口紅と鉛の話。「化粧で知能が低下する」!?
IRORIO :2012年12月05日 さえきそうすけ
米ボストン鉛中毒予防プログラムを指揮するSean Palfrey博士によると、22のブランドの口紅のうち55%に微量の鉛が含まれていることがわかり「たとえわずかな量の鉛であっても有害で、特にメンタルヘルスに甚大な被害をもたらすことがある」と警鐘を鳴らしている。
現在わかっているだけでも、微量の鉛がIQや行動、学習に悪影響を及ぼすと言われ、特に子どもや妊婦には厳禁だという。小さな子どもが口紅を舐めないように細心の注意を払ってほしいと専門家は念を押す。
先日、上記の記事が掲載されていました。なかなか刺激的なタイトルですし、このさえきそうすけ氏の書いた健康記事についてはつい最近NATROM先生のブログで検証され、内容の不正確さが指摘されていたこともあり(「自宅出産より病院出産の方が失血死のリスクが高い?」NATROMの日記)、詳しく調べてみることにしました。
なお、以下「口紅」という言葉を使用しますが、英語では「Lipstick」と表記されていたものであり、実際「口紅」に限るのか、グロス等も含むのかははっきりわかりませんでした。しかし、後述するように鉛が鉱物由来の色素に含まれるものならば、グロスでも鉛含量はそれほど違いはないのではないかと考えられます。
元ネタとしてリンクされていたのは以下の「Mail Online」の記事です。
Mail online. 2012.12.3
Mail onlineというのは、イギリスのタブロイド紙「デイリー・メール」系列のWeb媒体です。健康情報の元ネタにタブロイド紙というのも、不思議な話ですが、とりあえず中身を見てみました。以下、その要約です。
- GMA(Good Morning America)という米国のテレビ番組の依頼により、保険業者安全試験所(Underwriters Laboratories)が、22ブランドの口紅を試験したところ、55%にあたる12ブランドから、最大3.22ppmの鉛を検出した。
- ボストン鉛中毒予防プログラムのMedical directorであるDr Sean Palfreyは「低濃度の鉛への曝露であっても、深刻な健康リスクがあり、メンタルヘルスに影響するおそれがある。現在のところわかっているのは、最低濃度の鉛であっても、IQ、行動、学習能力に悪影響を与える可能性があるということだ」と警告した。
- Personal Care Products Council(世界的な化粧品業界団体)のチーフサイエンティストであるDr Halyna Breslawecは、「鉛中毒の公衆衛生的な側面を本気で考えるなら、口紅ではなく、子どもたちの住環境を考慮するものだろう。子どもたちは、有害な廃棄物集積場のそばに住んでいないか?また、鉛を含んだ塗料の欠片を口にしていないか?」とコメントした。
- 現在のところ、FDAは口紅の鉛基準値を定めていない。
- GMAはテストしたブランドの公表を拒否しているが、米国内のデパート・ドラッグストアで購入できるものとしている。
- 鉛は意図的に添加されたものではないが、多くの着色添加物は鉱物由来で、土壌、水、空気中に自然に見られる微量の鉛を含んでいる。
- 2010年にFDAにより行われた調査では、口紅中の鉛の最大値は7ppmであった。
(「PREVENTING DISEASE THROUGH HEALTHY ENVIRONMENTS EXPOSURE TO LEAD:A MAJOR PUBLIC HEALTH CONCERN」「EVALUATION OF CERTAIN FOOD ADDITIVES AND CONTAMINANTS」,ともにWHO)。によれば、鉛の毒性について、子どもは大人よりその影響を受けやすく、もっとも重大なのは神経系の発達への影響であることの他、妊婦が高濃度の鉛に曝露することで流産や死産、早産等を起こすこと、慢性的な曝露で貧血、神経障害、運動失調等の影響があること、また発がんへの関与の可能性があること、高血圧、腎機能障害等に関係していること等が知られているようです。ちなみに、メンタルヘルスとの関係はこれらの資料には記載されていませんでした。
FDAのデータと見解
実は、「口紅に鉛」問題が報道されたのは今回が初めてではありませんでした。こちらのロイターの記事にあるように、2007年に口紅に鉛が含まれていることが報道されていました。そこで、FDAのサイトを調べてみると、2007年、2010年に調査を行なっており、メーカー名や商品名、色も入った鉛の検査結果等の表を含む記事が出てきました。先ほどのMail onlineにあった「2010年のFDAによる調査での最大値」7ppmも確認できます。全米で販売されている400種類の口紅をテストし、その鉛含量は平均1.1ppmであったそうです。ここに具体的な商品名等は載せませんので、気になる方はリンク先をごらんください。なお、元記事では「55%の口紅で鉛を検出」とありましたが、FDAの試験ではほとんどすべての製品から鉛が検出されています。この違いはたぶん、検出方法の違いによるためと考えられます。
