狂犬病ワクチンの副作用発現率は1%?

某医師が「狂犬病ワクチンはいらない」と発言したとしてtwitter上を賑わせていました。その発言の根拠となったのがあるブログです。


ttp://plaza.rakuten.co.jp/aikentotozan/diary/201211170000/
(リンクは貼りませんので、頭にhをつけて飛んでください)
「混合ワクチンで健康な犬毎年1500匹死亡 狂犬病注射で三千匹!悪魔の獣医の所業だ!」


さて、このブログには色々書いてありますが、その根拠とされているのが以下の論文です(ブログのリンク先は海外の反ワクチンサイトになっています。そっちにはリンクは貼りません。そこに引用されているのが以下の論文です。)。

(タイトル訳 byうさじま:安全性及び有効性の評価のための犬用狂犬病ワクチンの市販後調査)


この論文は、Center for Veterinary Biologics(動物用生物学的製剤センター, CVB)が2004年から2007年に行った狂犬病ワクチン(米国で流通している14種類)の市販後調査(Postmarketing surveillance)のまとめです。方法は、「主に市民、獣医師及びペットオーナーからCVBへの自発的な有害事象(Adverse event)報告の収集」です。「有害事象」とは、ワクチン接種後に動物に起こったあらゆる好ましくない、または意図しない事象を指し、ワクチンとの因果関係は問いません。たとえば、ワクチン接種後にたまたま転んで怪我をしたとか、たまたま風邪をひいたとかも含まれます。有害事象の報告は、無料電話とウェブサイトで受け付けました。ここで注意が必要なのは、まず、(1)自発的な報告の数なので、これが起こった有害事象の全てではないということです。(2)次に、有害事象のすべてがワクチンが原因というわけではないということです。


その結果、3年間で 246例の有害事象報告がありました。それらについて、あるアルゴリズム(「ABON-systemに似たもの」とありましたがどのようなものかわかりませんでした)により、ワクチンとの関連性を調べ、217例が関連がある可能性があったとしています。その217例の内訳が表1です。

赤字はうさじまによる書き込み

上位3つは、Vomiting(嘔吐)28.1%、Facial swelling(顔の腫れ)26.3%、Injection site swelling or lump(接種部位の腫れまたはしこり)19.4%です。Death(死亡)は217例のうち12例で、5.5%です。これは、報告された有害事象に占める割合です。報告数を見ればそれは明らかです。ブログでは、合計が100%にならないことを理由に、「狂犬病注射をした犬のうち、その病気になる犬がどれほどいるかを示した数値だ。」としていますが、複数のカテゴリを含む報告があったと書かれており、合計が100%を超えても不思議ではありません。


ちなみに、論文には、この有害事象報告の7割以上で、同時に他のワクチンや薬剤が投与されており、どれが原因かの特定は困難、と書かれていました。


CVBは、ワクチンメーカーに同時期の有害事象報告をまとめるようにも指示しました。その数は約10,000例で、そのうちおよそ65%が犬に関するものでした(狂犬病ワクチンは犬以外にも使用されます)。こちらについては、原因がワクチンにありそうかどうかは調べていません。さらに、症状を表す表現(上の表の「Death」とか)がメーカー間で統一されていないため、上の表のようにまとめることはできませんでした。しかし、パターンはおおむね他の犬用ワクチンと大きな違いがなかったそうです。

狂犬病ワクチンにおける全体の有害事象報告率は供給された100,000回接種分あたり8.3例と算出された。多くのワクチンが複数の種について承認されているため、犬特異的な有害事象報告率は算出できなかった。


原文
The overall adverse report rate for rabies vaccines was determined to be 8.3 reports/100,000 doses sold. A specific adverse report rate for dogs could not be determined because many products are licensed for multiple species.

要約すると、本報告に示した結果の範囲では、動物用医薬品の狂犬病ワクチンの使用に関連する有害事象について、高頻度または予期しないパターンは示唆されなかった。3年間に1億2千万回接種分近くの狂犬病ワクチンが米国内で供給された。


原文
In summary, findings within this report do not suggest a high frequency or unexpected pattern of adverse events associated with the use of rabies vaccines in veterinary medicine. Nearly 120 million doses of rabies vaccine were distributed within the United States during the 3-year period.

副作用発現率は1%?

さて、論文では有害事象報告率は8.5/100,000回接種分で、犬についてだけの計算はできない、としているのですが、上記ブログの別の記事では、「狂犬病ワクチンの副作用の発生率は約1%」という数字を出しています。その計算はリンクされた別の記事(「犬用ワクチンは人用よりも100倍も危険! しかも重篤な副作用や死亡も多い! 」)にあります。


1%の計算の根拠として挙げられているのは、犬へのワクチン接種に反対する立場を取る英国の団体が行った調査と、英文のチャウチャウ(犬の種類)コミュニティーサイトの掲示板への書き込み*1です。英国の団体の調査の方は、論文として発表されているものでもなさそうで、どういう調査なのかもよくわからず、評価しようがないので、ここでは触れません。英文のチャウチャウコミュニティの書き込みには、1993年の論文(新しい有害事象報告システムの紹介記事)*2が引用されています。その論文に「重篤な有害事象の1%しかFDAに報告されていない」という記述があるのです。さらにその引用元は、1987年に書かれたロードアイランドの医師の有害事象報告に関する論文です。


ここから、アクロバティックな計算がなされます。

  1. 英文のチャウチャウコミュニティの書き込みで、前述の狂犬病ワクチンの市販後調査の論文の、「メーカーによる有害事象報告数10,000のうち65%が犬関係=6,500例」に(報告率が1%なので)100を掛けて650,000(例)という計算をしています。
  2. (1)より、日本のブログの方で、米国内の犬の数は66,271,000頭であるとして、650,000/66,271,000=1%としているのです。

ややこしいです*3


でも、上記の重篤な有害事象の1%しかFDAに報告されていない」というのは1980年代の話です。そして1993年の論文は、「今まで有害事象の報告率が低かったから、新しい有害事象報告システムを導入しますよ」という記事なのです。犬の狂犬病ワクチンは動物用医薬品ですから、有害事象の捕捉率がどれくらいなのかはちょっとわかりません。しかし、この数字を元に計算して「何匹に被害が出ている」と計算するのは無理があります。30年も前の、ごく限られた調査データでしかなく、現在の狂犬病ワクチンの状況とあまりに無関係の調査だからです。


そもそも、市販後の有害事象等の収集(市販後調査)は、薬の承認取得までに行われる臨床試験で確認できない点(治験対象とならない集団に対する安全性や、稀な副反応など)を補い、予期していなかった副作用等に対して素早く対応するために行うものです。有害事象報告は、前述のとおりすべての情報を含まない、逆に、ワクチンが原因ではないものも含まれるといった限界があるため、同種のワクチンと比較するなど、使い方には注意が必要なのです。

  
 

国内のワクチン

さて、せっかく論文を読んだのですが上記はアメリカの話。現在、日本では国産ワクチンを使用していますので、実はこの話はそもそも国内の犬には関係ないわけです。で、国内はどうなのでしょうか。以下の論文から引用します。

現在わが国で使用されている動物用狂犬病組織培養不活化ワクチンは,昭和60年に承認され,現在5製造所によって製造されている.製造用株RC. HL株はパスツール株に由来し,乳のみマウスおよび乳のみハムスターに脳内接種した場合にのみ病原性を示す非常に安全な株である.これをハムスターの肺細胞由来のHmLu細胞に接種し培養後,ポリエチ レングリコールで精製濃縮しβ-プロピオラクトンで不活化したものから原液を調整し製造する.なお,本ワクチンは,水酸化アルミニウムゲル等のアジュバントを含んでいない.

ブログでは「犬用ワクチンの副作用の主犯はアジュバンド」(←アジュバン「ト」の間違いですね)と書かれていますが、国産狂犬病ワクチンにはアジュバントは含まれていません

動物用狂犬病ワクチンは,狂犬病予防法(昭和 25年法律第247号)に基づき毎年犬に接種される.このように法律で接種を義務化しているワクチンは他にはない.このため,年間 450 万~500 万ドーズが使用されており,わが国のほ乳類を対象とするワクチンの中で最も多く使用されているワクチンである.平成 15年7月に改正薬事法(平成 14年法律第96号)の一部が施行され,製造販売業者等のみならず,獣医師等からも動物用医薬品の重大な副作用等を農林水産大臣に報告することになった.
そこで著者らは平成 15年度から17年度にかけて農林水産大臣に提出された動物用狂犬病ワクチンの副作用報告を分析し,その傾向,特徴等を調査したので報告する.

上記論文からの引用で、副作用報告数を製造販売数量(狂犬病ワクチンのみ接種頭数)で割った値です。指数で書かれていますが、「10万頭接種あたり」と同じ意味になります。比較しているワクチンA〜Dは、他の犬用混合ワクチンです。狂犬病ワクチンの副作用報告数は、10万頭接種あたり0.6で、他の混合ワクチン(10万頭接種あたり1.4〜4.5)より有意に低かった(Z検定,P<0.01)、とあります。この論文では、「副作用」という語を用いていること、薬事法に基づく報告を元に計算していることから、ワクチン接種と関係がある可能性があったものだけをカウントしていると考えられます。また、分母は米国が出荷数であるのに対し、こちらは接種した犬の数になっています。なので、米国の市販後調査の有害事象報告数と比較することはできません。

本文献の結論から引用しておきます。

今回の調査結果から狂犬病ワクチンは他の犬用混合ワクチンと比較してより安全なワクチンであることが確認された.ただし,接種当日に副作用が発現しやすいこと, 1歳未満と 10歳以上 12歳以下に副作用が多いことが明らかとなった. 1歳未満の犬の副作用発現率が高いのは体重との関連が考えられる.

