清潔と不潔のあいだ

人が「うわ…不潔」と感じ、ぞっとする、というのは、感染症から身を守るために必要な本能かもしれない。
しかし、何に「不潔」と感じ、何はOKなのかは文化や人によってずいぶん開きがある。
最近では、米のとぎ汁を発酵させた(腐敗させた)ものを、「放射能」対策として飲んだり部屋にまいたりする人々がいるそうだが、これは大方の現代日本人の感覚からすればかなりアウトのはず、と思えるのだが、そうでもないらしい。

私は仕事で細胞を培養することが多いのだが、細胞というのはそのへんの雑菌にやられて簡単に死んでしまう。
だから、絶対にそのへんの菌が培養フラスコに入らないように気を使って育てなければならない。
けど、ごくたまに(?)細菌等の微生物が混入してしまうことがある。これを「コンタミ」(「コンタミネーション:汚染」の略)と言う。

コンタミしたフラスコは、ふつうのと色が違ったり濁っていたりする。
これを顕微鏡で見ると、細胞はだいたい死にかけているか死に絶えていて、その間にはびっしりとなにかが動き回っている。
細菌は細胞よりだいぶ小さいので、細胞を見るような倍率だと細菌はあまりよく見えない。
細かいツブツブが絶え間なく振動しているような感じだ。

私はこれを見ると背筋がゾッとする。
今にもこの菌が世界を埋め尽くしそうな気分になる。

ところが、別の実験では大腸菌を意図的に増やすこともよくある。
このとき、大腸菌は上記のコンタミ細菌とは比べ物にならないほど大量に増やされ、フラスコは完全に濁って特有の匂いまでする。
それでも、私は全然これを「汚い」「キモい」と感じないのである。
顕微鏡で見たことはないが、もし見て大量の大腸菌が泳ぎ回っていても、「よしよし元気でやってるな」としか思わないだろう。

さらに、以前カビの研究をしていたことがあって、カビも増やしていた。
寒天培地の上にびっしりと生え、黒く厚い層をなしたカビ。
これも、全然なんとも思わなかった。
むしろその滑らかな表面にうっとりしそうなほど。

ところが、このカビプレートに誤って他のカビが生えてしまった場合。
これが、ものすごくぞっとするのだ。
胞子ができていたりしたらもう、腐海を覗いてしまったような気分。
顕微鏡で見て、種類が同定できても、この気持は消えなかった。

そして、家に生えるカビや細菌にはめっぽう弱い。
下水パイプのつまりをとる製品のCMなんて正視できないくらいである。


このような「不潔感」、自分でも不思議に思う。
微生物が大量にあっても、なんとも思わない、素手で鷲掴みにできそうなこともあれば(やらないけど)、ほんのちょっとでも背筋が凍るくらいのこともあるのだ。
ゾッとする場合の共通点を考えると、「意図してないものが勝手に生えた」ということにあるようだ。
得体の知れない生物Xが勝手に増えている、というに恐怖を感じるのだ。
(あとから、その勝手に増えたやつがなんなのかわかっても恐怖はあまり減らないのが不思議なところ)

思えば、発酵食品を抵抗なく食べられるのも、それを発酵させた菌が意図して増やしてるもの、という感覚があるからかもしれない。

米のとぎ汁にわく菌も、やっている人は「私の思い通りの菌が生えている」という感覚なのだろうか?