- Lipstick and Lead: Questions and Answers FDA 最終更新日2011. 12. 5
上記には、「口紅と鉛」についてのQ&Aも含まれています。化粧品の鉛の基準値については、化粧品自体には鉛の基準値を定めていないが、化粧品に使用される着色添加物の鉛含量については20ppm未満等の基準を設けている、着色添加物の承認にあたっては、想定される使用法に応じた安全性評価を行なっていると記載されていました。また、口紅の鉛の危険性についてのQ&Aを、下記に翻訳してみました。
FDAにより検出された口紅の鉛含量について、安全上の懸念はありますか?
いいえ。FDAのでは、二度の試験*1で検出された量の鉛を含む口紅を使用することにより、消費者に危害が及ぶ可能性を評価しています。口紅は、局所的に使用することを意図した製品であり、吸収は限定的なものですので、経口摂取される量は非常に少なくなります。FDAでは、口紅から検出された鉛の量に安全上の懸念があるとは考えていません。口紅から検出された鉛の量は、FDA以外の保健当局*2の推奨する口紅を含む化粧品における鉛含量の基準値以下です。
口紅の中には、キャンディの基準値を超える鉛が含まれるものがあると報告されていました。これは妥当な比較なのでしょうか?
いいえ。FDAの推奨するキャンディの鉛含量の上限は0.1ppmです。経口摂取することを意図した製品であるキャンディの鉛含量と、局所的な使用を意図した製品で、経口摂取量はキャンディに比べ非常に少ない口紅の鉛含量によるリスクを同一視することは、科学的には妥当ではありません。
<原文>
Is there a safety concern about the lead levels FDA found in lipsticks?
No. We have assessed the potential for harm to consumers from use of lipstick containing lead at the levels found in both rounds of testing. Lipstick, as a product intended for topical use with limited absorption, is ingested only in very small quantities. We do not consider the lead levels we found in the lipsticks to be a safety concern. The lead levels we found are within the limits recommended by other public health authorities for lead in cosmetics, including lipstick.3,4
It has been reported that levels of lead in certain lipsticks exceed those for candy. Is this a fair comparison?
No. The FDA-recommended upper limit for lead in candy is 0.1 ppm6. It is not scientifically valid to equate the risk to consumers presented by lead levels in candy, a product intended for ingestion, with that associated with lead levels in lipstick, a product intended for topical use and ingested in much smaller quantities than candy.
なお、FDAでは現在、口紅の鉛含量について上限値を設定すべきかどうか検討中だそうです。
鉛の毒性と、口紅からの鉛摂取量
最後に、口紅から実際どの程度の鉛を摂取する可能性があるのか、そしてその毒性について試算してみました。なお、この計算は、「唇に塗った口紅を全部舐めとってしまう」という仮定で行いました。うさじまの場合、多分ぜんぶ舐め取ってる気がするので(笑)。
口紅の重量ですが、うさじまも一本だけ持っていてごく平均的な口紅の形状とおもわれるシャネルのルージュ・ココが、3.5gだそうです。ずっと同じ口紅をつけ続けるということはないので、一本の口紅を何日くらいで使い切るのか、というのは難しい問題です。しかしこの口紅については、一時期は毎日のようにつけていて、3ヶ月くらいは週五で使ってたと思います。でもまだ残ってます。ということで、ここは100日で口紅一本使い切る、と仮定してみます。一日の使用量は0.035gです。およそ0.04gとします*3。上記のFDAのデータで、鉛含量の最大値は7ppmでした。もし、この口紅を使ったとすると、1ppm=1μg/gですので、口紅からの鉛摂取量は一日約0.3μgになります。この量は、どれほど危険なのでしょうか?