ブログには「混合ワクチンよりも狂犬病ワクチンのほうが安全だと、ネット上にも記述が多いが、信頼できる科学的な根拠を示してない。」とありますが、この論文がその「科学的な根拠」といえるのではないでしょうか。


ワクチンの評価には、副作用が少ないこと(デメリットの少なさ)も重要ですが、接種によって予防できる病気の重大さや数も重要となります。狂犬病という病気や、ワクチンの必要性については、また別の記事にまとめる予定です。

*1:アメリカ獣医師協会ジャーナルがネットに公表してある」という文章からリンクされていますが、リンク先はチャウチャウコミュニティーサイトなのです。

*2:Introducing MEDWatch A New Approach to Reporting Medication and Device Adverse Effects and Product Problems, David A. Kessler,

*3:素直に8.5/100,000に100を掛けないのが不思議です。

「薬のプロ」に聞く、「添付文書」との付き合い方

最近、薬の「添付文書」を引用して、「こんなに怖い薬なんだ!」と恐怖を煽るようなサイトを見かけることがあります。添付文書は薬の使い方や副作用について書かれた正式な書類ですから、そこにはウソはない(はず)です。そこに「こっそり」重要な恐ろしい話が書いてある。お医者さんや薬剤師さんはそんな添付文書の内容を知っていながら、いろんな薬を私たちに処方している。重大な副作用の可能性を知っていながら隠して、そんな恐ろしい薬を…?許せない話に思えますよね。では、実際のところどうなのでしょうか。添付文書に書かれていることを、わたしたちはどう受け止めれば良いのでしょうか。今回、「薬のプロ」である方お二人に話を伺うことができました。
 


<お話を伺った方>

  • 薬剤師Aさん:関西の薬屋さん。総合病院や大学病院の門前薬局でお勤め。最近は面薬局*1にも出没中。資料収集は趣味、だそう。
  • MR(医薬情報担当者)Bさん:外資系製薬会社の、アラフォーベテランMRさん。twitterでは@sagechin_MRのアカウントで情報発信なさっています。


薬剤師さんは、お医者さんからの処方箋を見て副作用や薬の相互作用(飲み合わせ)などをチェックしています。いわば、薬の情報を活用するプロ。一方MRは、主にお医者さんに薬の情報提供をするのが仕事。こちらは、薬の情報提供のプロと言えますね。お二人には、うさじまからメールで質問させていただき、回答していただいたことをまとめました。なお、本エントリの「添付文書」は、お医者さんで処方してもらう薬(医療用医薬品)の添付文書を指します。
   
 

添付文書って、なんのためにあるの?

日本製薬工業協会が、日本における薬に関する法規制や制度についてまとめた文書、「日本の薬事行政」を、Bさんにご紹介頂きました。

その第5章「医薬品の安全管理情報の提供・伝達」に、添付文書について書かれています。そこから引用します。

医薬品の製造販売業者が医薬関係者に医薬品情報を提供・伝達する媒体・手段の中で、最も基本的なものが医薬品の添付文書である。この添付文書は薬事法の規定に基づき医薬品の適用を受ける患者の安全を確保し、適正使用を図るために医師、歯科医師及び薬剤師に対して必要な情報を提供する目的で医薬品の製造販売業者が作成することが義務付けられている公的文書である。また、薬事法において、添付文書に記載しなければならない事項、記載するにあたっての留意事項、及び記載の禁止事項が規定されている。規定を逸脱したり、虚偽や誤解を招いたりする記載内容には薬事法にて罰則が定められている。さらに、具体的に添付文書の記載項目、記載順序及び記載要領並びに使用上の注意の記載要領については厚生労働省から行政通知として示されている。また、製造販売後安全確保業務により副作用情報等を収集し、評価の後、重要な内容については添付文書に逐次反映される。なお、添付文書は紙面及び情報の量に限度があることからこれを補完するため製造販売業者等においていくつかの情報媒体が作成されている。

ちょっとややこしく書いてありますが、要点は以下のとおりです。

  • 添付文書を作るのは製薬会社(=製造販売業者)。
  • 薬事法に基づく公的文書であり、ウソは書けない。何をどう記載するかは細かいルールが法律や通知で決められている。
  • 医師や薬剤師が読むことを目的としている。
  • 紙面に限りがある。

添付文書は、まず第一に薬の承認の範囲(臨床試験において、効果があることが確認され、どのような副作用が起こるかが把握されている薬の使い方)を示すものです。また、医師や薬剤師が臨床上必要とする重要な情報がまとめられています。そして、医療訴訟の際の重要な資料となるなど、法的な意味も持っています。


こちらもBさんに教えていただいた、「医薬品の添付文書とその情報」(浅田 和広, 日薬理誌, 140,24〜27(2012))によれば、添付文書の使用上の注意を守らなかった医師の過失が最高裁で認定されたり、また逆に添付文書で注意喚起が不十分であることがPL法上問題になったりするとあります。一方、日本製薬工業協会医薬品評価委員会PMS部会の作成した「作成の手引き」に、「原則として8 ポイント程度の活字を用いるなど見易くするよう配慮し,利便性を考慮して,A4 判4頁以内,左綴じ代として1.7 cm を確保する」といった規定があり(p.24)*2、正確さを求められながらも紙面に限りがあることがわかります。正確さと簡潔さを求められるという性質上、添付文書にはあまり詳細な説明は書かれておらず、これが一つの特徴となっています。

プロは添付文書をどう使う?

では、この添付文書、実際にはどう使われているのでしょうか。お二人に伺いました。


薬剤師Aさんの話(メールを元にうさじまが要約)

  • 実は、添付文書そのものはあまり使わない。
  • 薬剤師が使う「薬本」がある。「治療薬マニュアル」(医学書院)「今日の治療薬」(南江堂)など。お医者さんもこういった本を使っている。
  • Aさんが使っているのは「治療薬ハンドブック」(じほう)と「ポケット医薬品集」(白文社)の2冊。
  • こういった本には、添付文書に載っていない細かい情報や、同一成分で剤形が異なる薬の比較、薬学管理のポイントなどが一目で分かるように書かれている。
  • 「薬本」に載っていないようなことについては、添付文書とインタビューフォーム(IF)を見る(うさじま注:「インタビューフォーム」は添付文書に書ききれない詳しい試験データ等を掲載している文書です。スペースに限りがある添付文書の情報を補うために作成され、添付文書と同じように誰でも閲覧することができます)。主に、副作用と相互作用について、詳しく調べたいときや、薬物動態、薬効薬理を確認したいとき。また、「薬本」の記述について、確認したいとき。iPhoneの「添付文書Pro」というアプリやPCで閲覧する。
  • なぜまず「薬本」かというと、基本的に時間が勝負の薬屋さんで、患者さんからの質問に、すぐに&簡潔な答えが見つけられる可能性が高いから。実際、薬局で聞かれる疑問・質問にはほとんどがこれで十分。
  • 調剤・監査・投薬の一連の業務の流れで必要な資料は薬に関係するものだけじゃない。医師向けの内科系の病態とその処方に関して書いた本だったり看護師向けの患者ケアに関する本、検査値に関する本やあるいは専門誌なんかも参考にしている。また、雑誌(専門誌)もしょっちゅう購入して勉強する。すべて自腹!

実に様々な資料を活用されているのですね。インタビューフォームには、添付文書に書かれている内容が含まれ、さらに詳しい情報が記載されていますでの、そちらも利用されているようです。


一方、MRのBさんの場合は…
(Bさんのメールから引用)

(添付文書は)僕らが情報提供する際の根拠、原典になります。逆にいえばここに書いていないことは宣伝できません。

法的な側面がクローズアップされるようです。Bさんにご紹介頂いたブログから引用します。

<2>MRの役割と添付文書
添付文書は医薬品の適正な使用と普及を目的として行うMRの医薬品情報活動の基本となる情報源である。
●添付文書がすべての情報活動の原点であることを認識しなければならない。
●添付文書の改訂内容を速やかに医療関係者に提供し、医薬品の適正使用を図ることは、MRの重要な医薬情報活動の1つである。


添付文書の意義と役割, One ワン MR

 

お二人の話から伺えるのは、「薬の情報の原典」として添付文書が存在しているということです。

 

添付文書を読むのに必要なこと

上記のように、添付文書は法的な文書でもあり、限られた紙面に多くの情報を掲載しなければならないこと、医師・薬剤師が読むことが前提であることから、情報が凝縮された書き方をされていて、読む際には注意が必要です。お二人に、私たちが患者の立場で添付文書を読むのに必要なことは何かを尋ねてみました。


薬剤師Aさんの話(メールを要約・強調はうさじま)

  • 添付文書を読む上で気をつけるべきなのは、まず第一に用語をきっちり理解していること。わかりやすい例では「酵素」など。
  • あとは、「書いてある数字(確率等)」の読み方を理解していること。そうじゃないと振り回されて、結局にっちもさっちも行かなくなるのではないか。
  • テレビの健康情報番組などでは、たいていの情報が「アレはだめ、これは良い」の二者択一。そっちのほうが分かりやすいのだけど、人間の身体は複雑にできている以上は「ややこしい」のが当たり前と考えて欲しい
  • たまに思うのは「知ったかぶりはやめれ」ってこと。知ったかぶりであれこれイチャモンつけても、結局は単語の定義や数字が読めていないなら、イチャモンにすらならない。


MR・Bさんの話(メールを引用・強調はうさじま)

私自身は患者さんが添付文書を見ることはあまりお勧めできません。なぜなら書いてある副作用について理解できる方とそうでない方がいらっしゃるから。こんな副作用があるということを知るより、こういう症状が出たら医師に相談するように書いてある薬のしおりのほうをよく読むことの方が大切と思います。ただネット社会でみることができますから、見たい人は見るでしょう。それは止められないと思いますが、自分では正確に副作用は診断できないということは自覚していただかないといけないと思います。

Bさんからは、日経メディカルのメルマガに掲載された記事(薬剤師の方が書かれた文章)についても教えて頂きました。会員限定記事ですので引用は控えます。

こちらには、薬局で箱ごと薬を患者さんに渡す際(湿布など大量に処方されることがあるようです)、薬剤師が添付文書を抜いて渡す慣例について議論になっており、「患者さんが副作用を過度に心配して自己判断で薬をやめてしまう」「副作用の記載をみたとたん、そのような副作用が出ているように感じてしまう」と、医療関係者向けに書かれた文章を患者が適切に受け止められないことへの危惧から、添付文書を渡さないという薬局が多いようです。ただし、患者の知る権利を重視して、薬によっては添付文書を渡すというところもあるようです。


添付文書は、薬のことや、副作用について、専門的な知識を有してる人が読むことを前提に書かれているため、専門用語が多い、というより、ほとんどすべて専門用語で書かれていますし、内容も専門的です。「薬物動態」については、薬の吸収や代謝についての知識が、「臨床成績」については、薬の臨床試験のやり方や統計の知識がないと、書いてある意味を理解することは困難です。また、添付文書特有の表現もあります。たとえば、「重大な副作用」という言葉ひとつでも、「副作用等の重篤度分類基準」という通知により基準が設定されていますし(「添付文書の読み方」p.81)、よく誤解されている「劇薬」という言葉も、単純にイメージされるような「すごく恐ろしい薬」という意味ではなく、薬事法により定義されています


添付文書の副作用についての記述は、かなり不安をかきたてるものだと思います。Aさんの話にあるように、頻度についてどう捉えていいのかわからない、副作用の項目の示す正確な内容が理解できない(『ギラン・バレー症候群』などといった謎めいた病気や『重篤な肝障害(頻度不明)』などといった具体的な内容がわかりにくい記述)、自分がそれにあてはまるのかどうかわからない(診断できない)、といったこともその理由だと思います。また、重大な副作用については、海外の例(用法・用量が異なることがある)や類似の薬での例も記載されていることがあります(望月真弓著「改定 添付文書の読み方」(じほう)p.82)。


