことを皮肉ったパロディ宗教「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」の教義から来ているようです。

この記事について

田口たつみさん @tag_tatsumi とコラボさせていただき、「「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスターについての解説を作成しています。

過去記事

「和牛ですから安全です」

最近、外食で「食の安全」について不安になることが立て続けにありました。まずひとつは、居酒屋で
「手作り酵素ジュース使用 こうそサワー」
というメニューを発見したことです。

手作り酵素ジュースというのは、「酵素」と名乗る、その実は発酵食品である系統の健康食品*1の中でも、塩濃度やpH、材料の加熱による殺菌など、伝統的な発酵食品で用いられているような、雑菌のコントロールをほとんどなしで作ってしまうという、ハイリスクなものです。

「手作り酵素(ジュース)」というものもあるようで、クックパッドにもたくさんのレシピが掲載されています。こちらは、家庭で果物や野菜と砂糖をビンに入れ、時々手で混ぜながら放置して発酵させるそうです。このような作り方では、手や野菜やビンについていた菌を増やすことになります。酵素ドリンクづくりは雑菌を増やす作業をしているようなものです。このような製法での酵素ジュースに何が増えているか調べたまとめがあります。

こちらによると、カビがすごく、大腸菌群やブドウ球菌もいたりした、とあります。


酵素ジュースは、たぶん、果物表面に存在する野生の酵母(いわゆる天然酵母)を増やそう、というものだと思います。ぬか漬けや味噌など、家庭で発酵食品を作ることは日本で伝統的に行われてきましたし、パン作りでも野生の酵母を利用することはあります。しかし、昔から家庭で作られてきた発酵食品は、雑菌が増えにくいような、色々な工夫(発酵前に原材料を加熱することで殺菌したり、乳酸菌によって酸性に保ったり、塩分濃度を高くしたり、保存方法を工夫したり)によって、家庭でも雑菌の増殖を抑えて有用な微生物だけを増やす方法が確立されてきたものです。手作り酵素ジュースはその辺がかなり適当で、なにができるかは運次第、というものになってしまっているようです。

正直、プロとしてコレを客に提供する店があるというのは結構恐ろしいな、と思いました。もしかしたら、何か独自の工夫によって雑菌のコントロールをしているのかもしれませんけども…。



次に遭遇したのは、「和牛ハンバーガー」を扱うお店でのこんな張り紙。

まれにパテの中心部がピンク色の場合がありますが、当店では和牛を使用していますので安心してお召し上がりください。

えっ、「和牛だから安心」できるんですか?私の中の常識では「ひき肉はなんであれ中まで火を通さないとヤバイ」なんですけど…。このハンバーガーは結構な人気店で、わざわざ食べに行ったので、リスクを感じながらも注文してみたところ、ちゃんと中まで火が通っていたのでホッとしました

帰ってから牛肉生食の食中毒について調べてみました。

Q1お肉は生では食べられないの?
私たちの手の平や食べ物等には、様々な種類の細菌やウイルスが存在しています。なかでも、牛、豚などの家畜の腸内には、食中毒の原因となる腸管出血性大腸菌サルモネラ属菌などの食中毒菌が存在し、と畜場でお肉にする過程で、お肉やレバーに付着してしまうことがあるため、生で食べるのは食中毒のリスクを伴います。また、豚やイノシシの多くは、E型肝炎ウイルスに感染していることがわかっています。このウイルスは、豚の血液や肝臓からも見つかっており、生で食べることで人にも感染し、肝炎を発症し重症化することがあります。また、寄生虫についても注意が必要です。

Q4ハンバーグを焼くときに注意すべきことは?
ハンバーグは挽肉から作るので、動物の種類に関わらず、挽肉に付着している病原体が中心部まで入ってしまいます(表2参照)。多くの病原体は、75℃で1分間以上の加熱で死滅するので、中心部まで、火を通すことが重要です。ハンバーグでは、外側が焼けていても、中は生焼けになっていることがあるので、フライパンにふたをして、中火で中心部までじっくり火を通すことが大切です。ハンバーグ・つくねなどの挽肉料理は、中心部まで十分に火が通り、肉汁が透明になって中心部の色が変わるまで加熱すれば、食中毒の原因となる病原体は死滅し、おいしく安全に食べられます。

ひき肉料理に中まで加熱が重要な理由は表面に付着している病原体が中心部まで入ってしまっているから、なので、和牛かどうかは関係ないわけです。新鮮ならばいい、というものでもない。汚染率を見れば、ひき肉を生食するのはくじ引きみたいなものだと思えます。

生肉流通の基準について、調べてみました。

  • 牛(内蔵を除く)…生食用の基準がある。ただし加工時に以下のように表面を加熱する

枝肉から衛生的に切り出された肉塊を、速やかに気密性のある容器包装に入れ、密封し、肉塊の表面から深さ1cm以上の部分までを60℃で2分間以上加熱する方法又はこれと同等以上の方法で加熱殺菌後、速やかに4℃以下に冷却すること。また、加熱殺菌に係る温度及び時間の記録を1年間保管すること。
生食用食肉の規格基準について, 東京都福祉保健局

牛肉のユッケの食中毒事件(平成23年)後、生食用の牛肉については、表面から深さ1cm以上の加熱(60℃2分間)などを義務づける規格基準を設定しました。しかし、基準を満たしていても完全に腸管出血性大腸菌を除去することは難しいので、子どもや高齢者など食中毒に対する抵抗力の弱い方はお肉の生食を控えて下さい。

  • 牛(レバー)  …生食用としての販売は禁止されている。
  • 豚(内蔵を含む)…生食用としての販売は禁止されている。
  • 馬       …生食用の基準がある。生食用食肉の衛生基準, 厚生労働省
  • 鶏       …生食用の基準がない。

[参考]

基準がないもの(豚や鶏の生食、牛レバー)は、食中毒のリスクを一定以下に減らす手段がないもの、と考えて良さそうです。

牛の生レバーが提供できなくなった後、豚の生レバーを提供する店が表れ、結局豚レバーに関しても生食用の販売が規制された、というニュースがありました。豚肉については、牛肉よりさらにハイリスクで、E型肝炎のリスクまであります*2

Q1
豚の食肉には、食肉の細部まで、ヒトへの健康影響が大きいとされるE型肝炎ウイルス(HEV)、細菌(サルモネラ属菌、カンピロバクター・ジェジュニ/コリ)、寄生虫トキソプラズマ、旋毛虫(トリヒナ)、有鉤条虫)などの食中毒の原因となる病原体(期外要因)が存在していると考えられ、また、我が国において、豚の食肉の生食又は加熱不十分な状態で食べたことが原因と推定されるE型肝炎患者及び細菌等による食中毒事例が発生していることから、豚の食肉を禁止するという規制は妥当であるとの評価を行いました。

Q3
SPF(Specific Pathogen Free:特定病原菌不在)とは、無菌ではなく、豚の発育に大きな影響を及ぼす病気(オーエスキー病、トキソプラズマ感染症マイコプラズマ性肺炎、萎縮性鼻炎など)にかかっていない健康豚であることが証明された豚のことです。ヒトの健康に影響を与える細菌やウイルスを全く保有していないという意味ではありません。なお、実験に用いられるSPFラットやSPFマウスとSPFブタでは、あらかじめ指定された病原体の範囲も異なります。
したがって、ブタの品種や育て方に関わらず、豚の食肉(内蔵を含む。)を食べる時には、ヒトの健康を考えるのであれば十分に加熱することが重要です。SPF豚であっても、血清中に抗HEV抗体が検出され、過去に感染したことを示唆する調査事例もあり、SPFブタであっても通常の豚肉と同様に生食は避けましょう。

市販の豚レバーを調べた結果、1.9%からHEV遺伝子が検出され、さらに10人のE型肝炎患者について豚レバーの摂取歴を調べたところ、発症の2〜8週間前に9人の患者が生豚レバー、あるいは加熱不十分の豚レバーを食べたことがあると答えている。