鉛の毒性については、かつては世界食糧農業機関/世界保健機関の食品添加物・食品汚染物質の合同専門家会議(JECFA)において、暫定週間耐容摂取量(PTWI)として、25μg/kg 体重が勧告されていたようです。しかし、2010年の会議で、新たな知見を踏まえ、この値については「もはやhelth protectiveとは言えない」として撤回し、新たな基準を定めることができない、としています(「PREVENTING DISEASE THROUGH HEALTHY ENVIRONMENTS EXPOSURE TO LEAD:A MAJOR PUBLIC HEALTH CONCERN」, WHO)。
ただし、IQへの影響については、Lanphearらが「体重20kgの子どもについて、17μg/日の鉛を経口摂取した集団では、IQが0.5低下する」という計算をしています(食事以外からの鉛の摂取がない場合)(「EVALUATION OF CERTAIN FOOD ADDITIVES AND CONTAMINANTS」, p.174., WHO)。これに比べると、上記で計算した「口紅からの鉛摂取量」は二桁少なく、「口紅を使用することでIQが(目に見えて)低下する」ということは考えにくいのではないでしょうか子どもが毎日一本口紅を食べ続けるなどすると、IQに影響がある可能性がある、というレベルだと思います(Lanphearらの計算では、毎日30μgの鉛を毎日摂取した子どもの集団でIQが1低下するとしています。7ppmの鉛を含む口紅1本に含まれるのがちょうどそのくらいの量になります)。ちなみに、WHOの資料では、成人に対する鉛の毒性の研究では、血圧の上昇が重視されているとしており、成人のIQに鉛の摂取が影響するという記述はありませんでした。ただし、妊娠中の女性が鉛を摂取した場合、胎盤を経由して胎児に移行し、胎児の神経系の発達に影響を与えうるようです。
もう一つ、わたしたち日本人が、毎日摂取している鉛の量についても調べてみました。農林水産省の「食品安全に関するリスクプロファイルシート(検討会用)鉛」によれば、平成15年〜19年における日本人の食事からの鉛摂取量の平均は、24.4μg/日だそうです。この値に比べると、先ほど計算した口紅からの鉛摂取量0.3μg/日は、その1/100程度となります。ちなみに、内閣府食品安全委員会の2011年のレポート「日本人小児の鉛曝露とその健康リスクに関する調査」では、子ども11名の環境や食事からの鉛曝露量を推定しており、2.4〜13μg/日、平均5.4μg/日であったとしています。
もちろん、鉛の総摂取量を少なくするという意味では、口紅を使わないに越したことはないかもしれません。口紅は米と違って食べなきゃ死ぬというものでもないですから。あるいは、口紅の鉛を気にする人が「鉛フリーの口紅」を選択することが可能であれば、さらによいでしょう。しかし、「化粧したらIQが下がる!!」などというのは大げさな表現であり、化粧をする人への偏見を産みかねないものであると思います*4。また、現状では残念ながら環境中の鉛をゼロにすることはできません。口紅に含まれる鉛も、結局、環境中の鉛から来ているものです。食べ物に含まれる鉛もそうです。そのような中で、微量な鉛のリスクをどう考え、どう付き合っていくか(たとえば、すべての口紅を鉛フリーにしようとすると、そのコストはどうなるでしょう?それによって得られる健康上のメリットはそのコストに見合うでしょうか?)、なかなか難しい問題を含んでいるということがわかりました。
まとめ
- 口紅に含まれる鉛の量は、2010年のFDAのの調査で最大7ppm、平均1.1ppm。
- 口紅に含まれる鉛は、鉱物由来色素に含まれる、環境中に存在する鉛らしい。
- 7ppmの鉛が含まれる口紅一本を100日で使い切るとすれば、一日あたりの鉛摂取量は約0.3μgとなり、私達が普段食物から摂取する鉛の量の1/100程度。
- このような量の鉛でIQが目に見えて低下するというデータはない。
- 子どもが口紅をボリボリ食べるようなことはないように注意すべきである。