生理用品と「月経の尊厳」

先日twitterで連ツイした内容、面白かったと数名に言っていただいたので調子にのってまとめておきます。


またまた、「使い捨てナプキンは有害だぜ、布ナプキンならなんの害もないし身体にいいぜサイコー!*ただし科学的根拠はありません」なんてネット記事が上げられてまして、そこからの派生で布ナプキンにぶら下がる呪術的な世界について考えております。布ナプキンについては、当ブログでも一取り上げたことがありました。約1年前のことになります。


今回のお話はこのエントリの内容とかぶっているのですが、もう少し掘り下げてみます。ただし今回は、使い捨てナプキンdisのためのデマ(石油由来製品だから身体に悪い、毒が子宮に溜まる等)については触れません*1。前回引用した角張光子著「ひろがれひろがれ エコ・ナプキン」から再度引用します。

でも振り返ってみると、私たちはつい四十年くらい前までは、脱脂綿にちり紙(落とし紙)を巻いたり、使い古しの布を縫って使用していました。そうして自分の家で燃えるゴミと一緒に燃やしていたころ、一番最後までくすぶっていたのがその生理用の脱脂綿だった記憶が私の遠い日の風景として残っています。
それが、本当にあっという間に大勢の女性が、お得で便利で手軽な市販の生理用品(ナプキン、タンポン)を手にするようになってしまいました。


「ひろがれひろがれ エコ・ナプキン」 P11

そんなナプキンの性能ばかりが宣伝されて、皮膚との関係や人体や環境への影響などは、ほとんど取り上げられることなく、今では、二十四時間コンビニエンス・ストアでも買える本当にお手軽な月経(生理)処理商品となっています。そして使ったあとは「汚物」と呼ばれ、トイレの「汚物入れ」に捨てられて、それをゴミ回収車が集めて回って焼却炉で燃やされます。それが社会の当たり前のシステムになってしまっています。
自分の体から出てくる月経血、そして生理自体を何となく汚いものと思ってしまう。そんな女性が多いのではないでしょうか。それは、市販の生理用ナプキンを使い続け、自分の月経血が自分の体から離れたとたんに汚物として処理されてしまう、こうしたシステムの中での結果なのではないかと思うのです。
(略)
布製のナプキンを使用すると、使って洗った時の自分の中に起こる変化が、確実な手応えとなって返ってきます。
自身の経血の色で体調や食とのつながりが見えてきたり、この滋養を含んだ鮮血液を植物の根元に掛けてあげると、その瞬間に女性の体が大地と一体につながっているという幸せな気分が沸き起こったり…と、自分の生理がいとおしくさえ思えてくるのです。さらに、自分で洗って干すことの気持ちよさを味わい、来月の生理が楽しみにさえなってきます。
(略)
自分の生理を受け止め自分の中で納得する快感を、あなたにもぜひ味わってほしいと思います。そうすることで、自分の生理と社会との関わり合いというものが、いかに今までできていなかったかということもわかってきます。


「ひろがれひろがれ エコ・ナプキン」 P12-14 より抜粋

角張氏の主張は、便利な生理用品が登場し、それを「汚物」として捨てることにより、月経血、そして生理自体を汚いと思ってしまうようになったのだ、ということです。便利で手軽な市販の生理用品を「使用するようになってしまった」という言い方にもそれが表れています。さらに、布ナプキンを使って洗うことで植物にあげて大地とつながってると感じたり、自分の生理を受け止めて納得し愛おしく思える、と言った少々スピリチュアルな領域にまで達することができるという考えのようです。こういった考え方は、布ナプキンを紹介するサイト上でよく見かけるものです。


一方、「手軽で便利な生理用品」を日本で発売した女性、坂井泰子とアンネナプキンについて調べた論文があります。こちらも、過去に当ブログで紹介しています。

時代とともに着実に進化してきた日本人の生活文化のなかで、まるで存在しないかのように無視され、十年一日のごとく形を変えなかったのが、月経処置法であった。これに対し疑問を感じた坂井泰子が、女性たちの日常を少しでも便利にしたいと創りだしたのが、アンネナプキンである。実際、アンネナプキンによって女性の活動範囲は広がり、外で働く際に月経をハンディキャップと感じることも少なくなった。アンネナプキンの登場が高度経済成長期の女性の社会進出を支え、その後の女性のライフスタイルに影響を与えたと言っても過言ではないのである。
(中略)
さらに、日陰者であった生理用品を大々的に世に送り出すためになされたアンネ社の広告戦略により、それ以前は「恥ずべきもの」「隠すべきもの」とされていた月経が、徐々に当たり前の生理現象として認識されるようになったわけだが、この劇的な月経観の変革が、自分たちの身体を不当に貶められてきた女性たちの身体観に与えた影響は、計り知れない。


アンネ社の生理革命 : 「不浄」から「当たり前」へ」  田中 ひかる p.53より抜粋

ここで語られているのは、アンネ以前の、「女のシモのもの」として技術の進歩から見放され、母娘間ですら語られることのなかった「日陰者」の月経の姿です。月経は「穢れ」でした。月経中の女性を隔離してたという話は有名です。


アンネナプキンがやったことは、「穢れ」としてアンタッチャブルな世界にあった月経を、商業主義の世界に引きずり出し、合理的に対処することができるものだと人々に感じさせるようになったことだと思います。それによって、女性が月経に過度に振り回されたり、神秘の世界に引きずり込まれずに、自由に社会的な活動を行うことができるようになった、そして月経を自分の身に起こる当たり前の生理現象として、普通に語ること/受け止めることができるようになったと言えます。そのことを裏付ける調査結果もあります。

