酵素、酵母、発酵。どうちがうの?

今日から3回シリーズで酵素について書きます。

個人的には生物分野において、知識のある人とない人の間での認識のズレが最も大きい概念の一つが「酵素」、ではないか、と感じています。「酵素」は、生命活動の根幹を担うような重要な存在です。しかし、正確な概念があまり知られずに、「なんか体にいいらしい」とか、「よくわからない健康食品」として広く認識されているように思います。というのも、「酵素」については、義務教育では消化酵素の種類と簡単な働き程度しか習わないようなのです。高校生物ではそこそこ詳しく習うようですが、やってない人・忘れている人も多いと思います。そこで、今回は、まず「酵素酵母と発酵ってどう違うの?」というところにポイントをおいて、酵素についてざっくりまとめてみました。生物に詳しい人には常識的な内容ですので、このエントリはとばしてくださってもかまわないです。

酵素とは?

  • 「一言で言えば、触媒として働くタンパク質の総称である。我々の体内では、さまざまな化学反応が常温・常圧・中性付近という温和な条件下で効率よく、かつ精妙にコントロールされつつ整然と進行している(「酵素−科学と工学, 虎谷哲夫ら, 講談社, p1)」
    • タンパク質は、20種類のアミノ酸が、細胞の中で、遺伝子の情報どおりに繋げられ、決まった形に折りたたまれたものです*1。つまり、酵素は細胞で作られるもので、その設計図は遺伝子に書かれています酵素は、生きた細胞にしかつくれません*2。細胞の中では、その時必要な酵素が、作られては壊れることが繰り返されています。
    • 触媒とは、反応の前後で自分自身は変化せずに化学反応を促進する物質のこと。酵素は触媒の中でも特に優秀で、少量で大きな効果があります。酵素が働くことで、化学反応のスピードが数千万倍〜数千兆倍とかになります。つまり、酵素がなければ数ヶ月とか数千万年とかかかるような反応が数秒で起こることになります*3。なので、「酵素がなければ(反応速度が遅すぎるために)起こらない(ように見える)反応を(「実用的」な時間で)起こさせることができる」わけです。ただし、化学的・物理的にマジで起こり得ないような反応は起こせません。例えば、放射性核種の崩壊を早めて放射性物質を消すとか、何もないところからエネルギーを生み出す、とか、無理です。
    • 化学反応とは?定義はwikipediaを見ていただくとして、すごくざっくり言うとある化学物質のパーツが入れ替わることで他の化学物質に変わる反応。わたしたちの体の中で起こっている消化や代謝も、すべて化学反応です。「化学物質」というと、人工的に作られた有害な物質、というイメージがあるかもしれませんが、実は私たちの体をつくるタンパク質も脂肪も水も、すべて「化学物質」です。ですから、体に必要なものを合成するのも、食べたものを消化するのも、化学反応なのです。そして、体の中でおこる化学反応の多くに酵素が関与しています。
    • さらにざっくり例えると、酵素はノリやハサミのようなものとも言えます。化学物質をパーツごとに切ったり張ったりして、別のものに変えます。でも、パーツ自体を別のものに変えてしまったり、消し去ったり、なかったパーツを生み出したりすることはできません。



酵素反応の例です。アルコール発酵(糖からエタノールができる何段階かの反応)の最後の反応で、「アセトアルデヒド」に水素(H)をつけて「エタノール」に変えます。C(炭素)H(水素)O(酸素)と「NAD」を化学物質のパーツと考えてください。反応前後で数が変わらないことに注目、です。この反応を触媒しているのが「アルコールデヒドロゲナーゼ」という酵素で、この酵素自体は反応の前後で変化(パーツがくっついたり取れたり)はありません。

    • 化学反応は、一般的に、熱を加えたり圧力を加えたり、pHを変えたりすると速く進みます。学校でやった理科の実験でアルコールランプで熱したりしましたよね。それは、熱を加えて化学反応を起こさせていたのです。しかし、生物の体の中は常温・常圧・中性付近です。体の中で火を使うような高温を作り出すことはできません。でも酵素があれば、穏やかな条件で、化学反応を進めることができるのです。
    • 酵素の重要な性質の一つに、「一つの酵素は基本的に一種類の反応を触媒する」ということがあります。いわば、酵素は職人のようなもので、基本的にひとつのことしかできません。これは、酵素が、特定の基質(酵素によって化学反応を触媒される物質)と物理的に結合することで働くからです。よく、「鍵と鍵穴」のようにピッタリはまる、と言われます(実際には酵素は基質よりだいぶ大きくて柔軟なので、基質を包む「ゆりかご」のような感じでしょうか。化学反応を起こしかけの基質は不安定な状態なのですが、酵素と結びついて安定になるのではないかと考えられています)。なので、酵素は、その触媒する反応で呼ばれます。例えばでんぷん(ラテン語でamylum)を分解する酵素はアミラーゼ、DNAを分解する酵素はDNase、クエン酸を合成(synthesis)する酵素クエン酸シンターゼ、などと呼びます*4
    • もう一つの酵素の性質として、温度やpHや濃度(酵素や基質の濃度)に関して、ベストな条件が酵素ごとにあり、その条件から大きく外れるとまったく働かなかったり、下手すると酵素自体が変性して二度と働けなくなったりするということがあります。酵素はけっこうデリケートなのです。これは、酵素にとって基質とピッタリ結合する立体構造が大切であり、その立体構造は、アミノ酸が直線状に連なったものを折りたたんで作っているために、変形しやすいということに関係しています。酵素の「ベストな条件」は、酵素ごとに大きく異なり、その酵素が働くべき場所で働けるようになっています。例えば、熱水鉱床に住む生物の酵素は高温高圧で働きますし、アルカリ性の湖に住む生物の酵素アルカリ性で働きます。ヒトの持つ酵素でも、胃酸の中で働くペプシンはpH2.0という酸性条件で一番頑張れます。また、丈夫さも酵素ごとに異なり、一般的に、体外に分泌される消化酵素などはかなり丈夫にできています。

 

発酵*5とは?