治療としては、他の急性肝炎と同様に対症療法のみである。劇症肝炎に対しては、血漿交換などによる治療が必要となる。一般的な予防としてはA型肝炎と同様に、汚染地域と考えられる地域に旅行する場合に、飲料水、食物に注意し、基本的には加熱したもののみを摂取するように心がける。ワクチンはまだ開発されていない。

「肉の生食」は、私が子どもの頃には考えられない行為でした。しかし、いつの間にか、なんか「アリ」みたいになってしまっていました。「肉質に自信がある」として生食をさせている焼肉店や、レアハンバーグが有名なお店というのもあるようです。

うさじまが個人的に違和感というか危機感を感じたのが、生肉や酵素ジュースなどを提供しているのが、必ずしも、言い方は悪いですが場末の、全てにおいてゆるい感じの店というわけではなく、むしろこだわりを持って経営している店だったりすることです。こだわりを持つ、つまり他店と差別化は大切でしょうけど、「食中毒のリスクを減らす」という基本的な部分、料理人としての土台となるはずの安全知識について不安になるような(『和牛だから安全です』というフレーズを平気で書いてしまうような)店が人気店の中にもあるということです。もちろん、流通している生食可の肉を使っているのかもしれません。しかし、もしかするとロシアン・ルーレットに知らない間に付きあわされているのかもしれません。「和牛だから安全です」とか言われると不安になります

もちろん、現在流通している他の食品と比べて、生肉のリスクはどうなのか…という議論もあるでしょう。しかし、「和牛だから安全です」「新鮮だから安全です」「いい肉だから安全です」というフレーズで、本当は避けられない生肉食のリスクを避けられるかのように説明してしまうのは問題です。もし、提供している肉が生食の基準を満たしているなら、そのことをきちんと書くべきです。

今日本で「食の安全」というと、「異物混入」「産地偽装」「食品添加物」などのキーワードが絡められがちです。実際には「食中毒」のほうが普通によく起こっている、けども、なぜか(日常的に起こっているからこそ?)そのリスクは低く見積もられているように思います。今回、特に結論というものはないのですが、「食の安全」…誰かの作ったご飯を食べるということは、その人に命を預ける側面もあるのだなあということ…を考えさせられました。命を預ける相手にはプロとして地道な勉強を怠らない人を選びたいと思いますし、「お店で出てくる食べもの」でも、警戒して食べるべきものがあると知っておかなければなとも思いました。

*1:酵素を食べて健康になれる?酵素健康法と酵素栄養学参照

*2:E型肝炎は、豚だけでなくイノシシ肉やシカ肉からの感染例も報告されているそうです

「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(2)「利益相反」

3. 利益相反(難易度☆☆☆)

多くの企業が、研究や論文発表のために科学者を雇っています。そういった研究が必ずしも無効であるとはいえませんが、そのことを念頭において解釈する必要があります。また、個人的または金銭的な利益のために、研究内容が偽って伝えられることもあります。

対処法の例:利益相反状態が生じること自体は、産学連携の観点から避けられない。お金の出どころ、「利益相反(COI)状態の申告」を確認する。


前回の記事


今回のテーマは「利益相反」です。難しい言葉ですが、「この医師は○○製薬からお金をもらっているから、○○製薬の利益になるように導いているんじゃないか?」といった話に関係しています。

利益相反」とは,公正になされなければならない判断が,金銭的な利害関係や個人的な成功への願望などでゆがめられる可能性のある状況を言います。
(略)
利益相反」は,その影響がどうであったかを問題にするものでなく,第三者からみてどのように映るか(「アピアランス」と言います)を含め,あらかじめ適切に規制することで,重大な影響がもたらされることを防止し,透明性や公正さを担保しようとするものです。

つまり、

利益相反とは、
医師・研究者としての、公正な研究を行って世に出すという使命(公的利益) VS 金銭、個人的な成功などの個人的な見返り(私的利益) の対立が起こる状況
すなわち、
公正になされなければならない判断が、私的利益のために歪められる可能性がある状態

なのです。

国内で起こった問題としては、

  • 2004年の「薬害イレッサ訴訟」に関連して、日本肺癌学会のゲフィチニブ(イレッサの一般的名称)使用ガイドライン作成に当たった研究者が、当該製薬企業から奨学寄附金を受け入れていた
  • タミフル」服用者の異常行動による死亡例を調査した厚生労働省の調査研究班研究者が、タミフルの製造販売元企業からやはり奨学寄附金や寄付金(研究会宛)を受け入れていた
  • 2013年、高血圧利用薬バルサルタンの臨床研究において、論文作成のスポンサー記載等で明らかなCOI開示違反が見られ、さらにデータの不正操作の可能性が指摘されるとともに、統計解析に企業社員がその身分を開示せずに加わるなど、深刻な問題になった。企業社員の男は薬事法の誇大広告違反に抵触するとして逮捕された

などの例があります。これらは、実際に便宜を計ったかどうかは別にしても、社会に大きな疑念を生じることになりました*1

(たまに、セミナーで弁当出してもらったとか、ボールペンをもらったというと言った小さなことでも、「この医師は製薬会社の言いなりだ、信用できない」などと言われることがあります。弁当やボールペンでプロフェッショナルの矜持を売る人がどれほどいるのかと考えると、ちょっと大げさな言い方にも思えますが、上記の「アピアランス」を考えれば、こういった行為は誤解の元になりうると言えるでしょう)。

確かに、製薬会社から資金提供を受けた研究者が、金銭的利益などのために研究結果を捏造して発表するなどは許しがたいことです。しかし、薬の臨床研究などでは、医師や研究者と製薬会社が協力すること(産と学との連携)がどうしても必要になります。利益相反が生じること」自体を「悪」として排除すると、新しい薬を創ったり、薬の効果や副作用の研究が困難になってしまいます*2

日本学術会議臨床医学委員会臨床研究分科会*3は、バルサルタン問題を受けて、2013年に「産学連携を推進する研究者の責務」として、提言を発表しています。要は、「利益相反状態が生じるのはしかたがない。だが、それを公表しろ(透明性の確保)。そして、バイアスを排除して公正な研究をしろ」という内容です。こちらの資料には、日本および海外における利益相反マネージメントの現状についてまとめられていますので、興味のある方は一読することをおすすめします・

ごく簡単にまとめると、現状、

といった取り組みが行われています。

不適切なプロモーションによって薬が不適切に使用されること、誤った研究発表により科学的真実の解明から遠のくこと、また逆にせっかくの有効な薬が社会的信用を失って使えなくなってしまうこと、どちらも我々消費者にとって大きな不利益となります。今後、産学連携は医薬品の研究開発にますます不可欠になっていくと思われるため、利益相反の取り扱いへの取り組みの重要性も増していくでしょう。

一方、一消費者としての情報の受け止め方の問題として見ると、その情報はどこが出しているものか(製薬企業の広告としての『医療情報』ではないか?)を確認する、論文や学術的な発表なら「開示すべきCOI」などの項目を確認してみる、などの対策が必要ということになります。

日本製薬工業協会(製薬協)では「企業活動と医療機関等の透明性ガイドラインに基づく公開情報」として、製薬企業から医療機関へのお金の流れやガイドラインを公開しています。

研究論文等の妥当性検証となると、かなり高度な知識が必要です(研究のデザインが適切か、統計解析が妥当かというレベルでの検討が必要になるでしょう)。前回の繰り返しになりますが、信頼できる専門家(できれば複数)の話に耳を傾けることが大切だと思います。


医薬品の「治験」は大丈夫なの?