こういったことから、Bさんが勧めているのが次のサイトです。

このサイトの内容を印刷したものを薬局でもらえることもあるようです。


試しに、最近うさじまがダニに噛まれてあまりの痒みに病院に行った時にもらった「アレグラ」という薬について調べてみました。トップページで製品名のところに「アレグラ」と入れてみると、

こんなかんじで写真付きで出てきます。同じ成分でも剤形が違ったりすることがあるのは前述のAさんのお話にもありますので、写真がついているのはわかりやすくていいですね。名前をクリックすると詳細情報が出てきます。

どういう薬か(作用機序やどんなとき処方されるか)、用法・用量などが記載されています。副作用については、以下のように書かれています。

この薬を使ったあと気をつけていただくこと(副作用)
主な副作用として、頭痛、眠気、吐き気、喘息増悪、発疹、血管浮腫、かゆみ、蕁麻疹、潮紅、腹痛、めまい、倦怠感、胃腸炎などが報告されています。このような症状に気づいたら、担当の医師または薬剤師に相談してください。
まれに下記のような症状があらわれ、[ ]内に示した副作用の初期症状である可能性があります。
このような場合には、使用をやめて、すぐに医師の診療を受けてください。

  • 呼吸困難、血圧低下、意識消失、血管浮腫、胸痛、潮紅[ショック、アナフィラキシー]
  • 全身倦怠感、食欲不振、皮膚や白目が黄色くなる[肝機能障害、黄疸]
  • 発熱、咽頭痛[無顆粒球症、白血球減少、好中球減少]

以上の副作用はすべてを記載したものではありません。上記以外でも気になる症状が出た場合は、医師または薬剤師に相談してください。

これは、「どういう症状が出たら、どういう副作用の可能性があり、注意が必要か」がわかりやすい書き方だと思います。この「くすりのしおり」には、添付文書へのリンクもあります。そちらの副作用情報と比較してみましょう。


ここから、「くすりのしおり」にあるような、「皮膚や白目が黄色くなったら、肝臓がやられてる可能性があるから、すぐに医師の診断を受けなければならない」ということが、わかるでしょうか?その他の重大な副作用の兆候として何に気をつければいいかわかるでしょうか?相当な知識がなければ難しいですよね。添付文書を読むのに、「用語の正確な理解」が必要であることが理解できると思います。
  

薬の安全と副作用と添付文書

さて、ここで再び、初めの疑問に戻ります。「お医者さんや薬剤師さんは、添付文書の(恐ろしい)中身を知っていながら、患者にその薬を処方するのか?」…この答え、実は、「イエス」なんですよね。でも、お医者さんや薬剤師さんは、製薬会社の利益のために患者を陥れているわけではありません。薬というものは、本質的に、「デメリット(副作用)もあるけれども、そのリスクを考えても、病気を放置するより薬を飲んだほうがメリットが大きい時に使う」ものだからです。世の中なんでもそうですが、メリットだけがあって、デメリットのないものはありません。薬は、そのメリットとデメリットの大小の比較が素人には難しいし、間違った判断をすれば命に関わることもあるものです。しかし、逆に適切に使用すれば、命が助かったり、日常生活のクオリティがうんと上がったりするわけです。そういった薬のメリットとデメリットについてよく理解し、メリットをできるだけ大きく、デメリットをできるだけ小さく使っていくためにあるのが添付文書やインタビューフォームなのです。バランスこそが重要なところで、デメリットにばかり注目して「だから悪いモノだ」という情報には、価値がありません。添付文書は、デメリット(副作用)をよく知った上で、できるだけ回避する、軽くする、起こった時にすぐ対処する、それを行う専門家のための文書なのです。

そもそも、こっち側は医薬品にデメリット(副作用)が存在するのを承知の上で使っておる訳ですねん。それを服用・使用する患者にとって、その薬剤の持つメリットを生かし、デメリットをいかに少なくするかの「適正利用」を目的として読むのが添付文書(&薬本)であって、単に良し悪しのみ(しかも0/100)を判断するのに使う訳やありへんねん


(Aさんのメールより引用)

添付文書は前にも申しました通り医師向けの文書です。起きうることと起きたことを記載しています。
反医療のあおりのいけないところは、その解釈を間違っていることです。
たとえば(某サイト)に「パキシルの医薬品添付文書にはこの薬を服用することによる自殺企図発現率は6.4倍増加することは同剤に明記されており」とありますが、これはそういう対象の人にそういうことが起きてしまったから、気を付けてくださいという意味で記載されていることで、適応をよく考えて、と書いているに過ぎません。悪意のある解釈で、一般の人はわからないと思います。


(Bさんのメールより、サイトの具体的URLは伏せました)

お二人の話を合わせて読むと、薬のメリットとデメリットをよく考えて使うことが重要であること、そしてそのためにはたくさんの知識が必要であることがわかると思います。


薬は承認を得るための臨床試験において、統計的にメリット>デメリットであることが明らかになったものです。しかし、ある個人がその薬をのむことが、常にメリット>デメリットであるとは限りません。症状がどれくらい重篤か、薬がどれくらい効きそうか、副作用を起こしやすい要因があるかどうか、などによっても変わってきます。だからこそ、メリットとデメリットを知り尽くした専門家の判断が必要だし、専門家が判断するための資料として、添付文書等が必要なのです。添付文書を見て、「なんとなく不安になった」などの気分や、専門用語をよく理解しないままのイメージだけの理解で、自分や子供の健康(ときには命)に関わる判断をするというのは、大雑把すぎるのではないかと思います。まして、「これは劇薬です。こんなものを子供に飲ませるのですか」などといった、中身のあまりない恐ろしげなフレーズで脅そうとする人の言葉に耳を貸す必要があるでしょうか。薬は、人によって程度の差はあれ、多くの場合「できれば飲みたくないもの」でしょう。「この薬は危ないから飲まないほうがいい」という情報は、実は「それを聞きたかった」話かもしれません。でも、「その薬を飲まないこと」のほうが、さらに危険、ということもあるのです。不安に思ったときは、処方してくれたお医者さんや、薬剤師さんに質問する方が、ネットで不安情報を探すよりずっと役に立つと思います。
   
 

(おまけ情報1)添付文書のきまり文句

添付文書には「正確さが求められる」と書きました。当然、臨床試験で調べていないことについては「分かっていない」と書かざるをえません。それについては、以下のような指摘があります。

高齢者の項では「一般に高齢者では生理機能が低下しているので減量するなど注意すること.」,妊 婦・産婦・授乳婦等の項では「妊婦又は妊娠している 可能性のある婦人には治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ投与すること.」,小児等の項では「小児等に対する安全性は確立していない(使 用経験がない)」などの画一的な記載も多く,情報の質・量,読みやすさの観点からも課題がある.


医薬品の添付文書とその情報」, p27

特に妊婦に関しては、薬が使えるのか使えないのかわからず困惑することも多いと思われます。以下のような、妊娠と薬に関する情報提供を行っている組織があります。専門の医師・薬剤師が相談に乗ってくれるそうです。持病があり、薬を飲み続けている方などにも役立つのではないでしょうか。

(おまけ情報2)薬の副作用はどうやって見つかるの*3

薬との因果関係を問わず、薬の服用後に起こった健康上の問題を「有害事象」といいいます。この有害事象が、薬の副作用だと分かれば(薬との因果関係が明らかになれば)添付文書が改定されるのですが、その流れをBさんに伺ってみました。

現場のMRとして勤務しておりますと、大体月に1,2回は有害事象に当たります。程度はさまざまです。
Dr「下地さんとこの**に○○って副作用ある?」
私「えーと、確かないと思いますが、、、、やはりないですね?なにか?」
Dr「いや、投与している患者さんに○○がでてね、ないんなら違うな、やはりいっしょに出してた++だな。++は××あるからね、ありがとう。」

このやり取りでも僕らは自社品関連の有害事象として報告します。(サーバの市販後の有害事象もあったことは報告されているのだと思います。因果関係の有無は関係なしに)

報告内容は患者さんの性別、年齢、投与開始日、終了日、有害事象名、患者さんの原疾患名、被疑薬、因果関係の有無、(不明は有りとする)その他の併用薬、転機、重篤度。(抜けてることもあるかも知れません。)
これらのことを聴取して本社の安全性管理部門に報告、そこが評価、集計し厚労省に報告します。副作用の既知、未知、重篤性によって色々な報告期限が設けられており、その為期限の前提となる情報入手日がとても大切で、有害事象は聴取したその日に報告するよう厳命されております。これは法規に(おそらく薬事法だったと思うんですが省令だったかもしれません)定められており、よく言われているような、MRが医者と結託して揉み消すようなことをすれば、その人は直ちに懲戒処分にされます。

報告された情報は本社が重篤性などを再度評価し、未知で重篤だったケースなど必要な場合は詳細調査という書類に症例の経過を記入していただくよう医師に依頼します。その後同様のケースの発生数や海外の状況、重篤性、類薬での発症の有無などより改定に至ります。


(Bさんのメールより引用)

こちらに、詳細があります。

 

(おまけ情報その3)劇薬・毒薬について

添付文書を使って危険だと煽る情報によく見られるのが、「劇薬」だから危険だ!というもの。薬事法の「毒薬・劇薬」の規定は、容器の表示、保管や管理、譲渡について定めたものとなっています。では、薬局ではどのように管理されているのでしょうか?Aさんに聞いてみました。

  • 「劇薬」は、特に鍵をかける必要はないので、赤いテープを貼った棚や引き出しにおいてあることが多い。


↑こんな感じ。

  • 「毒薬」は鍵のかかる引き出しに入れた上、入庫(メーカーからの納品)/出庫(処方箋による調剤)の記録をつける。


  • こういった記録管理は麻薬、覚せい剤原料、第1種向精神薬についてもおこなう。
  • たまに都道府県の薬務課から抜き打ちの監査があり、細かーーくチェックされるので、いつ来られてもOKなように、チェック&管理している。


(Aさんのメールよりうさじまが要約)

こういった管理方法は、薬事法第48条に則り、行われています。


では、患者さんに対して毒薬・劇薬を処方する時、なにか気をつけていることはあるのでしょうか。

  • 「毒薬」の場合はチェックする。ちゃんと適応症に適合しているか、記載の用量は間違いないか。患者本人に「なぜそのようなことを聞くのか」と聞かれたら、きっちり副作用リスクについて説明した上で改めて聞く。副作用報告が多く、メーカーが注意を喚起する文書をしょっちゅう配布しているような薬でも、医師が用法を間違えていることも。
  • 「劇薬」については、「劇薬」だから、注意するということはない。
  • 重要なのは、「劇薬」か普通薬かではなくて、作用機序や患者本人の体質・原疾患、相互作用。相互作用が多く、患者の併用薬のチェックが重要な薬(水虫の治療によく使う抗真菌薬「イトラコナゾール」)や、腎機能に応じて用量調節の必要な薬(ヘルペスの治療によく使う抗ウイルス薬「バルトレックス」)なども普通薬。でも、しいて言えば、投薬の時に副作用等をチェックしなければならない薬が多い(抗がん剤など)。
  • 「劇薬」より、向精神薬の方が注意している。向精神薬+劇薬のWコンボの場合は、処方時の用法用量をめっちゃ確認する。薬本を捲りまくって、5回くらい電卓叩くのは普通。

「劇薬」かどうかと、その薬が要注意かどうかとは関係ないようです。それよりもやはり薬それぞれに個別のリスクがあり、併用している薬や、身体の状態によるということです。こういった判断も、素人が添付文書を見たからといってできるものではないですね。


謝辞

Aさん、Bさんにはお忙しい中、非常に丁寧なご回答をいただきました。大変勉強になりました。どうもありがとうございました。また、お二人のような薬のプロが、たいへん誠実に、薬の適正使用に貢献されているということを、薬を使用する立場から、非常に心強く感じました。

*1:門前薬局と面薬局の違いについてはこちら参照。

*2:実際には4頁を超える添付文書もあるらしいです。

*3:国内の情報

風疹の流行を捏造して放射能の影響をごまかしている?

