「エイジハラスメント」小説版を読む
- 作者: 内館牧子
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/06/16
- メディア: 文庫
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「座りの悪い」新ドラマ
今期のドラマ、「エイジハラスメント」。ハラスメントと言われるものにもいろいろありますが、「エイジハラスメント」は聞いたことがなかったので、気になって公式サイトを見に行ってみると…。
イントロダクションには上記の文字。あー、これまた、「若い女は正義、年取った女は悪い魔女」ってアレですか…とそっ閉じしかけました。しかし、以下の文章を読んでかなり興味を持ってしまいました(強調うさじま)。
ヒロインの吉井英美里は、意欲、能力、向上心にあふれる上、若さと美貌をあわせ持った、一見すると幸せのパスポートを手にしたも同然の存在。しかし、“女性活用”は口先だけの旧体質な総務部に配属されたことで、彼女の持つものすべてがハラスメントの対象となってしまいます。
会社が英美里に求めるのは若さと美しさだけ。しっかり働きゆくゆくは役員になりたいという英美里の夢は、あっさり打ち砕かれます。一方で、ただ笑顔を見せるだけで頼みもしないのに男性社員からチヤホヤされる英美里は、あっという間に年上の女性社員の嫉妬の対象となってしまうのです。
若いから、きれいだから、それだけで煮え湯を飲まされることになった英美里。耐え忍ぶ日々にもついに限界のときが訪れます。堪忍袋の緒が切れた英美里が旧態依然とした会社に反旗を翻したとき、その先に待っているものとは…。
武井演じる痛快な反逆のヒロインにご期待ください!
原作『エイジハラスメント』は、日本の企業にはびこる嫉妬と焦りにまみれた年齢差別の現状を、30代女性のもがき苦しむ姿を通して描いた話題作。今作では、武井という瑞々しいヒロインを得て、原作の鮮烈なエッセンスはそのままに、視点を若く美しい新入社員へと置き換え、新しいドラマ作品として送り出します。
注目は、一流の大人を繕う男女の愚かしい本音を、手加減のなくあぶりだす内館のシナリオさばき。年齢で女性の価値をはかる…そんな下劣な行為は、内館牧子が許しません!
この文章、なかなかに座りが悪くないでしょうか。
- 「年齢差別の現状を描く」のに、なぜか原作の30代女性を「若く美しい新入社員」に変更している。皮肉?
- 「年齢差別」が「嫉妬と焦りにまみれ」…それって、差別されている高齢女性側の描写?
- 武井咲の真の「敵」は会社(の年齢差別&性差別)のはずだけど、「年上の女性社員」と共闘できるようには思えない書き方。
- でも、着地点は「年齢で女性の価値をはかる…そんな下劣な行為は、内館牧子が許しません!」
…なにがやりたいのか、今ひとつ見えてこないのです。
でも、いきなりドラマを見る「勇気」はありませんでした。不快になるかもしれないと思いながらわざわざ見てやっぱり不快になったらイヤですから。で、第一話終了後、Twitterの感想を見てみると、やはり「武井咲が職場の年上の女性たち(稲森いずみなど)にいじめられ、最後にブチ切れたのが爽快だった」という話、らしい。うーむ。
原作小説を読んでみる
モヤモヤが止まらないので、原作小説を読んでみることにしました。内館牧子作品(小説)を読むのは初めてです。
原作の主人公は、34歳の女性、大沢蜜。蜜は、医科大学看護学部在学中、現在の夫直哉と出会い、21歳で大学を中退して、結婚。夫は企業研究者で、「誠実で頑固で熱血漢」。2つ年上で、結婚以来ずっと蜜を「守って」くれている。六歳の娘が一人。蜜は、在学中に結婚を決意した時、「大学を中退してまで恋を貫くことへの陶酔」の他に、「深い知識が必要であり、かつ、大きな責任が伴う」「重労働で、頭脳と肉体の両方を酷使する」看護師として働く自身をなくしていたことを一つの大きな理由として挙げていまます。
小説は、蜜が美容院で雑誌を読んでいるシーンで始まります。「40代女性こそが輝いている」という女性誌の内容に欺瞞を感じながら、34歳という自分の年齢を思って「若くあらねばならない」「夫にいつまでも『自慢の妻』と思われたい」というプレッシャーを強く感じています。一方、夫の直哉はそんな蜜に「他に考えることがあるだろうと言いたくもなる」と考えながらも、ほめたり喜ばせたりしています。