医薬品もしくは医療機器の製造販売に関して、医薬品医療機器等法上の承認を得るために、薬機法(旧・薬事法)に基づいて行われる臨床試験を「治験」といいます。「治験」とその他の「臨床試験」がごっちゃにされている記事なんかもたまにありますが、データの信頼性という点において、「治験」とその他の「臨床試験」ではかなり違いがあります

薬機法に基づく「治験」では、ICH-GCP (International Conference of Harmonization-Good Clinical Practice)*4にもとづき、臨床データのモニタリング*5、監査*6等によってデータが信頼できるものであるかどうか(捏造や隠蔽がないか、適切に解析されているか)をチェックされているのです。ですから、承認された薬の有効性・安全性についてのデータは、信頼性が担保されていると考えていいでしょう*7

近年、医師主導臨床研究においても、ICH-GCP準拠の法制化を求める声があるそうです。

前述の日本学術会議の提言でも、「研究者が行う臨床試験においても、各研究機関においてデータの信頼性を保証できる体制(臨床研究支援センターなど)を早急に整備すべきである」としています。


「逆」の利益相反

ここまでは、一般的な医薬品に関する利益相反の話でしたが、「逆」の方向にも利益相反はあります。研究者にとって「利益」を得る先は製薬企業だけではありません。例えば代替医療や、反医療、反ワクチンなども「業界」として存在しているのが実体です。また、医師自身がこれらの業界の牽引役・クリエイターとして重要な役割を果たしていることもあります。こういった医師の手によって書かれた「論文」も、残念ながら存在します。数は少なく、後から取り下げ・撤回になったとしても、代替医療の宣伝としてはずっと使われ続けたりするのでやっかいです。

また、一般的な医療や製薬企業の「利権」を痛烈に批判する一方で、特定の代替医療を勧めたり、サプリメントを紹介していたりする情報もあります。こういった情報発信にも注意が必要です。

この話については、以下の過去記事でも触れています。

*1:臨床研究にかかる利益相反(COI)マネージメントの意義と透明性確保について, 日本学術会議, p4

*2:すべてを公費で賄うとなれば話は別ですが、医薬品の研究開発にかかる莫大な金額を考えると現実的とはいえません。

*3:日本の科学者を代表する機関として科学に関する重要事項を審議したり、科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させるために活動している

*4:日米欧三極間で治験データの相互受け入れを促進するための基準を提供することを目的としたガイドライン

*5:治験依頼者により指名されたモニターが、治験の進行状況を調査し、治験が治験実施計画書、標準業務手順書、GCP 及び適用される規制要件に従って実施、記録及び報告されていることを確認する活動のこと

*6:治験が、治験実施計画書、標準業務手順書、GCP 及び適用される規制要件に従って実施されデータが記録、解析され、正確に報告されているか否かを、開発部門(モニター部門)とは独立・分離した監査担当者により行われる治験の信頼性を保証する活動のこと

*7:もちろん、治験でチェックしきれない稀な副作用や、治験の対象とならなかった集団(妊婦や他の病気がある人など)への影響は分かっていない部分もありますので、承認された薬=万全というわけではありません

「エイジハラスメント」小説版を読む

「座りの悪い」新ドラマ

今期のドラマ、「エイジハラスメント」。ハラスメントと言われるものにもいろいろありますが、「エイジハラスメント」は聞いたことがなかったので、気になって公式サイトを見に行ってみると…。

武井咲x内館牧子 待望の初タッグ
若さ+美貌=いじめの対象!?

イントロダクションには上記の文字。あー、これまた、「若い女は正義、年取った女は悪い魔女」ってアレですか…とそっ閉じしかけました。しかし、以下の文章を読んでかなり興味を持ってしまいました(強調うさじま)。

ヒロインの吉井英美里は、意欲、能力、向上心にあふれる上、若さと美貌をあわせ持った、一見すると幸せのパスポートを手にしたも同然の存在。しかし、“女性活用”は口先だけの旧体質な総務部に配属されたことで、彼女の持つものすべてがハラスメントの対象となってしまいます。
会社が英美里に求めるのは若さと美しさだけ。しっかり働きゆくゆくは役員になりたいという英美里の夢は、あっさり打ち砕かれます。一方で、ただ笑顔を見せるだけで頼みもしないのに男性社員からチヤホヤされる英美里は、あっという間に年上の女性社員の嫉妬の対象となってしまうのです。
若いから、きれいだから、それだけで煮え湯を飲まされることになった英美里。耐え忍ぶ日々にもついに限界のときが訪れます。堪忍袋の緒が切れた英美里が旧態依然とした会社に反旗を翻したとき、その先に待っているものとは…。
武井演じる痛快な反逆のヒロインにご期待ください!

原作『エイジハラスメント』は、日本の企業にはびこる嫉妬と焦りにまみれた年齢差別の現状を、30代女性のもがき苦しむ姿を通して描いた話題作。今作では、武井という瑞々しいヒロインを得て、原作の鮮烈なエッセンスはそのままに、視点を若く美しい新入社員へと置き換え、新しいドラマ作品として送り出します。
注目は、一流の大人を繕う男女の愚かしい本音を、手加減のなくあぶりだす内館のシナリオさばき。年齢で女性の価値をはかる…そんな下劣な行為は、内館牧子が許しません

この文章、なかなかに座りが悪くないでしょうか。

  • 「年齢差別の現状を描く」のに、なぜか原作の30代女性を「若く美しい新入社員」に変更している。皮肉?
  • 「年齢差別」が「嫉妬と焦りにまみれ」…それって、差別されている高齢女性側の描写?
  • 武井咲の真の「敵」は会社(の年齢差別&性差別)のはずだけど、「年上の女性社員」と共闘できるようには思えない書き方。
  • でも、着地点は「年齢で女性の価値をはかる…そんな下劣な行為は、内館牧子が許しません!」

…なにがやりたいのか、今ひとつ見えてこないのです。

でも、いきなりドラマを見る「勇気」はありませんでした。不快になるかもしれないと思いながらわざわざ見てやっぱり不快になったらイヤですから。で、第一話終了後、Twitterの感想を見てみると、やはり「武井咲が職場の年上の女性たち(稲森いずみなど)にいじめられ、最後にブチ切れたのが爽快だった」という話、らしい。うーむ。


原作小説を読んでみる

モヤモヤが止まらないので、原作小説を読んでみることにしました。内館牧子作品(小説)を読むのは初めてです。

原作の主人公は、34歳の女性、大沢蜜。蜜は、医科大学看護学部在学中、現在の夫直哉と出会い、21歳で大学を中退して、結婚。夫は企業研究者で、「誠実で頑固で熱血漢」。2つ年上で、結婚以来ずっと蜜を「守って」くれている。六歳の娘が一人。蜜は、在学中に結婚を決意した時、「大学を中退してまで恋を貫くことへの陶酔」の他に、「深い知識が必要であり、かつ、大きな責任が伴う」「重労働で、頭脳と肉体の両方を酷使する」看護師として働く自身をなくしていたことを一つの大きな理由として挙げていまます。

小説は、蜜が美容院で雑誌を読んでいるシーンで始まります。「40代女性こそが輝いている」という女性誌の内容に欺瞞を感じながら、34歳という自分の年齢を思って「若くあらねばならない」「夫にいつまでも『自慢の妻』と思われたい」というプレッシャーを強く感じています。一方、夫の直哉はそんな蜜に「他に考えることがあるだろうと言いたくもなる」と考えながらも、ほめたり喜ばせたりしています。

蜜は、住宅ローンの足しにするため、とんかつ屋でパートをしています。普段はとんかつを挙げたりしているのですが、創立十周年のパーティに際して、店長から「役員と主要な来賓のもてなし係」として…、「言うなれば、偉い人には一人ずつコンパニオンをつける」のに、「各店舗から一人ずつ女性を出してほしい」と本社から要求された「女性」に選ばれ、張り切っています。店長の狙いは「自分の店を売り込むチャンスに、美人で頭の良い大沢さんを」。蜜は、わざわざ訪問着を着て、美容院で髪もセットして挑むのですが、土壇場で、安っぽい下着みたいな洋服を着て、あほっぽいしゃべりをする若い「エロバカネエチャン」にその役目を奪われてしまう。店長いわく「総務が今日になっていうんだよ。コンパニオンは若い子のほうがいいって、イヤ、俺は年の人の方がいいと思うんだよ、マジに。

この出来事に激しく傷ついた蜜は、女が年齢によって激しく差別される日本の現状に疑問を持ち始めます。そんな中、現在大学生の夫の妹が同じマンションに引っ越してきたり、誠実だった夫がよりによって若い女と浮気したり…といろいろなことがあり、それを通して「女性と年齢」の問題が描かれます。