またしても、風疹の話になってしまいました。でも、あまりにひどいデマなので…。twitter上で、「風疹の流行は放射能の影響を隠すために捏造されたもの」である、という言説が広まっています。出処は、ある医師のブログやtwitterでの発言のようです。このブログは紹介したくないのでURLなどは貼りません。震災後、ずっとひどいデマの発信源となっているブログです。これらの主張の要点について検証してみます。
 

先天性風疹症候群(CRS)は放射能による先天性障害の隠れ蓑なのでは?

先天性風疹症候群の診断には風疹ウイルスに感染したことの確認が必要です。


先天性風しん症候群, 厚生労働省 より

上記のように、臨床症状に加え、病原体そのものまたはその遺伝子、もしくは風疹ウイルスに対する抗体が赤ちゃんから検出されない限り、先天性風疹症候群の届出基準は満たされません。そのため、「先天性風疹症候群をそうでないと診断してしまう」ことはあっても、逆はそうそうない(データねつ造が必要)わけです。母親が不顕性感染(風疹ウイルスに感染したが症状が出なかった)であっても、先天性風疹症候群であると診断されることもあることから、「いくらでも先天性風疹症候群だったということにできてしまう」という主張がありますが、そんなことはないのです。


参考

風疹の感染者数や先天性風疹症候群の数が実際より過小に見積もられているというお話です。
 

風疹の診断は見た目によるもの(だから、放射線による症状と区別できない)?

風疹の届出基準には、病原体の感染を検査により確認する「検査診断例」と、臨床症状のみで診断する「臨床診断例」があるようです。

では、実際にはどの程度検査が行われているのでしょうか。国立感染症研究所の速報に、これが分かる資料がありました。


感染症発生動向調査 6/19, 国立感染症研究所

届出された風疹の約7割で、検査によって風疹ウイルスの感染が確認されていることがわかります。
 

でも、私の周りで風疹に罹ったなんて話、きかない。

上記のグラフにあるように、今年に入ってから風疹に罹患したと届出られた人は約11,000人です。しかし、実は発生地域には偏りがあります。多い所で東京が2,868人、大阪が2,432人、神奈川が1,295人などです。愛知211人、福岡192人など。これらを人口(都道府県別人口, 総務省)で割ってみます。

  • 東京都 2868/13230000=0.00021678   21.6人/10万人
  • 大阪府 2432/8856000=0.00027462   27.5人/10万人
  • 神奈川県 1295/9067000=0.00014283   14.3人/10万人
  • 愛知県 211/7427000=0.00002841   2.8人/10万人
  • 福岡県  192/5085000=0.00003776   3.7人/10万人

多い所でも10万人に30人程度です。さらに、20-40代の男性を中心に流行しているという偏りもあります。「自分の周りにいない」というだけで、流行がウソ、とは言えないのがわかります。では、そんなに少ないなら問題にないじゃないの?と考えてしまうかもしれません。しかし、WHOの風疹報告数の統計(2012)を見ると、ワースト1が中国の40,156人、2位がルーマニアの20,812人、3位がバングラデシュの3,245人ですから、半年で1万に超えしている日本の現状は、とっくに「大流行」レベルといっていいでしょう。CDCも、日本の風疹予防対策不備に警戒して、日本への渡航注意を呼びかけ る事態です。


twitter検索でも、「風疹報告」が見られます。自分の周囲にいない=でっちあげ、ではないことがわかると思います。


風疹の流行の一番の問題は、先天性風疹症候群(妊娠中の女性が風疹感染した場合に、子どもに障害が残る可能性がある)です。これに関して、風疹感染した妊婦が人工流産を選ぶことがある、また、それを勧められることがある、という現実があります。ですから、「先天性風疹症候群がたった●●例だから、問題ない」とは、簡単には言えません。当事者の方、また産婦人科のお医者さんの語りをまとめています。

また、長年風疹ウイルス及び先天性風疹症候群の研究をされてこられ、多くの患者さんを診てこられた加藤先生の総説にも、先天性風疹症候群を恐れての人工流産について書かれています。その推定数も計算されています。

 

上記のように、「風疹の流行は放射能の影響を隠すために捏造されている」というのは、誤解に基づく推測です。こういった推測を元に、母子感染症患者会トーチの会(先天性トキソプラズマサイトメガロウイルス感染症患者会、最近では先天性風疹症候群についても発信されています)や、先天性風疹症候群の予防のため、メディアに出演されている当事者の方を中傷するような発言がネット上に見られ、非常に腹が立ちます。放射能がこの世のすべての悪の元凶だという主張をするのは自由でしょうが、そのためにまったく無関係な人、しかも苦しい状況に置かれながら、これ以上同じようなことが起こらないようにと、勇気を持って活動されている方に対して、いわれなき非難を浴びせるのはあまりにひどい話だと思います。

風疹予防接種制度の変遷と風疹感染者数の関係が一目でわかるグラフ

北里大学医学部公衆衛生学 助教産婦人科専門医の太田寛先生が、風疹予防接種制度の変遷と風疹感染者数の関係が一目で分かるグラフを作成してくださいました。太田先生は、「風疹の流行を止めよう緊急会議にも参画されていらっしゃいます。先生のご厚意により、以下のグラフについては、「著作権なしの自由な題材として使ってください。国立感染症研究所と私の名前があればどこに流してもらっても良いです。。」とのことです。正直、このブログに掲載するだけではもったいないと思います。ぜひご活用いただければと思います。


東京都感染症情報センター, 2013年5月5日までのデータより作成

こちらは、東京の年齢階級別風疹感染者数と、風しん予防接種制度の関連を示すグラフです。

 



国立感染症研究所, 2013年第1週〜22週のデータより作成

こちらは、国立感染症研究所のデータより、1年ごとのグラフです。


これらを見ますと、風疹予防接種制度の変遷と、風疹の患者数に関連があることがよくわかりますね〜。


生まれ年と、風疹予防接種歴については、以下のサイトが参考になります。


2013.6.18 改定

  • グラフに子どもの接種状況についての注釈を追記しました。

「風疹ワクチンを打つ必要がない理由」の誤解

最近、風疹ワクチンの話ばかりですみません。感染症が流行すれば、ワクチンが推奨される。それに伴い、色々なことをいう人が出てきます。

  • 不妊治療中です 風疹ワクチンを打っても良いですか?(ttp://www.nozaki-kanpou.com/blog/archives/3245) (リンクしてません。コピペで頭にhを加えて飛んでください。)


「私はワクチンを打ちたくない前提でお話しさせて頂きます。」から始まってます。なぜ打たなくていいか、その論拠を要約すると、以下の3点になります。

  1. ワクチンに使われている風疹ウイルスの型と現在流行しているウイルスの型が違うから、効果があるかないか分からない。
  2. 風疹ワクチンを接種したら3週間以内に、接種をうけた人ののど(咽頭)から一過性にワクチンウイルスの排泄が認められることがあるから、よけい感染者が増える。
  3. ワクチンを打っている年代で、実は感染者が多い。

では、一つずつ検証してみたいと思います。なお、上記のブログ記事を以降は「風疹ワクチンを打っても良いですか?」と表記します。

 

風疹ウイルスの型について

現在流行している風疹の型は遺伝子型2Bです(2012年 国立感染症研究所より)。もともと日本に流行していなかった型のウィルスです。そして現在日本で流通しておりますワクチンは1960年代後半に遺伝子型1aウイルスが流行していましたが、この型のウイルスが弱毒化され、現在日本におけるワクチン株として使用されている。
つまり昔流行していた型のワクチンを今打っていると言う事です。現在流行している風疹ウイルスとは異なる形なのです。販売元に問い合わせましたら、型が異なっていても同一の抗体を作ると認識していると回答がありました。しかし、それを証明することは出来ない。


「風疹ワクチンを打っても良いですか?」より引用

記事ではこのあとに、お医者さんの解説を引用しています。

_効くのです。遺伝子型が違うとはいえ、風疹は風疹です。白人を見つけたいときに、それがスラブ系でも、ラテン系でも、白人は白人であるように、風疹のワクチンは風疹という大きなグループに反応するように作られているわけです。現実として、風疹を根絶している国があり、有効だという結果がすでにあります。それを無視して「効くのでしょうか?」はおかしいです。効くのです!
_________とコメント頂きました。効いたとして、リスクはどれほどあるのでしょうか。


同上


風疹について、ワクチンと流行しているウイルスの遺伝子型が違うことで、ワクチンの有効性を疑問視する言説は、このサイト以外でも見かけることがあります。ではそもそも、風疹ウイルスの遺伝子型とはなんでしょう。国立遺伝学研究所のサイトを見ると、以下のように書かれています。

風疹ウイルスの遺伝子型分類法
構造蛋白質全領域(3,192塩基)のヌクレオチド配列解析により遺伝子型分類が行われ、現在のところ風疹ウイルスは二つのCladeに大きく分けられることが判明している2)。さらにClade1には10の遺伝子型(1a、1B、1C、1D、1E、1F、1G、1h、1i、1j)が、Clade2には3つの遺伝子型(2A、2B、2C)が存在する。Clade内のヌクレオチド変異率は5%以下であるが、Clade間では8〜10%に達する。なお、このような差があっても風疹ウイルスの血清型は単一であり、ワクチンによる免疫を回避するウイルスの存在は知られていない。


風疹ウイルスの遺伝子解析(Vol. 32 p. 260-262: 2011年9月号), 国立遺伝学研究所

遺伝子になじみのない方にはちょっとむずかしいかもしれません。「遺伝子型」とは何かというと、「ウイルスが持つ遺伝子の配列の違いにより分類された型」です*1。ウイルスの遺伝子は絶えず変異をしていて、少しずつ変化していきます。その遺伝的な近さ(どれくらい似ているか)によって、グループ分けしたのが「遺伝子型」です。それに対して、ウイルスの抗原の性質、抗原性による分類を「血清型」と言います。ウイルスの遺伝子に変異が起きると、その結果として、抗原性にも変化が起こることがあります。ワクチンの効果への影響を考える場合、遺伝子変異そのものより、その結果、どの程度抗原性に違いが出てくるか(=血清型が変化するか)が問題となります。風しんウイルスでは、様々な遺伝子型はあるものの、抗原性には違いが少ない、つまり、ある遺伝子型を持つウイルスに対する抗体が、他の遺伝子型を持つウイルスにも「効く」ことが知られているのです。というか、もともと、風しんウイルスは一種類とされていたところに、ウイルスが世界中でどう広まるかなどをモニターするために、遺伝子の型をわざわざ調べるようになった、と考えた方が良いかもしれません。風疹ウイルスの血清型がひとつであることは、風しんウイルスについての解説には必ず書かれており、常識といえるようです。例えば、WHOの風しんワクチンに関する文書にも、こう書かれています。

風疹ウイルスは、トガウイルス科ルビウイルス属に属する、エンベロープを有する一本鎖RNAウイルスで、血清型は一種類である。他のトガウイルスとの交差反応はない。


<原文>
The rubella virus, a togavirus of the genus Rubivirus,is an enveloped single-stranded RNA virus with a single serotype that does not cross-react with other togaviruses.