蜜は、住宅ローンの足しにするため、とんかつ屋でパートをしています。普段はとんかつを挙げたりしているのですが、創立十周年のパーティに際して、店長から「役員と主要な来賓のもてなし係」として…、「言うなれば、偉い人には一人ずつコンパニオンをつける」のに、「各店舗から一人ずつ女性を出してほしい」と本社から要求された「女性」に選ばれ、張り切っています。店長の狙いは「自分の店を売り込むチャンスに、美人で頭の良い大沢さんを」。蜜は、わざわざ訪問着を着て、美容院で髪もセットして挑むのですが、土壇場で、安っぽい下着みたいな洋服を着て、あほっぽいしゃべりをする若い「エロバカネエチャン」にその役目を奪われてしまう。店長いわく「総務が今日になっていうんだよ。コンパニオンは若い子のほうがいいって、イヤ、俺は年の人の方がいいと思うんだよ、マジに。」
この出来事に激しく傷ついた蜜は、女が年齢によって激しく差別される日本の現状に疑問を持ち始めます。そんな中、現在大学生の夫の妹が同じマンションに引っ越してきたり、誠実だった夫がよりによって若い女と浮気したり…といろいろなことがあり、それを通して「女性と年齢」の問題が描かれます。
この小説は、基本的に神の視点で描かれています。そのため、いろいろな立場から、「エイジハラスメント」という現象が描かれます。「女は若いほうが価値が高い」という価値観を内面化しつつ、疑問を持ち始める主人公、蜜。女性に対するエイジハラスメントに加担したくないと思いながらも、蜜を含め様々な女性たちを俯瞰的に見ている理系男子の夫、直哉(理性代表、でしょうか)。そして、「付き合うのは若い女限定。若い女のほうが魅力があるにきまっている。でも、仕事柄それを表に出さない術も知っている」直哉の友人でアパレル業界人の保科(こちらは、『世間の本音』代弁係?)。
また、内心の描写がほとんどされない、蜜とは異なる生き方をする女性たち…「美しく若い女性としての旨味を存分に味わいながら、将来それを失った時のためにも備えようとする女」や、「自分の若さや、求められる女性の役割にこだわらず、自分なりの目標に向かってまい進する女」「外見は無頓着、女性にとって自立できることが重要であることをよく知っている女」「男の前に出ると媚びた幼いしゃべり方をする、イタイ40代の女」なども出てきます。
蜜は主人公で、確かに「エイジハラスメント」の被害者です。しかし神の視点ですから、蜜自身が年齢差別的な考え方を内面化していて、「周囲に若くて美しいと評価されることにこだわる愚かさ」も描かれています。夫の浮気相手が「ただ若いだけの女」ではないところに、そのなんとも言えない「痛さ」があります。
その一方、日本の若さ至上主義、女性が外見や年齢でジャッジされる社会の理不尽に対しては、かなり強く、批判的なメッセージを発してもいます。あとがきでは、こう述べられています。
だが、男たちは割と無神経に「オバサン」「オバチャン」を口にする。昨今はかなり言わなくなったとはいえだ。時には二十代であってもオバサン呼ばわりされ、五十代でも「ああ、あのババアか」と言われたりする。言われた本人たちにはオバサン意識もなく、ババア意識もないのに、他者が勝手に女の立ち位置を決める。それが日本の現実ではないか。
私はこの「他者が勝手に決める」ということに興味を持ち、女の年齢について書きたいと思った。(幻冬舎文庫「エイジハラスメント」あとがき)
もちろん、内館牧子らしい(?)女同士のバトルも出てきます。蜜 vs リア充女子大生の義理妹のバトルはかなり壮絶。しかし、リア充女子大生は「意地悪な年増義理姉にいじめられるかわいそうな女」ではありません。若さゆえの残酷さで蜜をバッサバッサ斬ってきます。Zガンダムでカミーユに修正されて「これが若さか…」と涙ぐんでいたクワトロ・バジーナさんを思い出しそうになります。しかし、蜜も負けてはおらず、応戦します。そして、この義理妹の発言や、夫の不倫相手の姿から、ちゃんと学び、成長することができる人間でもありました。
物語の終盤、蜜を通して、内館氏の「エイジハラスメント」に対する「処方箋」が語られます。社会が簡単に変わらないとして、女性が若さを失った後も楽しく堂々と生きるには、どうしたらいいか。これは、ぜひ小説をお読みになっていただきたいと思います。
今、ドラマ化される意味は?