この小説は、基本的に神の視点で描かれています。そのため、いろいろな立場から、「エイジハラスメント」という現象が描かれます。「女は若いほうが価値が高い」という価値観を内面化しつつ、疑問を持ち始める主人公、蜜女性に対するエイジハラスメントに加担したくないと思いながらも、蜜を含め様々な女性たちを俯瞰的に見ている理系男子の夫、直哉(理性代表、でしょうか)。そして、「付き合うのは若い女限定。若い女のほうが魅力があるにきまっている。でも、仕事柄それを表に出さない術も知っている」直哉の友人でアパレル業界人の保科(こちらは、『世間の本音』代弁係?)。

また、内心の描写がほとんどされない、蜜とは異なる生き方をする女性たち…「美しく若い女性としての旨味を存分に味わいながら、将来それを失った時のためにも備えようとする女」や、「自分の若さや、求められる女性の役割にこだわらず、自分なりの目標に向かってまい進する女」「外見は無頓着、女性にとって自立できることが重要であることをよく知っている女」「男の前に出ると媚びた幼いしゃべり方をする、イタイ40代の女」なども出てきます。

蜜は主人公で、確かに「エイジハラスメント」の被害者です。しかし神の視点ですから、蜜自身が年齢差別的な考え方を内面化していて、「周囲に若くて美しいと評価されることにこだわる愚かさ」も描かれています。夫の浮気相手が「ただ若いだけの女」ではないところに、そのなんとも言えない「痛さ」があります。

その一方、日本の若さ至上主義、女性が外見や年齢でジャッジされる社会の理不尽に対しては、かなり強く、批判的なメッセージを発してもいます。あとがきでは、こう述べられています。

だが、男たちは割と無神経に「オバサン」「オバチャン」を口にする。昨今はかなり言わなくなったとはいえだ。時には二十代であってもオバサン呼ばわりされ、五十代でも「ああ、あのババアか」と言われたりする。言われた本人たちにはオバサン意識もなく、ババア意識もないのに、他者が勝手に女の立ち位置を決める。それが日本の現実ではないか。
私はこの「他者が勝手に決める」ということに興味を持ち、女の年齢について書きたいと思った。

幻冬舎文庫「エイジハラスメント」あとがき)

もちろん、内館牧子らしい(?)女同士のバトルも出てきます。蜜 vs リア充女子大生の義理妹のバトルはかなり壮絶。しかし、リア充女子大生は「意地悪な年増義理姉にいじめられるかわいそうな女」ではありません。若さゆえの残酷さで蜜をバッサバッサ斬ってきますZガンダムカミーユに修正されて「これが若さか…」と涙ぐんでいたクワトロ・バジーナさんを思い出しそうになります。しかし、蜜も負けてはおらず、応戦します。そして、この義理妹の発言や、夫の不倫相手の姿から、ちゃんと学び、成長することができる人間でもありました。

物語の終盤、蜜を通して、内館氏の「エイジハラスメント」に対する「処方箋」が語られます。社会が簡単に変わらないとして、女性が若さを失った後も楽しく堂々と生きるには、どうしたらいいか。これは、ぜひ小説をお読みになっていただきたいと思います。


今、ドラマ化される意味は?

今、このテーマでドラマが作られた背景には、もしかするとちょっと前の話題作、「問題のあるレストラン」の影響があるのかな?と思いました。この作品は、企業や家庭でのセクハラ、モラハラが個人に、そして組織にどんなダメージをもたらすか、ハラスメントのない環境で働くことで人がいきいきとできること、なにかと分断されがちな女同士の連帯などを描いていて、見応えのある作品でした。セクハラ描写が過剰にわかりやすいところがあり、反感を買う面もあったかもしれません。でもtwitter等で感想を見ていると、「これくらいわかりやすくしないと、セクハラのなにが悪いか理解できない」人たちもたくさんいるのだ、と分かりました。いちばん心に残っているセリフは、主人公のセリフ。

「いい仕事がしたい。ただ、いい仕事がしたいんです。」

男性であろうと、女性であろうと、職場では仕事がしたい。当然です。その「当然」がハラスメントによってできなくなる。その辛さ、理不尽さを、「問題のあるレストラン」は描きました。主人公が見る夢として、かつてセクハラ、パワハラをしまくっていた上司たちが、ハラスメントなく普通に「いい仕事」をする、「理想の店(レストラン)」が描かれたのも、印象に残っています。

「エイジハラスメント」小説版では、実は「企業という組織の中でのエイジハラスメント」、そしてそれと密接に関わる「女性が職場でも女性としての性役割を演じることを求められることの問題」については、あまり掘り下げていません。ドラマ化にあたり、企業OLが主人公になったことで、このへんの問題が描かれることは期待できるのかもしれません。

「あとがき」によれば、「エイジハラスメント」小説版の構想は1998年、発表が2008年のようです。

もしも、「他者が勝手に女の立ち位置を決める」という暴挙が、この十年間ですっかりなくなっていたなら、当然、私は書くことができなかった。だが、現実には「すっかりなくなった」という状況にあるとは思えず、逆に若い人たちの傍若無人ぶり、何でもアリぶり、刹那主義がさらにひどくなったと感じた。同時に、若くない人たちの回春願望、若者への媚、威厳失墜もひどくなったように思った。

幻冬舎文庫「エイジハラスメント」あとがき)

それから、さらに7年が経った2015年。このドラマ版が、小説版より「後退」していなければいいな、と切に思います。

「エイジハラスメント」という言葉について

内舘氏は「エイジハラスメント」という言葉について、「多くの取材を続ける中で、一人が何気なくつぶやいたものである。私は瞬時にして、これこそがベストのタイトルだと思った。」とされています(あとがきより)。

確かに「エイジハラスメント」という言葉はキャッチーではあります。その一方、「職場における年齢差別」というシリアスな問題を軽くしてしまうのではないか?という不安も感じてしまいます。「また新しい『ハラスメント』か…。自由に発言できなくなる時代だなあ」という反応も予想されます*1

それから、ドラマの内容によっては、「メディアが言葉の意味を逆にしてしまう問題」が起こりかねないことも危惧していまいます。


こんな記事を書いておいてなんですが、うさじまは今後もこのドラマは見ないかなーと思います。センセーショナリズムを重視する気がビンビンに伝わる公式サイト、そしてTwitterの感想やweb記事だけでお腹いっぱいになってしまいます。こういう形のスリルは求めていません。もしかして、途中で確変して神ドラマになるのかもしれないけど…。その時は、思い切り後悔すると思います。

原作小説も、十分スリリングで、リーダビリティも非常に高く、一気に読んでしまいました。もっとこれに近い内容のドラマであったら、見たかったと感じます。ドラマを見て興味を持った人が、この小説を気に入るかどうかはわかりませんが、一度読んでみられてはいかがでしょうか。

*1:…と思っていたら、内舘氏本人が言及されています。どう解釈していいか今ひとつはかりかねる感じですが。 『エイジハラスメント』脚本家・内館牧子氏「連続ドラマは難しい」

「おくすり手帳」、実際どうなの?-薬局薬剤師さんに質問してみた

ここ数年、なにかと話題になる「おくすり手帳」。「不要だ。利権だ」というジャーナリストがいたり、逆に「必要だ」という主張がネットで回ってきたり…。でも、実際のところ、特に持病もなく、お医者さんにいくのは健康診断や予防接種、たまに風邪などの一時的な体調不良のみ、子どももいない、という層には今ひとつ「ぴんとこない」ものではあります。うさじまもいちおう、持っていますが、体調悪くて病院に行く時には逆にこれを持っていこうと思いつく余裕がなくて、結局シールをもらって帰ったり…。でもそのシールを貼っておくと、一年後に「あの時効いた薬…なんだっけ?」と思い出せたりして意外と役に立つな、ということもあります。

本記事では、そんな「おくすり手帳ライトユーザー」のうさじまが、薬局で働いていらっしゃる薬剤師さんお二人に、「おくすり手帳のぶっちゃけ質問」をしてみました。


【答えて下さった方】
薬剤師Aさん:関西の薬屋さん。総合病院や大学病院の門前薬局でお勤め。最近は面薬局にも出没中。資料収集は趣味。Aさんには以前こちらの記事でもご協力頂きました。↓
「薬のプロ」に聞く、「添付文書」との付き合い方, うさうさメモ

薬剤師Bさん:@asamariko さん。 以前は病院で、現在は調剤薬局でお勤め。


Aさん、Bさんは働いていらっしゃる場所も違うし、面識も(たぶん)ないと思いますが、回答内容の大筋には違いがありませんでした。まず、お二人の話の「まとめ」から。

  • 服薬中の人、薬の副作用・アレルギーがある人は、おくすり手帳を持ち歩くことで、「もしもの時」(事故や災害など)に備えることができる。
  • たまにしか病院にいかない健康な人も、お薬手帳を活用することで、薬をより安全に、適切に使用できる。
  • おくすり手帳は、単なる服薬の記録でなく、「医療関係者に伝えたい、自分の健康情報」をポータブル化するものとして活用できる。
  • おくすり手帳を持たなくても、何らかの形で服薬や副作用の記録、健康情報を付けておくとよい。そのためのフォーマットも用意されている。

では、以下Q&Aになります。質問のお答えは、一部レイアウトやブログ上での読みやすさのために改変した以外は原文ママです。強調はうさじまによります。

「おくすり手帳って何ですか?」と患者さんに質問されたら、どう答えてますか?