Rubella vaccines: WHO position paper, Weekly epidemiological record, No. 29, 2011, 86, 301–316より抜粋。うさじま訳

日本でも、風しんウイルスの型はモニターされています(風疹ウイルス分離・検出速報(国立感染症研究所))から、ワクチン接種者の間で特定の型の感染が広まっていれば(つまり、ワクチンの効果を逃れる型が出現したとすれば)、ちゃんとわかります。今のところ、そのような報告はありません。


以下は、遺伝子型と血清型についての説明です。詳しく知りたい人だけ読んでください。興味のない人、元々詳しい人は次の段落まで飛ばしてもらってかまいません。


風疹ウイルスはRNAウイルスで、DNAではなくRNAのゲノムを持っています。その情報を元に、ウイルスの転写複製に必要なタンパク質や、ウイルスそのものの部品となるタンパク質等を宿主細胞に作らせ、増殖していきます。RNAには、A(アデニン)、U(ウラシル)、C(シトシン)、G(グアニン)の4種類の塩基があり、3つの塩基が1つのアミノ酸を表します(詳しくはこちらのサイトなどが参考になります)。例えると、ウイルスゲノムは注文書のようなもので、そこに3文字で1アミノ酸を表す注文番号が書かれているような感じです。「遺伝子型」というのは、このRNAの遺伝子配列の違いによる分類です*2。ウイルスの「注文書」は、宿主(ヒト)の細胞に「発注」され、注文どおりのアミノ酸が作られます。アミノ酸が注文書通りに作られて多数連なると、タンパク質になります。ウイルスは、宿主細胞を利用して自分の作って欲しいタンパク質を作らせるのです。


風疹ウイルスは、その部品となるタンパク質を5個持っています。そのうち、抗原性に関わる(=血清型を決める)のは、ウイルスを包み込む膜である「エンベロープ(英語で封筒とか外皮、包み込むものという意味)」にある「E1タンパク質」です。このタンパク質はウイルスの外側に露出しているので、抗原として認識されるわけです。E1タンパク質も、風疹ウイルスゲノムの遺伝子配列にもとづいて「発注」され、作られます。しかし、遺伝子配列の違いが、即E1タンパク質の違いになるわけではありません。遺伝子は、3塩基で一つのアミノ酸に対応することは先ほど述べました。ところが、アミノ酸は全部で20種類なのに、4種類の塩基を3つ並べる組み合わせは、4×4×4で64通りあります。つまり、同じアミノ酸に対応する塩基の組み合わせは、複数あるのです。先ほどの例えで言うと、同じアミノ酸に対応する注文番号が複数あると言えます。ですから、一塩基の変化では、アミノ酸配列に変化がないこともあります。また、ワクチン接種時に、抗原のどこか一箇所、ピンポイントではなくて、色々な部分を認識して免疫が獲得されるので、アミノ酸配列の多少の変化があっても、すぐにワクチンに効果がなくなるわけではありません。ウイルスの変異によってワクチンの効果がどう変化するかは、「実際やってみないと分からない」ことではありますが、前述のように、風しんワクチンに関しては、今のところワクチンの効果がない変異株は出現していないようです。


ワクチンによる免疫の獲得については、以下の資料が参考になりました。獣医さん向けですが、ヒトでも機序は共通です。



風疹ワクチンで風疹の感染者が増えるのか

風疹ワクチンを接種したら3週間以内に、接種をうけた人ののど(咽頭)から一過性にワクチンウイルスの排泄が認められることがあるとのことです。つまりワクチンを打てば打つほど感染者を増やす事になります。半年間は他人との接触を避けてくださいと言われても困ります。だから妊活中の方はご主人もって言われるのでしょうね。そもそも奥様が抗体を持っていたらご主人が感染しても安心なはずです。そうあるべきなのがワクチンです。そして発症はしないが感染者を増やすということはそれで必要な免疫が出来ないのでしょうか?
__お医者様から解説を頂きました。_______
たしかに風疹ウイルスが検出されることはあります。しかし、その量は少なく、他人への感染を成立させることはできないのです。感染者を増やす、と書いてあることは単なる憶測です。妊婦の夫にワクチンを勧めるのは、せめて妊婦の周囲での感染を防ぐためです。流行を止めるにはもっと多くの人にワクチンを打ってもらう必要があります。また、例え自分の奥さんが抗体を持っていたとしても、他人に感染させて良いのでしょうか?先天性風疹症候群のお子さんを産んだ母親とお話ししましたが、いったいどこから感染したか、全く心当たりがないそうです。流行していると、どこでうつるかわかりません。先天性風疹症候群を減らすには流行を止めるしかないのです。
_________お医者様よりコメントを頂きました。ありがとうございます。ご指導感謝です。先天性風疹症候群を減らすためには流行を止めるしかないというのは良くわかります。


「風疹ワクチンを打っても良いですか?」より引用

えっと、納得してますよね?じゃあ、「風疹ワクチンから風疹が広まることはない」でいいですよね。おしまい。


…ではあんまりですが(笑)、実際、今現在流行している型はワクチンの型とは異なるのです。つまり、ワクチンの型のウイルスは流行していないんです。ということは、ワクチン接種者から流行が広まることはないのではないでしょうか。前の段落で紹介した風疹ウイルス分離・検出速報(国立感染症研究所)」にも、風疹感染者の全員を調べたわけではないものの「ワクチンの型である1A型については、MRワクチン*3接種者からのみ検出されている」旨記載されています。また、ワクチン接種者の女性から生まれた子どもが、先天性風疹症候群(CRS)に感染したことはこれまでにありません(「妊娠中に風疹含有ワクチン(麻しん風しん混合ワクチン、風しんワクチン)を誤って接種した場合の対応について」参照)。しかし、原理上、ワクチンウイルスにより先天性風疹症候群が発症する可能性はゼロとは言い切れないため、一旦妊娠するとワクチン接種はできません。また、一度のワクチン接種では免疫が成立しない場合もあります。そのため、妊娠予定の女性の夫にも接種が推奨されているようです。


北里第一三共ワクチンの風疹ワクチンQ&Aサイトには以下のように書かれています。

一部の人でワクチン接種によって、風疹ウイルス(ワクチン株)が出ることがあります。しかし、期間も短く、量も自然風疹の場合の100分の1以下ですし、毒性も弱いままです。試験接種で周囲の人に感染しないこと、市販ワクチンでの多数の接種でも感染しないことは判明しています。


Q&A集 風疹, 第一三共ワクチン株式会社より

 

風しんの予防接種をしても感染するのか?

「風疹ワクチンを打っても良いですか?」では、年齢階級別の感染者数のグラフと、ワクチン行政の歴史を比較して、「昭和54年4月2日(1979年)〜昭和62年10月1日(1987年)に産まれた方は集団での予防接種をしていません。/ということは、2013年現在25歳から34歳の女性は抗体が十分でないことになります。その上で上のグラフを見てください。/抗体を十分持っていないと思われる25歳-29歳女性と抗体を持っていると思われる20歳-24歳女性の患者数では抗体を十分持っているはずの20歳から24歳の患者数が多い。/ということは、予防接種をしていても感染をするということです。」としています。確かに、女性では20−24歳の感染者数が多くなっています。現在20−24歳ということは、1988〜1993年生まれということになりますね。さて、この世代の人は、「抗体を十分に持っている」のでしょうか?実は、そうでもなさそうなのです。


年齢/年齢群別の風疹予防接種状況, 2012年, 国立感染症研究所より

こちらは、去年のデータですが、20−24歳は、その上の世代と比べればましですが、その下の世代と比べると、予防接種歴不明者が多く、また2回接種者が少ないことが特徴となっています。これは、やはり予防接種制度の変遷が原因で、1989年にMMRワクチンが導入されたものの、副作用が多発して1993年に接種中止になったこと*4、2回めのワクチン接種導入のタイミング*5によるものです。以前のエントリで紹介した、抗体保有率も、この年代の女性がその上の年代の女性に比べて、特に高いということはなさそうです*6。この下の、2回接種をしている世代では明らかに風疹患者数は少なくなっています。


というか、「風疹ワクチンを打っても良いですか?」はなぜか女性にのみ着目しているのですが、現在の風疹の流行は、予防接種を受けていなくて、抗体保有率の低い、20−40代の男性中心なのです。前のエントリを書いた時に、生まれ年と予防接種制度の変遷と、抗体保有率、感染者数などが、辻褄合いすぎて、笑ってしまったくらいです(風疹とワクチンにまつわる流言(1) 風疹はなぜ流行しているの?放射能のせい?)。20-24歳の女性で広まってるのは、大学での流行なんて現象があるんじゃないかなーと思います(これは、勝手な想像です)。


それから、風疹ワクチンを一回接種したとして、すべての人に十分な免疫ができるわけではありません。また、一度上がった抗体価が、年月とともに下がることがあります。ここには、注意が必要です。これらは、風疹ワクチンを2回行うようになった根拠にもなっています*7


最後に、「予防接種歴不明者」を「未接種」にカウントするのはどうなの?というツッコミがあります。これは、確かに一理あります。日本では、予防接種歴をちゃんと記録していないというのは、おかしなことです。ちゃんとしたデータがあってこそ、感染症対策もできるというものではないでしょうか。

 

