シーラカンスは伝説の◯◯の正体だった…?
先日、シーラカンスの撮影に成功したことを発表した水族館・アクアマリンふくしま。シーラカンス研究に非常に力を入れていて、深海ファンなら一度は訪れたいところ…なのですが、残念ながら私はまだ行ったことがありません。そのアクアマリンふくしまで、2007年11月に国際シンポジウム「ザ・シーラカンス シーラカンスの謎に迫る!2007 The Coelacanth,Fathom the Mystery 2007」が開催されました。リンク先には、本シンポジウムの講演内容のpdfファイルがあり、見ていたら面白い内容があったのでご紹介します。
- 「CTスキャンによるインドネシアシーラカンスの解析」 渡辺 純一 (東京大学医科学研究所助教授)、鯉江 洋 (日本大学生物資源科学部獣医学科専任講師)
この講演内容は、シーラカンスをCTスキャンしたらこうだった、というもので、輪切り画像も掲載されています。…が、魚類の形態に詳しくない私には難しい話でした。しかし、後半は「Hypothesis(仮説)」として、「シーラカンスが人魚のモデルになった説」の解説になっていたのです。その部分を訳してみました。
人魚伝説の元となったのはマナティーまたはジュゴンであると広く言われている。しかしこの仮説の致命的な欠点は、ジュゴンにはうろこがないことだ。「人魚姫」はもっともよく知られた人間と魚の融合体だが、記録に残る最古の半人半魚の体を持つキメラは古代神オアンネスである。紀元前3世紀、バビロニアの著述家ベロッソスはオアンネスについて、神話上の存在で人間の上半身と魚の下半身を持ち、人類に知恵を与えたと記述している。
オアンネスはペルシア湾に住み、水中から現れて人間に文字、芸術、科学を教えたしてと描かれている。(略)
↓これが、そのオアンネスです。上半身が魚、というか魚に手足が生えているような。
シーラカンスを解剖した際の第一印象は、うろこに覆われたヒレ(lobed-fin)がきわめて手や足に類似しており、口蓋垂がヒトにそっくりであるというものだった(図6)。これらのことから、オアンネスまたは人魚は、人間とシーラカンスのキメラとして創造されたのかもしれないという、ジュゴン説に似た仮説を思いついた。ジュゴン同様、ペルシャ湾の工芸品にはシーラカンスがそこに生息し、捕獲されていたことを示すものがある。インドネシアのシーラカンスもまた、ジュゴンと生息域が近く、東洋の人魚もオアンネスと同様に創造された可能性が示唆される(図7)。人間の創造力は無限だが、自然界の観察により古代の神話が説明可能なこともある。シーラカンスはインドネシア及び東アジアの地元民にはよく知られていた(ジュゴンも同様)。シーラカンスの尋常ではない形態を理解しようと創造したのが魚と人間のキメラ、人魚だったのかもしれない。動物に似ているがうろこに覆われたヒレを持ち、どのような普通の魚とも似ていない奇妙な魚を捕まえた時、それを神聖な存在とみなすのは自然なことだろう(図8)。そして、シーラカンスとジュゴンを融合させたという仮説であれば、人魚がなぜうろこに覆われた魚の体を持っているのか説明がつく。(略)
「CTスキャンによるインドネシアシーラカンスの解析」より抜粋・翻訳しました
↓東洋の人魚はこんなのです。
どうでしょうか?シーラカンス+人間、シーラカンス+ジュゴンのキメラが、人魚伝説になっているのではないか…ということなのです。確かに、シーラカンスは人類よりずっと前からいたわけですし、発見された経緯も、地元の漁師が捕獲したのを博物館に持って行き…という話でした(この話は沼津港深海水族館で詳しく知ることができます)。古代から人間とシーラカンスは出会っていて、その不思議な形態が伝説になっていても不思議ではないのかも知れません。