Aさん
簡単には「処方されたお薬の履歴をまとめておくもので、お薬やサプリメントの飲み合わせや重複を確認する為に使います
詳しく答えるときは「外出時に倒れたり、急病になったり、休日に救急を受診した時に、薬の重複を確認したり、薬から分かる身体の状態から急病の原因を推測する為にも使います。災害時にはこの手帳をカルテ代わりに使う事もあります

あとは、その人と病態や必要に応じて

  • 一般名処方の場合に、調剤した医薬品の商品名を処方医に伝える
  • 病歴・副作用歴・腎機能の数値を伝えるツールである
  • 毎日持ち歩くのが望ましい

って内容も入れて説明する事もあります。

人によっては「お薬のみではなく、自分の健康状態を管理するための手帳」としての活用を勧める事もあります。

Bさん
いつ、どこの医療機関から、どのような薬を処方されたかの記録をつけるものです。カルテだと、その医療機関だけでの記録になりますが、お薬手帳は患者さん自身が持つことになりますので、複数の医療機関にかかられた場合も、一冊のお薬手帳の中で記録を管理することができます

「おくすり手帳、いりません。お金節約したいし」って言う患者さんには、どう答えますか?

Aさん
不要ならお薬手帳については「今後必要の際には知らせて下さい」とだけですかね。ただ、今回処方された薬剤の副作用やその他の要因で別の医療機関にかかる可能性もあるので、薬袋や薬情は服用終了後数日は保管しておく様に伝えたり、携帯電話・スマホタブレットを毎日持ち歩いているのなら、写真を撮って保管しておく様に勧めたりもしますEvernotegoogle drivedropboxのアカウントを持っていれば、そこにポイっと入れておく事も勧めたりします。タグで検索できる分、Evernoteが一番使いやすいかなー、ってのが個人的な印象です。

Bさん
私自身はお薬手帳は要らないという方に強制するようなことは言ってません。それぞれのご事情がありますので、理由はなんであれ持ちたくない方については、そうですかという感じで受け止めてます。

半年に一度、風邪で病院に行くくらいしか、医療機関を利用しない。前回もらったお薬手帳?なくした…ってな若い人にとっても、お薬手帳は必要でしょうか?

Aさん
職業上は「できれば持っていてほしい」と言いたいですw 現在服用している薬剤(市販薬、サプリメント、健康食品)との相互作用・重複のチェックがお薬手帳所持の主な目的ですが、過去の軽微なものも含めた副作用歴や「前にこの薬飲んだ時、あんまり効いた感じせーへんかったのに、なんでまた出てるん?」を解決するツールでもあります。もし過去に軽微な副作用もなく、処方された医薬品はキッチリ効果があったし、併用してる市販薬やサプリメントや健康食品もなく、全く問題無い、って人なら不要かもですね。【「おくすり手帳、いりません。お金節約したいし」って言う患者さん…】に回答したように、スマホや携帯に処方内容の保管を勧めます。また、副作用歴があるけど滅多に医者にも行かないし市販薬もサプリも使ってへんし...って方なら、せめて保険証に副作用歴のある薬の名前をシールor付箋なんかで張り付けておいてもらえれば、と思います。また、個人的にはほぼ日の健康手帳なんかでも持っていてくれれば良いなぁ、と思います。

Bさん
一見不要のように思えますが、今後も半年に一回しか行かないとは限りませんし。それに、過去にもらった薬が問題なかったかどうかの裏付けにもなりますので使用頻度が少ない方こそ活用されると良いかと思います。お薬手帳の裏表紙などにアレルギーや副作用のことをメモできるところもあります。ちょっと記入してあると、いざ医療機関にかかる時や、市販薬購入の時に禁忌症に該当していないかどうかの判断材料にもなります。

「忘れたからシールください」←迷惑?

Aさん
家でちゃんと貼っててくれるなら、迷惑ではないですw 毎回キチンと持ってきてくれてる人であれば、次回の来局時に貼付を確認して、貼っていないor紛失なら、希望があれば新たに発行して貼り付けます(ウチの職場の場合)。毎回手帳を持って来ずに「シールだけちょうだい」と言う人なら、その都度軽く【「おくすり手帳って何ですか?」と患者さんに質問されたら、どう答えてますか?】の内容を何度も説明します。でも、なんだかんだで「シールだけ」と言われれば出さざるを得ないのが世知辛いところでゴザイマスwお薬手帳」は単にシールを貼って自分で後から確認できるようにするものではないので、そこん所は分かってほしいと思います。

Bさん
今の薬局では手帳なしの点数でシールをお渡しして、次回必ずお持ちくださるようにお伝えしてます。ただ、薬局によってシールはお渡ししないところもあります。そのようなところは、お薬手帳の意義を説明した文書をお配りしていたりします。私個人は渡しても貼付しないケースをよく見ていたので、渡したくないです。

「薬剤服用管理指導」って、具体的にどんなことをしてるんですか?

Aさん
コンプライアンス、薬剤の相互作用、処方重複、症状の変化、副作用の有無、あたりのチェックです。あと、薬剤を使用・服用する際の注意事項を説明したり。検査結果について解説したり。吸入薬や目薬、点鼻薬インスリン投与の手技説明やデモンストレーションをする事もあります(最近は院内で看護師さんがする所もあるみたいです)。まぁ、診察室内で医師から受けたお薬の説明の更に補完ですかね。場合によっては、その中で出てきた医師に言えなかった「実は....」って事を後から医師にフィードバックする事もあります。別にチクリじゃないよ!!w

Bさん
患者さんお一人お一人についてカルテともいうべき薬歴を作成します。そこに患者さんの薬に関する情報を記録します。処方の都度処方内容のほかに、患者さんの状況、患者さんにお伝えしたこと、調剤で工夫したこと、患者さんからの問い合わせと回答内容、次回処方時への申し送り事項などを記録します。患者さんの服薬状況の確認もします。服薬遵守状況(きちんと飲めているか)、残薬、副作用の有無、服薬に影響を与えるような飲食物の摂取状況、あと併用薬や薬物療法以外の治療状況なども確認します。これらのデータは患者さんとの口頭でのやりとりや処方箋の記載内容だけでは限界がありますので、お薬手帳を拝見して他院の受診状況や併用薬をチェックしたりして、今処方されている薬が患者さんの治療過程においてどのような位置づけかを検討しながら調剤・服薬指導につなげていきます。もちろん、処方内容に疑義があれば、処方元の医療機関に照会をかけます。

「おくすり手帳」は電子版より紙の方がいいのでしょうか?