まとめ

  1. 現在流行している風疹ウイルスの型は予防接種に使われている風疹ウイルスの型と異なる→遺伝子型が違っても血清型は同じ。ワクチンの効果も期待できるし、実際ワクチンの効果がない風疹ウイルスは今まで報告されていない。
  2. ワクチン接種後にワクチン由来風疹ウイルスをまき散らす危険性がある→1であるように、ワクチン由来の風疹ウイルスは流行していない。また、接種した母から胎児に感染した例もない。
  3. ワクチンを接種したからと言って感染しないという保証は誰もしてくれない→確かに、ワクチンを1回接種しても、免疫ができない人はいる。そのため、現在では2回接種が行われている。しかし、ワクチン接種率が低い集団で風疹が流行しているのは事実である。集団免疫のためにも、接種率を高く保つ必要がある。

というわけで、「風疹ワクチンを打っても良いですか?」に出てくる「風疹ワクチンを打たなくてもよい理由」は、すべて誤解に基づくものであることがわかりました。といか、ほぼ元のブログ内でお医者さんが説明されているのですよね。風疹ワクチンについて疑問や不安がある場合は、こういったブログではなく、かかりつけのお医者さんに相談されることを、おすすめします。



*1:遺伝子配列の調べ方などの詳細は「国立感染症研究所 病原体検出マニュアル「風疹」第2版」で見ることができます。

*2:実際には、RNAゲノムをDNAに逆転写してから配列を読みますので、「U」ではなく、「T(チミン)」の表記になっています。

*3:麻しん風しんワクチン

*4:風疹の現状と今後の風疹対策について国立感染症研究所

*5:ゼクシィネット「結婚を考えるならしておきたいこと」

*6:風疹とワクチンにまつわる流言(1) 風疹はなぜ流行しているの?放射能のせい?, うさうさメモ

*7:風疹の予防接種、1回受ければ大丈夫?, NHKかぶんブログ

風疹流行と放射能の話、その2


風疹の流行がちっともおさまりません。今回の風疹の流行に関しては、上のエントリでまとめたように、過去のワクチン政策が原因であり、国がもっと積極的に動いてしかるべきなはずなのですが、「自主性を尊重する」姿勢を貫くようです。


それはそうと、風疹と放射能を結びつける言説も相変わらず続いています。主に2つの流派があるようです。

  1. チェルノブイリ原子力発電所事故の直後にも風疹は流行していた!やはり風疹の流行は放射能汚染のせいだ!
  2. 風疹は実際には流行していないが、流行を強調することで、先天性障害の発生を先天性風疹症候群(CRS)のせいにしようとしている!

 

チェルノブイリ事故後の風疹流行について

Twitterなどで広まっていた「チェルノブイリ事故後に風疹が流行」の図の元はこの文献だと思われます。

確かに、チェルノブイリ原子力発電所の事故があった1986年の翌年、1987年に風疹の流行が起こっています。しかし、風疹の流行は1982年、1977年、1960年代にも見られます。本文から引用します。

欧米に遅れること 7 年日本は英国方式で風疹定 期予防接種を女子中学生を対象に開始した(1977 年).風疹ワクチン前時代,風疹は 5~10 年間隔 で(数年の流行期と数年の流行閑期),流行した. 流行は小学生の風疹抗体保有率が 40~70%に達すると終息し,この流行パターンは 1989 年の小児の MMR ワクチン導入まで続いた.すなわち,小児 の全国的風疹流行は 1975~1977 年,1981~1982 年,1987~1988 年に発生し,CRS は流行発生時 に従来と同様の頻度で発生し,女子中学生の風疹 予防接種の効果は顕著でなかった(図 3).MMR ワクチンの接種開始により,風疹の疫学は大きく 変化すると期待したが,残念なことに無菌性髄膜炎の副反応の問題で中止(1993年),しかし,予防接種法改正により 1994年より単味風疹ワクチン接種開始で,接種率は十分とはいえないが,小児 の流行的発生の防止に有効であった.小児の予防接種が効果を上げてくると流行的発生がなくなり, 散発的発生と年長児若年成人に流行的発生が起こり,2004 年には CRS が 10 例報告された.麻疹 は 2006 年より MR ワクチンで 2 回,さらに,2008 年には 3 期(中学 1 年生),4 期(高校 3 年)が5年計画で実施される.MRワクチンが使われることにより,接種率がさらに向上し,“2012 の風疹・先天性風疹症候群排除”の目標達成の成就が期待される.


同上、p. 256-257より引用。 強調はうさじま

つまり、数年ごとの流行を繰り返していたが、予防接種の導入によりだんだん流行がなくなったことを示している図なのです。(その後、風しん予防接種を受けておらず、抗体を持たない人が蓄積され、今回の流行が起こったことは、「風疹とワクチンにまつわる流言(1) 風疹はなぜ流行しているの?放射能のせい? 」で説明しました)。この文献は2008年のものですから、今回の流行については書かれていませんけれども、この図を引用した人は、本文は読まなかったのですか?と聞きたくなります。


さらに、気象庁気象研究所の「環境における人工放射能の研究2011」の表紙の図の、放射性降下物の量の推移のグラフと上のグラフを比較してみましょう。

2011年以降の値は暫定値であることと、縦軸が対数になっていることに注意してください。さきほどの風疹感染者の推移と放射性降下物量との推移に、特に関連性が見いだせないのが分かります。


また、風疹の流行が放射能のせいだとするならば、当然他の感染症についても激増していてしかるべしだと思うのですが、国立感染症研究所インフルエンザ報告数のここ10年の推移のグラフを見ても、特に震災後増えてはいません。


インフルエンザ 過去10年との比較(定点あたり報告数) 国立感染症研究所


というわけで、総合的に見て、風疹の流行と放射能汚染を結びつけるのにはやはり無理があると言えます。

 
 

CRSは、放射能による先天性障害発生の隠れ蓑?

国立感染症研究所の「先天性風疹症候群とは」を見ますと、以下のように記載されています。

病原診断
 病原体である風疹ウイルスの検出には、ウイルス分離よりもウイルス遺伝子の検出の方が感度も良く、また、時間的にもはるかに短期間でできる。それは、ウイルス遺伝子RNA を逆転写PCR で増幅して検出する方法である(図4)。
 CRS患児からは、出生後6 カ月位までは高頻度にウイルス遺伝子が検出できる。検体として検出率の高い順から述べると、白内障手術により摘出された水晶体、脳脊髄液、咽頭拭い液、末梢血、尿などである。
 CRS の診断としては、症状、ウイルス遺伝子の検出以外に、臍帯血や患児血からの風疹IgM 抗体の検出が確定診断として用いられるIgM 抗体は胎盤通過をしないので、胎児が感染の結果産生したものであり、発症の有無にかかわらず胎内感染の証拠となる。

先天性風疹症候群とは, 国立感染症研究所, 強調はうさじま

また、上に引用した「日本の風疹・先天性風疹症候群の疫学研究―偶然との出会い― 」を書かれた植田氏は1960年代から風疹及びCRSの研究をされている方で、キットのない時代にCRSの血清学的診断に苦労した話が書かれています。


国立感染症研究所には、感染症法に基づいて感染症の報告がなされる際の検査の標準化のために、国立感染症研究所と全国地方衛生研究所の共同作業で作成された病原体検出マニュアルがあり、それの「先天性風しん症候群」の項を見ますと、以下の記述があります。

2-4. 検査の進め方
CRS の診断は、第一義的には出生後における白内障、難聴、先天性心疾患等 の CRS に特徴的な臨床症状に基づく。CRS の検査診断法としては、CRS 患児 の血清診断および病原体検出がある。また、妊娠中に母親が風疹ウイルスの感 染を受けたことの診断が参考となる。

(略)


2-6. 感染症法届け出基準における検査診断の取り扱い
感染症法においては、臨床診断基準および病原体診断基準の両者を満たした 場合、CRS としての届出基準に合致する。病原体診断による基準は、以下の項 目のうち、1つを満たし、かつ出生後の風疹感染を除外できるものである。

  1. 分離・同定による病原体の検出またはウイルス遺伝子の検出
  2. 血清中の抗風疹ウイルス特異的IgM抗体の存在
  3. 血清中の風しんHI 価が移行抗体の推移から予想される値を高く越えて持続 (出生児の風しん HI 価が、月あたり 1/2 の低下率で低下していない。)


病原体検出マニュアル 先天性風しん症候群, 国立感染症研究所 より抜粋

つまり、統計で先天性風しん症候群としてカウントされるものは、風しんウイルスの感染が確認された例のみであり、その他の先天性障害からは区別され得るということがわかります。


風しんの流行により、お子さんがCRSを発症されてしまった保護者の方の心痛は計り知れません。また、CRSを心配して、中絶される方も現実には数多くおられます。そのような状況で、いくら放射能が憎いとしても、こういった根拠のない流言を広めることは、許されることではありません。また、目の前の風しん流行への対策を怠ることにもつながるおそれがあると思います。

風疹とワクチンにまつわる流言(2)風疹ワクチンで不妊?ブラジルの風疹ワクチンキャンペーンから学ぶ

の続きです。
 

「著名科学者」が警告?

風疹の大流行により、ワクチン接種が推奨されていますが、早速「風疹ワクチンで不妊」という説も出まわりつつあります。まだ作られてもいないH1N7インフルエンザワクチンとセットで「日本人の断種のための陰謀である」としているサイトまであります(こうなってくるともう証拠もへったくれもない世界ですが…)。とりあえず、いちおう不妊説の根拠とされている文章はこれだと思われます。(リンクは張りませんので頭にhを足してコピペで飛んでください)

ブラジルの大規模予防接種プログラムには、秘密の不妊化計画の疑い


小さな健康問題に大規模な予防接種をする非合理的な事例としてもっと最近のものに、ブラジルでの強制ワクチン計画がある。これは国際的な妊娠中絶反対の活動家から疑念が持ち上がったものだ。彼らは、秘かに不妊剤を混入させたワクチン使った最近の予防接種プログラムと類似性があると指摘している。
「風疹の絶滅」キャンペーンは、今年8月初めに始まった。それは、12歳から49歳の全女性、12歳から39歳の男性に風疹ワクチンを義務つけるものだった。合計で7000万人を対象にしていた。風疹のために出生異常が発生するブラジルの子供は、1年に17人だったにもかかわらずである。
「人命インターナショナル」(Human Life International)のアドルフォ・カスタニェーダ(Adolfo Castaneda)は、ほんの2年前にアルゼンチンで実施された類似のキャンペーンで使われた風疹ワクチンにも、やはりヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)が混ぜてあったことを研究者が明らかにしたことを述べている。
「そもそも疑念を抱いて(風疹ワクチン)の調査をすることになったのは、アルゼンチンにはこの病気は極めて稀だったことで、大規模なキャンペーンのメリットがないことだった。」そして「女性の年齢層はニカラグアでワクチンを接種した人々と同じであり、ニカラグアでは女性を不妊化するホルモンを混入させていた。また、フィリピンで別の不妊ホルモンを接種した年齢層とも共通していた。」と付け加えている。