今、このテーマでドラマが作られた背景には、もしかするとちょっと前の話題作、「問題のあるレストラン」の影響があるのかな?と思いました。この作品は、企業や家庭でのセクハラ、モラハラが個人に、そして組織にどんなダメージをもたらすか、ハラスメントのない環境で働くことで人がいきいきとできること、なにかと分断されがちな女同士の連帯などを描いていて、見応えのある作品でした。セクハラ描写が過剰にわかりやすいところがあり、反感を買う面もあったかもしれません。でもtwitter等で感想を見ていると、「これくらいわかりやすくしないと、セクハラのなにが悪いか理解できない」人たちもたくさんいるのだ、と分かりました。いちばん心に残っているセリフは、主人公のセリフ。
「いい仕事がしたい。ただ、いい仕事がしたいんです。」
男性であろうと、女性であろうと、職場では仕事がしたい。当然です。その「当然」がハラスメントによってできなくなる。その辛さ、理不尽さを、「問題のあるレストラン」は描きました。主人公が見る夢として、かつてセクハラ、パワハラをしまくっていた上司たちが、ハラスメントなく普通に「いい仕事」をする、「理想の店(レストラン)」が描かれたのも、印象に残っています。
「エイジハラスメント」小説版では、実は「企業という組織の中でのエイジハラスメント」、そしてそれと密接に関わる「女性が職場でも女性としての性役割を演じることを求められることの問題」については、あまり掘り下げていません。ドラマ化にあたり、企業OLが主人公になったことで、このへんの問題が描かれることは期待できるのかもしれません。
「あとがき」によれば、「エイジハラスメント」小説版の構想は1998年、発表が2008年のようです。
もしも、「他者が勝手に女の立ち位置を決める」という暴挙が、この十年間ですっかりなくなっていたなら、当然、私は書くことができなかった。だが、現実には「すっかりなくなった」という状況にあるとは思えず、逆に若い人たちの傍若無人ぶり、何でもアリぶり、刹那主義がさらにひどくなったと感じた。同時に、若くない人たちの回春願望、若者への媚、威厳失墜もひどくなったように思った。
(幻冬舎文庫「エイジハラスメント」あとがき)
それから、さらに7年が経った2015年。このドラマ版が、小説版より「後退」していなければいいな、と切に思います。
「エイジハラスメント」という言葉について
内舘氏は「エイジハラスメント」という言葉について、「多くの取材を続ける中で、一人が何気なくつぶやいたものである。私は瞬時にして、これこそがベストのタイトルだと思った。」とされています(あとがきより)。
確かに「エイジハラスメント」という言葉はキャッチーではあります。その一方、「職場における年齢差別」というシリアスな問題を軽くしてしまうのではないか?という不安も感じてしまいます。「また新しい『ハラスメント』か…。自由に発言できなくなる時代だなあ」という反応も予想されます*1。
それから、ドラマの内容によっては、「メディアが言葉の意味を逆にしてしまう問題」が起こりかねないことも危惧していまいます。
- 「プロ彼女」「家事ハラ」「負け犬」なぜみんな逆の意味になってしまうのか?, 田岡 尼, LITERA, 2014.12.02
こんな記事を書いておいてなんですが、うさじまは今後もこのドラマは見ないかなーと思います。センセーショナリズムを重視する気がビンビンに伝わる公式サイト、そしてTwitterの感想やweb記事だけでお腹いっぱいになってしまいます。こういう形のスリルは求めていません。もしかして、途中で確変して神ドラマになるのかもしれないけど…。その時は、思い切り後悔すると思います。
原作小説も、十分スリリングで、リーダビリティも非常に高く、一気に読んでしまいました。もっとこれに近い内容のドラマであったら、見たかったと感じます。ドラマを見て興味を持った人が、この小説を気に入るかどうかはわかりませんが、一度読んでみられてはいかがでしょうか。
*1:…と思っていたら、内舘氏本人が言及されています。どう解釈していいか今ひとつはかりかねる感じですが。 『エイジハラスメント』脚本家・内館牧子氏「連続ドラマは難しい」