Aさん
どっちも一長一短ですが、今は紙の方がベターだと考えます。電子媒体の場合は、現在だとスマホ等の対応機器にインストールしたアプリ内でデータを展開する必要があり、いったん薬剤師に端末を預ける必要が生じること。また、薬局内に当該アプリへの記載に対応した機器設備が十分普及しておらず、規格の統一も無く、薬局側がそのデータ内容を保管する場合は、やはり手作業で電子薬歴へ入力・又は手で紙へ記載する必要があること(対応できない薬局・医院・病院内での投薬・与薬の記載漏れが生じる)。その作業の間、あるいは端末に触れない時間がいくらか存在すると、端末がスリープorロックされて解除操作が必要になること(これに関しては、以前TV番組でロック画面に出てくるお薬手帳アプリを開発中、というのを見たことがあります。iPhoneのカメラアプリみたいなものを想像してもらえると分かりやすいかと)。大災害の際にバッテリーが切れたり、アプリの変更した際に過去のデータが引き継がれない可能性etc. が考えられます。

紙のお薬手帳の場合は、内容を記載するのは「誰にでも出来る簡便さ」の点で電子媒体に勝ります。何か書き加えたい時もペンでササッと書けますし。水濡れや汚れに弱かったり、破損の可能性についても、これは電子媒体の端末も同じことだと思います。誤ってトイレに落とす可能性は、恐らく電子媒体よりも遥かに低いと思います(トイレで紙のお薬手帳を開く習慣がある人は別やけど)。薬局によって規格(紙のサイズ)が違っても対応可能ですし、停電しても使用可能です。バッテリーもないし。【「おくすり手帳って何ですか?」と患者さんに質問されたら、どう答えてますか?】の回答にも書いた「災害時のカルテ代わりに」が可能なのも紙媒体の手帳の方じゃないかと思います。

Bさん
うちの薬局では紙媒体でしか対応してません。一般的には紙媒体が主流ですので紙をお持ちになった方が無難だと思います。

医療情報を一括管理して、服薬情報もデータベース化することはできないのでしょうか?

Aさん
現在その構想が進んでいる筈です。住民基本台帳を整備する際にも医療情報の一括管理は実際に提案されましたが「プライバシーがー」等、一部の方々が中心になったクレームで立ち消えになった記憶があります。

ちなみに、静岡県ではこのような取組が成されています↓

一応、国でも事業としてはテストしてるみたいです、はい↓

この秋から実施されるマイナンバー制度とはまた別に、医療分野に限ったマイナンバー制度を整備しようぜ、って話はあるんですがどこまで実現するのか、いつ実現するのかはぶっちゃけ不明ですorz ↓

Bさん
そうなると便利でしょうね。国次第だと思いますが。

緊急時のことを考えると、薬を飲んでいる人は普段から「お薬手帳」を携帯したほうがいいのでしょうか?

Aさん
はい。飲んでいない人でも、副作用履歴や持病のある人、サプリメントを服用している人は持ってて欲しいです。
【半年に一度、風邪で病院に行くくらいしか、医療機関を利用しない…】でも回答した様に、副作用履歴や持病に関しては、保険証や身分証明書の裏にでもメモ書きを貼り付けておくのも良いと思います。また同じく【半年に一度、風邪で病院に行くくらいしか、医療機関を利用しない…】に記載した「ほぼ日の健康手帳」には無料でDLできる簡易版もあります。

神戸薬科大学の学生さん方が作成された「健康手帳」のPDFデータもあります↓

これらをDLして書き込み、財布や手帳の中に入れていてもらえばそれだけでも必要な情報を得る事ができると思います。ただし、この内容も必ず年に1回ぐらいは定期的に更新して欲しいと思います。

Bさん
その方が良いです。とにかく、その人が何を飲んでるかわからないと、今やろうとしている処置が妥当かどうかわからず、患者さんにとってデメリットになっては元も子もないです。今、手帳カバーに保険証や診察券が入れられるタイプのものもありますし。

実際に「おくすり手帳」で患者さんのリスクを回避できた、など(患者にメリットがあった例ならなんでも)事例があれば教えて下さい。

Aさん
あんまり詳しくは書けませんが、多いのは「類似名医薬品の処方ミス」の発見です。病院・診療所でも薬局でも、電子カルテ等に医薬品名を入力する時は、最初の数文字を入力して候補を挙げる→検索→目当ての薬剤を引っ張ってくる様に作られています。が、医薬品の名前は似たものが多いので、処方医の「ついうっかり」を見つける事が時々あります。例えば

  • これまで「マイスリー 10mg」(睡眠導入剤)だったのを「マイスリー 5mg」に変更しようとして、うっかり「マイスタン 5mg」(抗てんかん薬)にしてしまった
  • 新規の患者さんに「アスパラCA錠」(カルシウム剤)を処方するつもりが、うっかり「アスパラK錠」(カリウム剤)を処方してしまった

等です。

前者は、これまでもずっとウチの職場をかかりつけにしている患者さんだったので、薬歴(薬に関するカルテ)を確認してかかりつけ医から投薬された履歴&てんかんの履歴がないことを確認、手帳を確認して他医療機関からの処方歴が無いことを確認、それから本人に当日の診察時の医師からの説明内容と病歴を改めて確認して、医師の処方ミスの可能性が高い事を伝えて医師に疑義照会を行い、正しい処方は「マイスリー 5mg」である事を改めて確認しました。後者は、他医院からの紹介で新規で病院にかかられた方でしたので、処方せん受付時に預かった「おくすり手帳」で前の医師からの処方内容との違いを確認した後、本人に確認すると、医師からは「これまでの処方と変わらず服用する様に」との指示があったとの事で、「K」錠ではなく「CA」錠の間違いだろう、という事で疑義照会→処方変更に至りました。

あとは、相互作用で「禁忌」とされてるもの

  • ロスバスタチン(クレストール)服用中の患者に、シクロスポリン(ネオーラル等)を処方
  • シンバスタチン(リポバス等)服用中の患者に、イトラコナゾール(イトリゾール等)を処方

etc. その時のエピソードも(詳しく書けない。書きたいけどw)も相まって印象に残ってるものです。

お薬手帳から分かる患者の病態によって、処方用量の変更を医師に内容を照会したものもあります。医薬品の用量を調節するに当たっては、小児か成人かのみではなく、腎機能なんかも特に重要な情報の1つで、最近ではこれを役立てる為に処方箋に臨床検査値(血液検査や尿検査の結果など)を記載する病院も増えています。最初から書いていてくれればぶっちゃけ話は早いんですが、書いていない病院・医院も多く、また、患者本人も検査結果の用紙をもらっていなかったり、あるいは、貰っても検査結果の紙をもらってそのまま家でファイルして重ねてるわー、と言う事が残念ながら結構多くあります。患者の腎機能を推測するには、処方内容が大きなヒントになります。腎機能の低下によってCaやP等の値が変わり、補正する為の薬剤が処方され、腎機能のステージによって使用される薬剤が異なってくるので、だいたいの推測がつきます。ただ推測だけでは医師に疑義照会をかける根拠にはならないので、おくすり手帳から腎機能の状態を推測して、腎臓のかかりつけ医に連絡を取って最新の腎機能のデータを教えてもらい、腎機能の数値と処方用量を確認して、変更が必要と思われたので、処方医に疑義照会して用量を変更してもらった事があります。

また、検査結果の紙を毎回ノートに貼りつけていてくれたおかげで、その場で処方医に薬剤の用量について疑義照会した事もあります。この方は【「おくすり手帳って何ですか?」と患者さんに質問された…】でいう「自分の健康状態を管理するための手帳」として小さな手帳ではなく、もう少し大きなノートを買って、お薬手帳・血圧の記録・検査値を全てひとまとめにして持ち歩いていらっしゃいました。

Bさん
小児患者さんで、皮膚科で抗アレルギーをもらっているのに、他局調剤の耳鼻科でまた抗アレルギーが処方されていたので疑義してどっちかを削ってもらうということは日常茶飯事

リラックマなどのかわいいおくすり手帳、どうやったら手に入るのでしょうか?