著名科学者が警告するHPVワクチンの危険性 (ttp://tamekiyo.com/documents/mercola/hpv.php)より

この文章(以下、「マーコラ文書」とします)はジョージフ・マーコラ(Joseph Mercola)博士という人によって書かれたとされています。前半はHPVワクチン(子宮頸がんワクチン)についてのデマです。これとほぼ同様の内容について検証した記事も当ブログにありますので気になった人は読んでみてください(「HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)の嘘」の検証をわかりやすく)。マーコラ博士ってどんな人なんでしょう?PubMed(論文検索サイト)で検索すると12報ヒットしました。そのうち5報は1980年代のもの。2000年代に書かれたものは5報…なんですが、これらはすべて他の人の論文への「コメント」でした。う〜ん、こういう人を「著名科学者」と言うのでしょうか?(ちなみにノーベル賞をとった「Shinya Yamanaka」で検索すると137件ヒットします)。WikipediaのJoseph Mercolaの項を見ますと

Joseph M. Mercola (1954年生まれ)は代替療法家であり、イリノイ州Hoffman Estatesで開業している。「No-Grain Diet(穀類抜きダイエット、Alison Rose Levyと共著)」や「The Great Bird Flu Hoax(鳥インフルエンザの大インチキ)」などの著作がある。代替医療ウィブサイトの設立者および編集者であり、そのサイトにおいて食事やライフスタイルによる健康法を推奨したり、様々な栄養補助食品を販売したりしている。Mercolaは標準的な医療行為を様々な面で批判しており、特に予防接種や処方薬の使用、病気の治療のための外科手術を槍玉に挙げている。彼は、いくつかの代替医療組織のメンバーであると同時に、Association of American Physicians and Surgeonsの一員でもある。



<原文>
Joseph M. Mercola (born 1954) is an alternative physician practicing in Hoffman Estates, inois.[1] He is the author of several books including The No-Grain Diet (with Alison Rose Levy), and The Great Bird Flu Hoax. Mercola is the founder and editor of an alternative-medicine website, where he advocates dietary and lifestyle approaches to health and markets a variety of dietary supplements. Mercola criticizes many aspects of standard medical practice, particularly vaccination and the use of prescription drugs and surgery to treat diseases. He is a member of the Association of American Physicians and Surgeons, as well as several alternative medicine organizations.[2]


wikipedia より うさじま訳*1

なるほど、代替医療やワクチン批判で「著名な人」であるようです。

 

ブラジルの風疹ワクチン接種プログラム

さて、この文章に出てくるブラジルの風疹ワクチン接種プログラムについて調べてみました。この文章にリンクされていた、元ネタと思われる記事を要約します。

Massive Brazilian Vaccination Raises Suspicions of Covert Sterilization Program LifeSiteNews Aug 14, 2008

  • ブラジルで2008年に風疹ワクチンキャンペーンがある*2。ブラジルの保健相 Jose Gomes Temporaoは、ワクチンキャンペーンは南米大陸諸国の風疹を撲滅することにあると主張している。
  • ブラジルでは毎年17人の子供が風疹のために障害を持って生まれるという事実を問題視しているが、ブラジルの人口は1億8千万人以上である。また風疹の症状は普通軽いものである。
  • 人口あたりの先天性風疹症候群(CRS)に冒される子供の数は、1990年代の英国及びオーストラリアよりも少ないのに、7千万人のブラジル人への強制接種プログラムを行おうとしている。これは史上最大の接種プログラムである。
  • Human Life InternationalのAdoofo Castanedaは、2006年にアルゼンチンのキャンペーンで使われた風疹ワクチンがhCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン、避妊ワクチンの成分*3)で汚染されていることを研究者が発見したと指摘している。
  • 他の不妊薬入りワクチンが使われたことが証明されたキャンペーンと同年代の女性が接種対象となっている。接種対象者は12〜49歳の女性と12〜39歳の男性である。女性の接種対象者の年令は、同じくホルモン入り不妊ワクチンが使われたニカラグアと同一で、フィリピンとも近い。
  • オーストラリア政府は「Communicable Diseases Intellignece」で、風疹は主に小さな子どもたちを通じて広がるため、米国やオーストラリアの予防接種プログラムは子どもを対象としている。ブラジル政府は子どもを無視して、出産年齢の女性を対象としている。
  • すでに風疹ワクチン接種をしたことのある人や、風疹に罹ったことのある人まで、接種することを求められている。
  • ブラジル政府は、子どもにワクチン接種を受けさせなかった女性を起訴し、子どもを取り上げたことを大々的に報道した。

この記事が掲載されたLifeSiteNewsというのは、中絶に反対する立場(Pro-Life)を取るキリスト教の団体によるニュースサイトです。また、途中に出てくるHuman Life Internationalというのも、同じくPro-Lifeのキリスト教系団体のようです。
 
 

なぜ女性に接種するのか…先天性風疹症候群(CRS)について

ここで、なぜ生殖可能な年齢の女性に風疹ワクチンを接種するのか(してきたのか)について説明しておきます。日本でも、かつて中学で女子だけにワクチン接種していたのは前回のエントリで紹介しました。これは、先天性風疹症候群(CRS)を予防するためです。風疹はウイルスによる病気ですが、風疹ウイルスは胎盤を通じて胎児にまで感染します。妊娠初期の、胎児の体が作られている時期にウイルス感染すると、先天性の障害を引き起こす可能性があるのです。

免疫のない女性が妊娠初期に風疹に罹患すると、風疹ウイルスが胎児に感染して、出生児に先天性風疹症候群(CRS)と総称される障害を引き起こすことがある。風疹のサーベイランスやワクチン接種は、先天性風疹症候群の予防を第一の目的に考えている。
(略)


疫 学
 風疹の流行年とCRSの発生の多い年度は完全に一致している。また、この流行年に一致して、かつては風疹感染を危惧した人工流産例も多く見られた(図1)。風疹は主に春に流行し、従って妊娠中に感染した胎児のほとんどは秋から冬に出生している。流行期における年毎の10 万出生当たりのCRSの発生頻度は、米国で0.9 〜1.6 、英国で6.4 〜14.4 、日本で1.8 〜7.7 であり、国による差は殆ど見られない。母親が顕性感染した妊娠月別のCRS の発生頻度は、妊娠1 カ月で50%上、2カ月で35%、3カ月で18%、4カ月で8%程度である。成人でも15%程度不顕性感染があるので、母親が無症状であってもCRS は発生し得る。
(略)

図1


臨床症状 CRS の3 大症状は先天性心疾患、難聴、白内障(図3)である。このうち、先天性心疾患と白内障は妊娠初期3 カ月以内の母親の感染で発生するが、難聴は初期3 カ月のみならず、次の3カ月の感染でも出現する。しかも、高度難聴であることが多い。3 大症状以外には、網膜症、肝脾腫、血小板減少、糖尿病、発育遅滞、精神発達遅滞、小眼球など多岐にわたる。
(略)


治療・予防 
CRS それ自体の治療法はない。心疾患は軽度であれば自然治癒することもあるが、手術が可能になった時点で手術する。白内障についても 手術可能になった時点で、濁り部分を摘出して視力を回復する。摘出後、人工水晶体を使用することもある。いずれにしても、遠近調節に困難が伴う。難聴については人工内耳が開発され、乳幼児にも応用されつつあるが、今までは聴覚障害児教育が行われてきた。
 予防で重要なことは、十分高い抗体価を保有することであり、既に自然感染で免疫を獲得していることが明らかな者以外は風疹ワクチンで免疫を付ける必要がある。
(略)


感染症の話 風疹 (国立感染症研究所ウイルス第三部 加藤茂孝)より抜粋。強調はうさじま

上記の文章を書いた加藤氏は、長年にわたりCRSの研究をされてきた方です。加藤氏がまとめた日本国内のCRSの歴史や現状、氏の開発した遺伝子診断法についての総説がありました。とてもわかりやすかったです。


CRSに伴うもう一つの問題について、上記から引用します。

妊娠中に感染した場合には、胎児にCRSが生じる可能性が高いことから、発疹が見られた場合(顕在性感染)や、症状がなくとも風疹患者に接した場合、さらには、症状もなく患者との接触歴もないが妊娠初期に検査した風疹抗体価が高い*4という理由だけで、母親の不顕在性感染による胎児への感染の可能性を恐れて人工流産に至ることが、風疹流行期には多かった。(略)人口動態統計の流産数から、風疹流行期の風疹によると思われる人工および自然流産数は、1973〜1998年の25年間で合計2万5千例と推計された(図6)。ほぼ同時期に出生したCRS患児419人の59倍にも上る。(略)

加藤氏は胎児の風疹ウイルス検査法を開発されました。加藤氏はこの診断法への抗議(障害児への差別ではないか)について、以下のように答えられたそうです。

ワクチンがあるので予防してほしいこと、闇雲に恐れるのでなく科学的データで判断して欲しいこと、万一障害が出たとしても現在では治療法やリハビリ施設はあることなどを伝えた。私はこの方法で、むしろ中絶を回避したいのだ、と。
統計に表れた数字の影には、数字では分からない一人一人の思い人生がある。


同上、p26より

このような背景から、女性のみを対象に、風疹のワクチン接種が行われてきた国があるのです。日本もそうです。女性を不妊にするためではなく、生まれてくる赤ちゃんに障害が生じないようにするため、そして妊娠した人の不安を取り除くためなのです。さらに、CRSを伴って生まれる赤ちゃんの裏に、それより数の多い、障害を忌避しての中絶という現実があります。また、胎児への風疹ウイルス感染による流産もあります。ブラジルでは人工中絶が違法だそうなので、日本とは事情が異なるかもしれません。しかし、CRSの発症数が「年間17例に過ぎな」かったとしても、その裏に多くの葛藤があることは間違いありません。このような事情を知れば、マーコラ文書の言うような「小さな健康問題」でないことが理解できると思います。妊婦は風疹ワクチンを接種できません*5ので、妊娠前にワクチン接種をしておくことが必要なのです。

ブラジルの風疹ワクチンキャンペーンの実際

問題の2008年のブラジルの風疹ワクチンキャンペーンについて見てみましょう。


CDCの週報です。このレポートの冒頭には、2003年、Pan American Health Organization(汎米保健機構、PAHO。WHO(世界保健機構)のアメリカ地域事務局であり、南北アメリカ大陸の住民の健康と生活状況の改善を目的に活動を実施している。)が風疹及びCRSの南北アメリカ大陸からの排除を求める決議を採択したとあります。「排除」の定義として、「北米、中米、南米およびカリブ海のすべての国において、12ヶ月以上、風疹ウイルス感染のエンデミック(地域的流行)を阻止すること、及びエンデミックによるCRSの発生をゼロにすること」とあります。感染症の場合、他地域から持ち込まれることがありますが、そのような場合にもその地域に広がって流行を起こさないようにする、ということです。この目標のために、PAHOが打ち出した戦略が以下のものです。