その後、 1961(昭和 36)年に発売されたアンネナプキンを皮切りに、その後次々と国産の生理用品が普及しはじめ、 1970年代には全国どこでもこの製品が普及した。このころ に初潮を迎えた者たちくらいから、初潮の受容の状況が微妙に変化する.まず、 それは必ず母親に話されるべきイベントとして受けとめられる。家庭内や毅密な向性との空間においては、自分の月経が以前より公にされている。そうした 自分の月経を隠さない娘たちの態度によって、母親たちが再教育されるという 構図が見える。
また、社会の中に性や身体に関して語りやすい空気が生まれたとする評価が 1950年代前半 -1930年代後半出生者に顕著である。これは、前述の娘世代からの影響、商品化された生理用品による月経の顕在化など、様々な理由が言えるだろう。
月経という現象自体にかんする評価も、 1950年代以前の出生者では月経随伴現象を理由とする不快感を示すのに対し、 1940年代以前の出生者では、月経という現象それ自体に対するネガティブなイメージがうかがえる。


女性にとっての「月経」経験 : ライフコースの視点からの考察」 加藤 朋江 p.127より抜粋


アンネナプキンから始まる使い捨てナプキンも、布ナプキンも、「剥奪されている月経の尊厳を取り戻す」という意味を持っているとされることでは同じなのです。しかし、その方向性は逆です。神秘の世界から単なる生理現象へ、そしてまた神秘の世界へ、です。


角張氏は、アンネ以前の時代を知っている世代です。この方が、過去の月経の「穢れ」視をどう捉えているのかはわかりません。もっと若い人たちにとっては、「アンネ以前」は知らない時代のお話です。「近代化によって本来のすばらしい形が奪われた」という誤ったノスタルジー的な解釈で、使い捨てナプキンより布ナプキンが月経へのリスペクトになる、と捉えている方も少なくないのではないかと思います。現に、Twitterでは、「昔は布ナプキンを使っていたのです」と布ナプキンのパンフレットに書いてあったのを見たと仰る方もいました。実際には、アンネ以前の生理用品は脱脂綿であり、洗って再利用はされていません(twitterで伺った話では、戦時中は物資の不足から、脱脂綿を洗って再利用したこともあったが、それは仕方なくのことであった、とのことでした)*2。また、紙や布によって生理の手当をしていたとしても、それが、現代のように、たくさんの選択肢の中から積極的に選ばれたものとは思えません。言ってしまえば「それしかないから」が実情だったのではないでしょうか?先ほどの資料「アンネ社の生理革命」にもあるように、「穢れ」である月経の手当にそこまで積極的になるはずもありませんし、何より、アンネナプキンが大ヒットしたことがその裏付けであると思います。


月経の尊厳を奪っているのが文明であるか、神秘のベールであるか、どちらであると捉えるのかは、日頃どちらに親近感を感じているかで変わってきそうです。また、神秘的な意味合いの「穢れ」と、衛生上の清潔・不潔を切り分けて考えるのかどうかにも関係すると思います。こういった感じ方は、どちらが正解ということはないでしょう。ただし、昔の月経の手当が必ずしも快適なものではなかったこと、アンネナプキンの登場によって月経が「穢れ」から日の当たる場所にいったん引きずりだされたからこそ、現在のような布ナプキンのあり方があるのだということは知っておいた方がいいのではないでしょうか。出産についても見られる現象ですが、近代化によって合理的な安全や利便性がある程度得られてきた結果、その反動のように「合理性のおかげで損なわれたものがある」という考え方が芽生えているように思います。


なんでもそうですが、広く一般に拡散すればするほど、最初のころの「イズム」のようなものは薄れていきます。現に布ナプキンも、個人ではない商業サイトで取り上げる時は「子宮に毒が…」「エコ」というフレーズが中心で、あまり「大地とつながる」のようなことは言われていないようです。通販サイトのクチコミ欄などでもあくまで「漏れは大丈夫か」「肌触りは」というようなことが使用者の興味の中心であることが伺えます。最近雑誌「VERY」でも特集されていましたが、さすがというか、とてもお洒落で、商業主義的な取り上げ方だなあと感じました。また、twitter上にも、「使い捨てナプキンにかぶれるので使ってる」とか、「単にエコだと思ってたから使ってた」という方々もいらっしゃいました。こうして、広がって薄まっていき、布ナプキンが本当に単なる生理用品の一種になる日が来るのかもしれません。ただし、今回は深く触れませんでしたが「子宮に毒が溜まる」とか、「根拠はないけどケミカルナプキンで子宮内膜症になるらしい」なんていうのは、また別の月経への呪いだと思います。こちらの記事→「女の体を、脅すな<生理用ナプキンの真実> プレタポルテ by夜間飛行」に深く共感します。

*1:「高分子ポリマー」、子宮内膜症、「燃やすとダイオキシン」についてはもう少し掘り下げてみたいなと思っています。

*2:昔と言ってもどこまで遡るかにもよります。生理用品の歴史については「生理用品の選択基準-消費者が重視するポイントと、生理用品に対する意識の違い 藤澤美和子」)で紹介されています。また、こちらの日本衛生材料工業連合会のサイトでも簡単に紹介されています。江戸以前では、社会的な階級によりライフスタイルがかなり異なるため、「これがスタンダード」とは言いにくい気がしますが、「布ナプキン」を当てて洗って再生するのが一般的だったとは言えなさそうです。それにしても、昔の生理用品がいいというなら、古代に使われていたという、こんにゃくが最強ということになるのでしょうか?