Aさん
それを置いてある薬局(および中の人)に頼むか、困ったときの Amazonさんです。もしかしたら東急ハンズやロフトなんかでも売ってるかもしれません。
ただ、お薬手帳は形やサイズに規定は無いので、市販のメモ帳やノートで良いと思います。ただし、表紙にはそのノートが「お薬手帳」であることと、表紙裏には副作用・アレルギーの履歴の記載はお願いします。

ちなみに、職場では数年前からキャラクターもののお薬手帳を導入したのですが(小児患者が増えてきたため)、リクエストに応じて成人患者さん (主に女性) にもお渡しする様にしたところ、普段からのお薬手帳の所持率があがりました。複数の患者さんにお話を伺ったところ「これまでのお薬手帳は、表紙に『お薬手帳』と大きく書いてあるのが目立ったり、『いかにも』なデザインで、外で鞄を開けた際に他人から見られるのが嫌であまり持ち歩きたくなかったが、可愛いイラストの書かれたものだと、友達に見られても『ただの手帳』と言う事が出来るから、安心して持ち歩く事ができる」と回答されました。ただ、持ち歩いていただけるのは、やはりその必要性を理解してくれている方に限られる様な感じもします。

Bさん
薬局によっては取り寄せできることもあるようなのでご相談ください。ただ、キャラクターものは表紙だけなので、患者さんで自分で可愛くデコったオリジナルカバーをつけてらっしゃる方がいらっしゃいました。

Aさんのお話には「おくすり手帳を持ち歩きたくない」人のための情報も多く、とても参考になります。普段からITを活用して情報収集・整理に余年のないAさんが「紙のほうがいい」というのですから、現時点では「紙のおくすり手帳」がベターな選択なのでしょう。おくすり手帳って、普通の紙なので持ち歩くとボロボロになりそうですが、Bさんがおっしゃるようにかわいいカバーをつけるというのもひとつの手ですね。

最後に、Aさんから「災害とおくすり手帳」についてのお話を。

ちなみに、私は1995年の阪神淡路大震災の後に関西の私立大学の薬学部に入学しました。薬学部の授業では薬剤師国家試験を目標とした授業や、薬剤師としての実務を学びます。私が入学する暫く前には薬事法の改正や大きな災害があり、また、母校では病院・薬局・行政で実務に就いておられた方々が講師として教鞭を取っておられたので、薬剤師の実務を取り巻く変化に割と柔軟に対応し、また実際にその場にいた者としてどの様に動いたか、何が必要で、今後はどの様に変化すべきか、等を講義して頂きました(当時はそんなに真面目には聞いていませんでしたが)。

その中で「阪神淡路大震災の際にお薬手帳が活用された」との話を初めて聞きました。しかしどうやらこの話題は、当時はあまり広くは知られていなかったらしく、卒後、仕事を始めてから、他の大学を卒業した同僚にこの話をしても「聞いた事がない」との返答が多かったです。

2011年の東日本大震災に於いては「お薬手帳」が大きな役割を担った事をご存知の方はどのくらいいらっしゃるのか分かりませんが、被災地に入られた薬剤師さん達の手記を纏めた本があります↓

【「おくすり手帳って何ですか?」と患者さんに質問された…】に回答した様に、災害時にはどの様に使われたかの記載があるので、時間があれば読んでいただきたいと思います。

これ以外にも、2011年の大震災の折には病院・診療所・薬局が津波や火災で失われ、これまでの診療記録も同時に無くなってしまい、広域災害であった為に自宅から離れた場所に避難した為に「これまでもらっていた薬が分からない」となった人が多くありました。が、その一方で厚労省の英断により

お薬手帳等を持っていて、自身の常備薬が分かる場合には、当面数日分の処方に関してのみ

  • 医師の診察無しで
  • 各々の保険に応じた自己負担金額のみで
  • 対応可能な保険調剤薬局

投薬を受けることができる」

という通知を出しました。

東北からは遠く離れた土地ではありますが、毎日流れてくるfaxに「おぉ、英断!」と思い、学生時代に聞いた阪神淡路大震災の時の話を思い出しておりました

「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説 (1)扇情的な見出し・結果の曲解

このポスターの翻訳版を作成した時に、「この内容が理解できるならそもそも騙されない」「言葉が難しすぎる」などの批判をたくさん頂きました。その時はクリエイティブ・コモンズの制約もあったので、「そのまま訳したポスターを、原版通りのレイアウトのポスターにする」ことをまず目標としたのですが、今回、田口たつみさん@tag_tatsumiとの夢のコラボレーションが実現し*1、非情にわかりやすいイラスト付きの解説記事を作成することにしました。なお、この解説は何回かの連載になります。気長にお付き合い、よろしくお願いします。
  

0. 「ダメな科学(Bad Science)」とはなんなのか?

日本にはニセ科学」(科学のふりをしているが科学でないもの)という言葉がありますが、それとは少し違うようです。「Bad Science」という言葉はBen Goldacreという人の書いた本から来ていると思われます。この本は、主要メディアにおける健康や科学に関する報道を批判しています。

厳密な定義はともかく、このポスターは「科学の伝え方や研究の質がちゃんとしたものかどうか、考えるためのヒント」になるでしょう。ここにある項目に気をつけてメディア報道などを見る習慣をつけることで、ニセ科学のようなおかしな理論を見抜ける可能性が高まっていくと思います。


なお、独断と偏見で難易度と対処法を設定してみました。こちらはあくまでも参考に。


はじめの2つの項目では、新聞や雑誌やネット上での、研究に関する報道を見る際にまず気をつけるべきことが書かれています。そこで、実例を2つ、研究紹介記事とその根拠を紹介している俺のソースさんか取り上げさせていただくことにします。元論文などは英語で難しいですが、まずは新聞記事とプレスリリースだけでも目を通していただけると、理解しやすいと思います。


<例1>犬と飼い主の絆形成の研究


研究内容の非常にざっくりした要約

実験により、ヒトとイヌとの間には視線とオキシトシンという名前のホルモンを介した正のループ(見つめあう→お互いにオキシトシン分泌量が増える→さらにお互いを見るようになる)が存在し、それにより生物学的な絆が形成されることが示唆された。

見つめ合い、鳴き声、乳を飲むなどの「アタッチメント行動」とオキシトシンを介した関係性は、哺乳類の母子関係のあいだに一般的に見られると考えられている。例えば、マウスの母子間では、仔マウスが鳴いたり乳を飲んだりうする→母親のオキシトシン分泌→母親の母性行動が上昇し、仔マウスへの庇護濃密に→母性行動を受容した仔マウスのオキシトシン上昇→仔マウスはさらに身体的な接触を求める…というようなループが存在する。


<例2>乳児期の栄養と脂質代謝に冠する研究

研究内容の非常にざっくりした要約

胎児期〜乳児期の栄養状態は成人期の生活習慣病の罹りやすさに関連することが指摘されていたが、具体的なことはよく分かっていなかった。肝臓には「脂質センサー」として働く PPARαという分子がある。今回、マウスを用いた実験で、乳児期にPPARαが反応する脂質を与えると、PPARαが活性化され、それによってDNAの脱メチル化が起こった結果、肝臓において脂質代謝に関わる遺伝子が活性化されることが示された。

1. 扇情的な見出し (難易度☆)

記事の見出しは往々にして、読者に「クリックしたい」「読みたい」と思わせるように作られています。研究結果が単純化されすぎているのはまだマシな方で、ひどい場合には、内容が誇張されていたり、歪められていたりします。

対処法の例:見出しだけで内容を判断せず、まず内容を読んでみる(特に他人に記事を紹介する場合には)。また、人の心をかき乱す(怒りや混乱、恐怖、焦りetc)表現を見たら慎重になる。



科学報道の1ジャンルとして、「大学や研究所が、自分のところの研究内容をプレスリリースなどで発表し、それをメディアが記事にする」という、最先端の研究を紹介するタイプの記事があります。往々にして、最先端の研究内容というのは「わかりにくい」です。なにせ、「これまでの研究」が膨大に存在して、その上に成り立っているわけですから、「ONE PIECE」をいきなり65巻から読むようなものです。また、一つ一つの研究から言える結論は(部外者から見れば)意外に少なく、前提条件や適用範囲が限られています。それでも、一般向けの研究紹介記事のタイトルは、研究内容を一行にまとめつつ、今まで読んだことのない人がその内容を理解できそうだと思い、興味を持つようになっていなくてはいけません。なので、専門用語はできるだけ避け、枝葉はそぎ落として単純に…その結果、正確さが犠牲になっていることが往々にしてあります。