  1. 風疹ワクチンを含むワクチン(RCV)を、南北アメリカ大陸すべての国の生後12ヶ月児のルーチン予防接種に導入し、接種率を全自治体で95%超とする。
  2. 若年・成年者を対象とした単発の集団予防接種キャンペーン及び、5歳未満を対象とした定期的なフォローアップキャンペーンをを行う。
  3. 麻疹サーベイランスに風疹サーベイランスを組み入れ、CRSのサーベイランスを導入する。


Progress Toward Elimination of Rubella and Congenital Rubella Syndrome --- the Americas, 2003--2008 MMWR Weekly, October 31, 2008 / 57(43);1176-1179 より、うさじま訳

資料2によれば、ブラジルでは麻疹・水痘・風疹(MMR)ワクチンが1992年〜2000年の間に州のルーチン予防接種プログラム(乳幼児対象)に組み入れられ、11歳までを対象としたキャッチアップ接種プログラムも行われて、子どもの風疹流行はすぐになくなったとあります。しかし、1998年〜2000年には若年成人での風疹の流行があり、CRSが多く発生、世界的に麻疹・風疹(MRS)ワクチンの供給が不足していたことから、1998〜2002年の間に出産可能年齢の女性のみを対象とした追加の予防接種プログラムを行ったとあります。LifeSiteNewsにあった、「子どもはスルーされている」というのは完全な事実誤認で、子どもへの接種はとっくに始まっていました。風しん・CRS排除への戦略として、子どもへのルーチン接種の他に、女性のみを対象とした集団予防接種を行ったのは南北アメリカ大陸でブラジル、チリ、アルゼンチンの3カ国でした。他の国は、男性も含めて接種しました。資料1によれば、チリは1999年、アルゼンチンでは2006年に生殖可能年齢の女性を対象とした予防接種プログラムが行われています。しかし、結果的に、女性のみへの接種という戦略は失敗であったことが、明らかになります。


風しんおよびCRSの報告数。
WHO統計(Rubella Reported Cases)(Ruvella (CRS) Reported Cases)及び「Progress Toward Elimination of Rubella and Congenital Rubella Syndrome --- the Americas, 2003--2008」 MMWR Weekly, October 31, 2008 / 57(43);1176-1179 より うさじま作成

上記の表は、文献1の、南米の風疹ワクチン接種キャンペーンの情報と、WHOの風疹報告数の統計からうさじまが作成したものです。セルに色がついている年に、それぞれ子ども・女性のみ・男性のみ・男女への集団予防接種プログラムを実施しています。乳幼児へのルーチン接種はこれ以外に継続的に行なっています。年齢には幅がありますが「子ども」は概ね10歳以下を指します。南米以外の予防接種の情報はわからないので載せていません。ブラジル、チリ、アルゼンチンの女性への予防接種キャンペーンの接種率(対象者のどレくらいをカバーしたか)は>95%と非常に高かったにも関わらず、2007〜2008年、これらの国で、風疹の流行が起こってしまいました。資料1によれば、ブラジルでの風しん流行は、現在の日本と同様、男性中心のものでした。その後、ブラジルでは男女に、アルゼンチン・チリではそれまでのワクチンプログラムから漏れていた男性に接種を行い、それ以降ピタリと風疹の流行はなくなっています。マーコラ文書に「不妊ワクチンが投与された」と書かれているニカラグアでも、集団予防接種以降、風疹は報告されていません。他の国でも、男女を対象とした予防接種キャンペーン以降、風疹の流行がなくなっているのがわかります。これらの予防接種プログラムの接種率は、大人を対象としたものでは90%超、多くは95%以上で非常に高率です。ブラジルにおける2008年の予防接種キャンペーン(20〜39歳の男女が対象で接種率90%)で、どのようなプロモーションを行い、人々がどう受容したかを調べた論文があります。

これを見ますと、テレビCMで有名人を起用したCMを放映したり、予防接種の対象者にウケるキャッチフレーズを用意したり、特設ウェブサイトを作って予防接種キャンペーンのの進行状況をリアルタイムで分かるようにしたり、同サイト上で人々の疑問に保健省の専門家が直接答えたり、不妊デマを否定したり、仕事を持つ人々が接種しやすい環境を整えたりといった努力により、高い接種率が実現できたことがわかります。「強制」ではなかったのです。


米国は、はじめから男女に風疹ワクチン接種を行なっており、2004年には風疹排除宣言をしたそうです*6。2004年以降も、風疹の報告はありますが、これは外から持ち込まれたなどでその後地域的流行を起こしていないということです南北アメリカ大陸では、2009年以降、風疹の地域的流行はありません*7。英国・オーストリアはLifeSiteNews記事に出ててきたので、表に入れました。英国も女子だけに風疹ワクチンを接種してきた国であり、さらにMMRワクチンのスキャンダルもあって風疹対策が遅れている国のようです*8。さて、最後に日本のデータです。今年は、すでに4000例を超えていますそして、CRSは去年5例、今年は3例がすでに報告されています(4/17現在。国立感染症研究所「風疹」参照)驚きの流行です。ブラジルの例を見れば、本気で予防接種プログラムを行えば、風疹の流行は排除できることがわかります。妊娠すると予防接種できません。妊娠前に予防接種すること、そして、集団免疫で流行を食い止めることが必要なのです。


というわけで、風疹ワクチンで不妊になる!という噂の出処を調べてみたら、逆に、ワクチン接種がいかに有効であるかがわかってしまったというオチでした。

 

2回接種について

LifeSiteNewsの記事に、「過去に風疹ワクチンを接種したり、感染した者もワクチン接種をさせられる」との記載がありますが、「風疹にかかったことがある」というのが記憶違いということが少なくないことや、一回の接種で免疫ができないこともあるので、日本でも「感染の記憶のある人」にも予防接種が推奨されていますし、先進国では現在は2回接種がスタンダードとされています*9

 

繰り返される「不妊デマ」

で、不妊の話です。「風疹ワクチンで不妊になる」という噂や反ワクチン媒体の記事はたくさんあるのですが、ちゃんとした根拠は示されていません。反ワクチン媒体がお互いに参照しあっているばかりで、一次資料が出てこないのです。LifeSiteNewsの記述では「研究者がhCGが混入しているのを見つけた」とも書かれていますが、論文検索サイトで「ruvella vaccine hCG」で検索しても一件もヒットしません。これは逆に、風疹ワクチンがhCGに汚染されていないというデータもないと言えます。しかし、予防接種キャンペーンで南北アメリカ大陸の風疹流行がなくなって以降も、子どもは生まれ続けています。ブラジルでは出生率は減少傾向にありますが*10、2000年台の予防接種プログラム以降、急に生まれるこ子どもの数が1/10になったりはしていません*11。だいたい、普通に考えれば、政府にとっては国民が病気にならず、健康な子どもが生まれてくるほうがずっと得です。ブラジルは人口が増えまくって困っている国ではないのです。


「ワクチンにhCGが混入されていて、不妊になる」という噂は、定番のデマです。マーコラ文書にも出てくるフィリピンの不妊ワクチンデマについて、当ブログで検証したことがあります。


これは、出産時の不衛生な環境のために新生児が破傷風菌に感染してしまい、多くが命を落としてしまう「新生児破傷風」を防ぐために、出産前の女性に破傷風ワクチン接種を行なったところ、「hCGが混入されている」というデマが流され、接種率が著しく低下し、今なお新生児破傷風は排除されていないという例です。この時も、hCGが検出されたという「証言」がある、というのみで、データは見つかりませんでしたが、不適切な検査方法のためにキットの有効測定範囲外の微量のhCGが検出されたのではないかということでした。また、フィリピン保健省の疫学調査や、マニラの病院の症例対照研究で、破傷風ワクチン接種と自然流産に関連性がないことが検証されました。この時も、今回と同じように、「なぜ子どもでなく出産可能な年齢の女性に接種するのか」など、ちょっと調べればその理由が分かることなのに「怪しい」と曲解し、ワクチンへの信頼性をなくさせようとする情報発信が行われました。実は、この不妊ワクチンのデマを流したのは、今回取り上げたブラジルの例と同様、「中絶に反対する」キリスト教の団体でした。中絶に反対するのに、CRSのために子どもが障害を持つことになったり、流産したり、親がそのことで苦悩したり、生まれた子供が破傷風で死んでしまったりするのはするのは構わないのでしょうか。どのような宗教的な思想の背景があるにせよ、許せないことです。


日本国内に目を向けると、マーコラ文書を持ってきて日本での風しんワクチンへの「警告」をするのはおかしな話で、国内で使われている風しんワクチンやMR(麻しん風しん)ワクチンは、日本の製薬企業が作った国産品ですから、ブラジルやニカラグアで何があろうと、関係ないと言えます。現在の日本のように、感染症が大流行している時期に、このような根拠のない、誤解と曲解に満ち、よく知らずに病気の影響を過小評価するような情報が出回ることは、公衆衛生上のリスクになり得ます。反ワクチン運動が社会に悪影響を与えた例は、前述のフィリピンの新生児破傷風や英国のMMRの他にもあります。

 

PAHOのワクチンにより予防可能な疾患に関する会議では、ワクチン安全性のテーマでリスクコミュニケーションが取り上げられており、予防接種のリスクコミュニケーション戦略を国の年間予防接種プランに含め、「Crisis」(人々がワクチンや予防接種プログラムへの不信を抱く事態)を避ける/コントロールできるよう備えるべきであるとしています*12。日本の厚生労働省は、ワクチンに関するデマに対してなにか対策しているのでしょうか?
 

  

付録

*1:書籍の邦訳があるか等確認してません。他の邦題があるかもしれません。

*2:この記事が書かれた時点では未来の話

*3:hCGは妊娠時に産生されるホルモンであり、hCGに対する中和抗体を産生させることで妊娠を阻止するというしくみの避妊ワクチンは実際に開発中

*4:風疹抗体価については、前回のエントリで紹介したこちらを参照してください。

*5:実際には妊娠に気づかず風疹ワクチンを接種した例がありますが、そのためにCRSが発症した例はないそうです(先天性風疹の根絶を目指して, Togetter)。

*6:先天性風疹の根絶を目指して Togetter

*7:Experts Start Verifying Measles, Rubella Elimination in the Americas, PAHO

*8:女子だけに風疹ワクチンとその周辺 感染症診療の原則

*9:http://www.nih.go.jp/niid/ja/rubellaqa.html:風疹Q and A 国立感染症研究所

*10:PAHO統計

*11:と言うと、統計にわからないくらいの割合でhCGが混入されてるんだ−!という人がいそうですが、それだったら何も全員に徹底して接種する必要もなくなるのであり、何のために大金をつぎ込んでそんなことをするのかわけがわかりません

*12:TECHNICAL ADVISORY GROUP ON VACCINE-PREVENTABLE DISEASESBUENOS AIRES, ARGENTINA, 6-8 JULY 2011 議事録