発酵とは、微生物を利用して、食品を製造することや、有機化合物を工業的に製造することをいいます(wikipediaより)。微生物は、人間が持ってないような酵素を持っていて、ヒトの体内では作れない化学物質を作れたり、ヒトには分解できないものが分解できたりします。例えば、青カビはペニシリンを作ります。これは、青カビがペニシリンを合成する反応を触媒する酵素を持っているからです*6。人間は、昔から微生物を利用して食品を作ってきました。例えば、ワインやビールなどは紀元前からあるそうです。他にも味噌、醤油、酢、納豆、チーズなど、発酵食品はたくさんありますね。これらは、微生物等が酵素反応によって食品の成分を他のものに変化させることを利用しているのです。

 
 

酵母とは?

酵母は、「栄養体が単細胞性を示す真菌類の総称」です(wikipediaより)。真菌というのは、カビやキノコの仲間を指します。カビやキノコは、多くの菌糸が寄り集まっていますが、酵母は一つ一つの細胞がバラバラになっています。酵母は一種類の生物というわけではなく、上記の定義が当てはまる生物をまとめてそう呼んでいます。単細胞の微生物としては細菌類もいますが、酵母は細菌よりも高等な生物と言えますし、サイズもだいぶ大きいです。


ワインなどのお酒は、酵母による、「アルコール発酵」とよばれる一連の反応を利用して作られています。酵母は、酸素がない状態で、糖を分解してエネルギーを得ます。その結果、エタノール二酸化炭素が作られるのが、アルコール発酵です。このアルコール発酵は、酵母細胞が作る複数の酵素により触媒されています。アルコール発酵における化学反応の一つ(アセトアルデヒドからエタノールを作る)を、上に図で示しています(ヒトの体内ではアルコールを作ることはできません。ヒトもアルコールデヒドロゲナーゼと呼ばれる酵素を持っていますが、これはエタノールアセトアルデヒドに分解します。すなわち、アルコール発酵の逆反応となります)。


酵母については、下記のブログでかわいいイラスト付きで紹介されています。ぜひごらんください(ちなみに、こちらのブログ記事の主役は出芽酵母もやしもんの「S.セレビシエ」の仲間です。他には「分裂酵母」というやつもいます。こちらは「もやしもん」で言えば「S.ポンべ」)。

歴史的に見ると、長い間、人類は発酵を利用しつつも、それが科学的にどのような現象かは知らずにいました。微生物が関与しているということも、19世紀までわかってなかったのです。「酵素」は、発酵についての研究が進んだ19世紀に、「発酵を起こす何か」として発見されました。また「酵母」は、17世紀にビールの中にある粒子状の物質として発見されていましたが、発酵の関係がわかったのはやはり19世紀になってからです。19世紀には、酵素と発酵、そして酵母についての研究が一気に進み、続く20世紀に、酵素の本体がタンパク質であること、タンパク質を作るための情報が遺伝子にコードされていて、その本体がDNAであることなどがどんどん解明され、酵素が生物にとって非常に重要であることがわかっていったのです。次のエントリでは、このへんの歴史について紐解いてみます。
  

 

ここまでのまとめ

  • 酵素とは、触媒として働くタンパク質で、生物の細胞内で作られる。色々な化学反応を起こさせ、体内での物質合成や分解を行うもの。
  • 発酵とは、生物による物質の分解や合成(つまり、生物による酵素反応)を利用して、食品中の成分を別のものに変えること。
  • 酵母とは、微生物の一種で、アルコール発酵やパンの発酵などに長年利用されきた生物。
  • 人類は、発酵を紀元前から利用してきた。19世紀以降、酵素酵母と発酵の関係が明らかになり、酵素の本体がタンパク質であること、酵素を作るための情報は遺伝子に書かれていることなどがわかってきて、分子生物学が大きく発展した。

2013.12.10追記
酵素・酵母・発酵の図を 佐久間功さんが作成してくださいました。
ライター・編集者の佐久間功さんがたいへんわかりやすい図を作成してくださいました。

*1:「リボザイム」という例外もあります(RNAでできている)。

*2:「無細胞発現系」というものもありますが、これは人間が頑張って作ったものです。

*3:(「酵素−科学と工学」, 虎谷哲夫ら, 講談社, p50」)

*4:「アミラーゼ」と言っても一種類ではなく、細かく性質の違うアミラーゼが色々あります。さらに、同じ種類のアミラーゼでも、持ち主の生物種によって微妙に性質が違ったりします。この違いは、生物ごとの遺伝子の違いを反映しているのです。

*5:ここでは生物を用いた食品加工等(広義の発酵)について述べます。

*6:この「化学反応」はひとつではありません。原料となる物質(カビが栄養として取り入れたもの)から、何段階もの化学物質を経てペニシリンをつくります。そのステップごとに異なる酵素が働きます。