また、ひどい場合には、記事を書いている人自身が、その研究のポイントを理解していなかったり、自らの意図に沿って誇張したり歪めたり…といったことも。ネットメディアでは、「とにかくクリックさせたい」「炎上でもいいから話題になったほうがいい」など、なりふり構わない場合も少なくありません。特に、「まとめブログ」などでは、タイトルでの煽りがひどい*3ものが多いです。

上記の例を見てみましょう。論文の方はかなり専門的なので置いておくとして、新聞記事のタイトルと、大学のプレスリリースのタイトルを比べてみてください。(例1)の新聞記事では、プレスリリースにある専門用語=ホルモンの名前(オキシトシン)や、「視線とオキシトシン」の話だという具体性がなく、「母と子のような絆」という情緒的な例え方が採用されています。なるほど、これは人々に親しみを持たせるし、犬と飼い主の間に母子の絆ってなんかステキな感じですよね。プレスリリースが「イヌとヒト」という、生物名としての書き方(カタカナ)なのに比べ、新聞では「犬と飼い主」という日常的な表現を用いているところもステキです。しかし、科学的に見ると「母と子のような絆」というのは非常に曖昧で、「視線とオキシトシンが絆形成に関与」というこの研究のキーワードを踏まえていないタイトルと言えます。でもこれは、読者やメディアの特性上、しかたがない、のかもしれません。

一方、(例2)は、「俺のソース」で「科学報道のダメ記事 of the year (2014)」のワース10に堂々選出された記事です。この論文、実際、内容的にはかなり難しいと言えるでしょう。論文では、「核内受容体」「DNA脱メチル化」「エピジェネティック」などの専門用語が飛び交っていますし、実験内容も専門的。非常に平たく言うと、「乳児期に脂肪を摂取することが、将来にわたって脂質代謝に関連する遺伝子が活性化するきっかけになるメカニズムが少しわかってきた」というような話です。「俺のソース」さんではこのように突っ込まれています。

胎児期に比べて出生後に脂肪酸代謝に関連する遺伝子の発現量が上昇するきっかけとしてミルクに含まれる脂質が関与している、というマウスでの話ですがこのタイトルでは母乳が良くて粉ミルクは良くない、というように取られかねません。母乳育児ができなくて悩んでいる方も多いなかでそういったことに思い至らない記者の能力を憂います。論文自体は、PPARaの脱メチル化の話です。医科歯科大学のプレスリリースでも「母乳」とあるので記者だけを責めるのは酷かもしれませんが。

科学報道のダメ記事 of the year (2014), 俺のソース, 2015.1.3

確かに、この論文では「粉ミルクと母乳の比較」はしていない(というより、プレスリリースを見る限り、実験にはミルクの脂肪そのものではなくて、「PPARαを活性化する薬剤」を用いています)ので、このタイトル(『母乳で育った子供は生活習慣病になりにくい!?』)はおかしいです。乳児期の脂質の摂取が問題であり、新聞本文ではちゃんとそのように書いている*4のに。

科学報道のダメ記事 of the year (2014)には、他にもダメなタイトルとそれへの突っ込みの例がたくさんあります。
  


2. 結果の曲解 (難易度☆☆☆☆)

意図的かどうかはともかく、ニュース記事では、「よくできた話」にするために、研究結果をねじ曲げたり、曲解したりしていることがあります。記事を鵜呑みにせず、できれば、研究内容の原典を読んでみましょう。

対処法の例:情緒的な表現や、誰かの願望を満たすような結論に注意する。できるだけ詳しい複数の人の解説を読む。


例1、2の、うさじまによるまとめは、論文の内容をできるだけそのまま、専門用語は少し減らして、思い切り簡潔にまとめたものです。文章力の問題はあるとしても、多くの人はこのまとめ方では「なんのことかよくわからない」「自分には無縁の世界の話」と感じるのではないでしょうか。特に例2はわかりにくいと思います。この研究の内容を理解するには、かなり専門的な知識が必要だからです。

専門的な内容の研究をそのまま伝えても、その背景知識のない多くの人には、「だから何?」が伝わりません。そして、科学の言葉をそのまま用いて背景を説明しても、読んでもらうことは難しいでしょう。なので、一般向けの記事にするには、背景をできるだけ簡潔にわかりやすく説明するとか、身近な話題に引き寄せる、「この研究から結局何が言えるのか」をざっくりまとめる、などの工夫が必要になるでしょう。

しかしその「工夫」が、故意か力不足かは別として、間違った方向に行ってしまうことがあるのです。

例2のプレス・リリースには、結論として

本研究は、これまで全く不明であった乳児期の栄養状態による脂肪燃焼の発達の仕組みの解明につながるものです。今後、母乳や人工乳の脂質組成の詳細な検討により、乳児の健康な発育のための母親の栄養管理法や人工乳の開発が期待されます。乳児期の栄養状態が脂肪燃焼に関わる遺伝子のDNAメチル化として「記憶」され、成人期の生活習慣病の罹りやすさに関連する可能性があり、乳児期の栄養状態に介入する「先制医療」の新しい手掛かりになることが期待されます。

とまとめています。これでもちょっとわかりにくいかもしれないので、これをもっと砕けた感じでまとめてみると、以下のようになると思います。

乳児期の脂肪の摂取が将来の脂質代謝に影響するメカニズムを解明するとっかかりができた。今後、どう脂質を摂ったらいいかというのを詳しく調べれば、粉ミルクの成分や、母親の栄養管理なんかに活かして、生活習慣病予防に役立てることができる…かも。

ところが、このニュースを伝える際に、ポイントを「母乳」の方に置いてしまったために、話のキモが変わってしまったのが以下の例です。

産経新聞の方では「母乳で育った子どもは生活習慣病になりにくい!?」と「!?」がついていたのに、こちらの記事では断定口調、しかも小見出しで「母乳で育った子供は肥満や糖尿病になりにくい」と繰り返しています。本文の方はそんなにおかしくないのですが、PPARαを活性化させる脂質があたかも母乳特有のものであるかのように受け取れる内容となっています。

先ほども述べましたが、この研究では母乳vs粉ミルクの比較はしていません。元論文は要約しか(無料で)見られないのですが、研究対象はマウスであり、母マウスにPPARαを活性化する物質(『リガンド』といいます。母乳にも含まれる脂肪酸は、PPARαの天然のリガンドの一つです)を投与して、母乳経由で子マウスに影響するのを見ています。この論文のキモは「脂質を摂取したことを『記憶』する機構がPPARαとDNA脱メチル化を介したものであること」であって、母乳にもともと含まれている成分が具体的にどうか、という話ではありません。ただ、乳児期の栄養源として、母乳に含まれる脂質が大きな働きをしていることや、母親の栄養状態が子の脂質代謝に影響するということからの研究であることから、「母乳」がひとつのキーワードとなっていると思われ、そこを過剰に「拾って」しまったことでこういった記事が書かれてしまったのでしょう。

この例では、「母乳の方が粉ミルクより優れている」という、ある意味「わかりやすい」(けど、実際の研究内容とはあまり関係ない)ストーリーに沿って研究を理解し、伝えようとしたために、なんか話がすり替わっちゃった例と言えます。

こういう報道は非常に厄介です。元の研究内容が専門的であればあるほど、それをちゃんと理解して多くの人にわかりやすく伝えるのは難しくなりますし、元論文を読んで理解するのも困難になります。

こういった記事を注意して見るには、複数の報道記事を見比べる、その専門分野に近い媒体の報道を見る(健康系なら医療系の日本語雑誌など)そしてSNSやブログなので自分の専門分野について解説してくれる専門家を見つけるなど、「できるだけ詳しい人(できれば複数)」の解説を読むことが必要になってきます。

*1:田口さん、本当に本当にありがとうございます!!

*2:もっと詳しく知りたい方向けに。オキシトシンと視線との正のループによるヒトとイヌとの絆の形成, 永澤美保・菊水健史, First Author's(論文著者による詳しい解説)

*3:内容もひどいですが

*4:一部、受容体と脂質代謝酵素をごっちゃにしているのかな?と思える記述もあるが…